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Posted by ブクログ
1980年の出版である。原題はWhen Marnie Was There?
1967である。書かれてから13年もたって翻訳された。もっと早く翻訳されていれば子ども時代にも読んで記憶があったであろうが、初めて読んだ気がする。
あとがきで著者から直接家の写真ももらったと書かれている。
100分で名著では1回で結末まで説明されたが、話が急展開するのは下巻である。
小学生が今読んでも面白いと思われる。
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下巻を読んでみた。上巻の「よくわからない」を取り消したいくらい面白かった。
マーニーがいなくなって、それが幻だとアンナが気が付く。
しめっち屋敷の新しい住人『リンゼー家』の人々との交流が下巻のメイン。
アニメはマーニーとアンナの交流がメインで、マーニーが実は祖母だったという事までは分かったけど、『寂しい少女が見た幻』という認識しか持てず、バタバタと終わってしまった印象だった。見終わっても「だから、何?」と思ってしまった。
原作はマーニーとの交流の上巻。それと比較して下巻は『リンゼー家の人々』との交流がメインで、単なる『寂しい少女が見た幻』というだけではない事が分かってよかった。
アニメでは『自分が普通ではないと思っているアンナ』という描かれ方だったけど、原作は『自分は外側にいて、内側には入れないアンナ』が描かれている。
アニメはエンタメだからわかりやすく『普通』という単語を持ってきたのかなとも思うけど、私は『外側』という言葉の方がしっくり来た。
自分と外の世界との繋がりの物語。
「普通という誰かが作った枠」ではなくて、「自分が作ってしまった『内側』と『外側』」が原作の物語。
マーニーは『内側』の物語として語られていて、最終的に「マーニーが祖母で、祖母が元々しめっち屋敷に住んでいた」という繋がりが『外側』であるリンゼー家の人々と繋がっていく。この繋がりに読んでいて、震えてしまった。アニメではそこがなかった。
アニメではしめっ地屋敷の新しい住人「彩香」という少女が日記を見つけて、アンナに見せてくれる。それを見て、アンナはマーニーの存在に疑問を持つ……となっていたけど、原作ではマーニーとの出会いが終わってから、しめっち屋敷の新しい住人達との交流が始まる。だから、アンナは最後までマーニーの存在は疑っていない。二度と会えなくなるまでは。
新しい住人たちは『5人の子供たち』と『その母親+父親』で、彼らを通してアンナは「心をすり減らさずに人と接する事」を学んでいく。
日記を見せてくれたのは「プリシラ」という変わった少女。彼女の他に4人の兄弟たちがいる。どの子たちも魅力的に書かれている。人数が多いので若干うるさくも感じるけど、それもまた「一人きりのマーニー」との対比のような気がする。
リンゼー家の人々はすごく優しくて気さくで、アンナが「ボートの小さな錨」を黙って持ち帰っても怒ったりしなかった。何か理由があると考えてくれる思慮深い人たち。アンナは後からちゃんと謝って、錨が実は「マーニーのもの」と確定した時点でそれはアンナが所有してもおかしくないものとして、「キレイに塗り直す」ことまで提案してくれる。
リンゼー家の人々の優しさが、アンナの心を解いていくのが読んでいてわかる。そして、「おばちゃん」も彼女たちに会って、アンナに真実を話そうと決心する。実は「アンナはマリアンナという名前だという事」を。
この辺りはアニメでは一切なかった。(お金の話はあったけど)名前が実は変えられていたなんて……日本版で名前を変えるのは無理だろうけど。おばちゃんはアンナを「自分の子供にしてしまいたくて、元の名前の半分を消した」と。正直、それはないだろとは思うけど、そのありえない事をしてしまうくらいに「アンナが欲しかった」という気持ちは分かる。
アニメはなんだか、「アンナの自力と運」だけで「祖母の事を知って自分も頑張ろうと思った」と言う風に見えたけど、原作は「たくさんの人と関わる事で変わっていくアンナ」が描かれている。
最終的には「みんな自分が外側の気分になる事もある」という事にアンナ自身が気が付いてる。
「自分は一人ではなかった」という着地点ではなくて、「みんなそう思っている」「人と繋がれる瞬間はある」「そして、一人きりの気分の時もある」というのが原作だった。
私はこっちの方が好きだ。
安易な「みんな繋がっていて、一人ではない」というものよりも、「一人きりの気分(外側)のときもあるけど、繋がっている(内側)の時もある」のほうが感覚として分かる。でも、エンタメとしてはそんな中途半端な作りにしたら、売れないのかな……とは思うので、アニメはアニメで刺さる人には刺さるのだろうとは思う。私は無理だっただけで。
アニメにモヤんとした人は、原作読んで。特に下巻。マーニーと別れた後が本当に面白いし、アンナが成長していくから。とお勧めしたい。
素敵な物語、ごちそうさまでした。
Posted by ブクログ
p199が印象的だった。
映画を見たときはまだ経験が少なくて、あまり心に響かなかったけど、いま大人になって本を読んだら感動できた。目から汗が出た。p206らへん。
アンナは血のつながった家族を早くに亡くしてしまったけど、優しいひとが周りにたくさんいて、周りに恵まれていたことを自覚できてよかったなと思う。
Posted by ブクログ
とっても悲しいけれども、心温まるお話でした。
そう、気づくでしょうけれども
マーニーはあるとても悲しい経験をしていました。
なぜ風車小屋を怖がったのか…
それと最後に思わぬ事実が突き付けられます。
大事な言葉がいっぱいあるので
大人でも突き刺さる要素は多いはずです。
Posted by ブクログ
下巻では、マーニーとの別れと新たなる出会いの話。
新たなる出会いの方でアンナの心もどんどん回復していきます。
新たなる出会いの家族がとてもいい家族で。
そしてマーニーの正体も明らかに。
Posted by ブクログ
物心ついた時から、夕方という時間帯は怖かった。明るくもなければ暗くもなくて、あの薄暗さが不気味で大嫌いだった。緊迫感、焦燥感、迫りくる何かへの言いようのない不安な気持ち。夕方になると、部屋の明かりは必ずつけていないと落ち着かない。
まさかその夕方に、わたしの中で懐かしいという感情が芽生えるなんて、あのころは思いもしなかった。
街がオレンジ色に染まると、気分がどうしようもなく塞ぐ。ただただ悲しくて、気がついたら声も立てずにぼろぼろ涙が溢れてきていることも度々あったし、計り知れない絶望感のようなものが押し寄せてくることもあった。
どうしようもない孤独感、終わりゆく一日を悟っての虚無感、襲いかかる自己嫌悪。そして、毎日がそれの繰り返し。
小学校高学年のころ、この本に出会った。スタジオジブリによって映画化されるとの告知があり、内容がうろ覚えだったので、もう一度読んでおこうと、去年の春ごろに再び手にとった。
まるで目の前に浮かび上がってくるように描かれた情景描写。夕方の海の満ち干が、繊細に美しく書かれていて、その場面だけはあの当時から今でも、くっきりと鮮明に頭の中に焼きついているのだ。
この本を読んで以降、わたしの夕方への感情はガラリと変わった。切なくて寂しくて、それだけが襲いかかってくる夕方。黄金色の夕陽が、目にしみるほど迫ってくる。あまりにも美しすぎて、怖いくらいだった。逢魔時、なんて言葉があるけれど、この時間帯は本当に未知で何か、別の次元に引き込まれ連れ去られてしまうような……そんな不思議な何かがある。
西陽が傾きはじめ、オレンジの光が街に降りそそぐ。そんな時ふと、今やもうない失くしてしまった何かを思い出しては、この夕方のベールのどこかに、わたしの探している場所があるのではないかと思ってしまう。
夕方が怖いのは、もう戻れないことを心のどこかでは知っているから。わたしを待つ人などいないと分かっているから。もう帰れないと気づいているから。そうしてわたしは、そういう大事な感情を消えてゆく夕闇の狭間に置いてけぼりにして、忘れてゆくのだろう。
Posted by ブクログ
イギリス児童文学でもあり、以前から読んでみようと思っていた作品の一つであったことを、ジブリの最新作の特集(月刊MOE)で思い出し、ようやく手にした。題名も『思い出のマーニー』でしたが(笑)原作タイトルは“WHEN MARNIE WAS THERE”
岩波少年文庫では、上下巻に分かれているので、感想は、こちら下巻の方に。
物語は、養父母の元を離れて、ひとり転地先に向かうアンナの列車旅から始まる。ここで、心を閉ざした感のある孤独なアンナの思いといきさつが少し語られ、後書きで訳者の松野正子さんが、この出だしがとっつきにくいのでは案じていらしたが、心象的にも深みのある作品らしいと感じた。
アンナは、常々、他の人たちが興じたりする物事の“内側”の輪に入れない“外側”の、いわば疎外感を持っていたが、周りの大人からは、“やってみようともしないこと”(意欲のなさ?)など問題視されており、喘息を起こした後の転地であった。
行先は、養母の友人夫婦が住むノーフォーク州、海辺の村。アンナは、その入り江の湿地に佇む古い屋敷の裏で、誰も知らない金髪のマーニーという不思議な少女と出会い、友だちになるのだが…。
この物語のクライマックスとなる風車小屋での出来事からの後半、下巻に入って、物語は一気呵成に面白くなる。マーニーに置き去りにされたと思ったアンナが、その後、だんだん現実の生活感と人々にもなじみ、物語の伏線から謎ときの形で、マーニーの秘密を知り、やがて気がついてみれば、身丈だけでなく、心的にも大きく成長し、自身も、周りの世界の感じ方も変わっていたのだった。
私も、気がつけば、あっというまに読みおわり、イギリスの風土に根ざした素晴らしい物語を味わえた。
ちなみに、岩波少年文庫の挿絵のペン画は、パディントンでもおなじみのペギー・フォートナム。
ジブリのマーニーも素適な出来上がりだったそうですが(家族談)、やはり、活字=原作を読むのが好きな私です(笑)
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とある出来事から心を閉ざしがちになった少女の成長の物語。
とても面白かった!
上巻を読んだ時に、表現面(情景、心理描写など)がいいと思っていた。
しかし、最後まで読んでみて、ストーリーの質も高いことが解った。
大人であっても十分楽しめるものになっている。
(逆に言えば、児童文学としては、若干難しいかもしれない。)
このような素晴らしい作品を読めたことは、原作者はもちろん、翻訳者の力量によるところも大きい。
ありがとうございました!
映画を見る予定がある人は、映画の後に読んでみるといいかも知れない。
映画とはひと味違った角度から、再び思い出のマーニーを楽しめると思う。
Posted by ブクログ
10年ぶりに再読。
ちょっと内向的でヒネた主人公アンナと不思議な少女マーニーとの心の交流を描いた上巻、そしてマーニーの謎をするする紐解きながらアンナが変わっていく下巻。ストーリー性も描写力も文句なし、大満足の作品でした。
児童向けの作品なので、ストレートでわかりやすい表現が多いです。でも扱われている内容は、子どもからの脱皮を経験した大人だからこそ分かることも多いので、おそらく子供目線と大人目線で感じ方が変わるのではないでしょうか。私は10年前と今回とでは明らかに感じ方が違いました。20年前にも読んでいたら、きっともっと違いを感じたと思います。
今夏上映のスタジオジブリ映画も期待しています。
Posted by ブクログ
子供のための物語であるから、子供の時に読みたかった。子供の時にはきっと、ずっと共感できただろうと思うから。しかしこれは大人にとっても、救いの物語だった。とてもよかった。
この物語の、なにが、こんなにも心に残るのだろうと考えると、やはりアンナの心をきりとって文字にもってくる、感性だと思う。
こどもの心は混沌だ(混沌だったと思う)。うれしさ、悲しさ、悔しさ、希望、どれも鮮明すぎて、ありのままとらえることはとっても難しい(と思う)。しかし小説の中でアンナの気持ちを、いっときも作者は見失わない。アンナ、ひとりぼっちで繊細な、孤児の少女は、鮮明に存在し続ける。
マーニーのせかいとアンナのせかいが異なることはすぐにわかるけれど、だいじなところは、そこではないのだ。アンナがはじめてともだちになるマーニー。いきいきとアンナのまえに存在する魅力的なともだち。ともだちとすごす時間はなんて楽しくてみじかいんだろう。友情は、まるで魔法のように自信をもたらしてくれる。
そして、たとえば赤毛のアンを読んだ子供たちが成長してからはアンではなくマリラ・カスバートの気持ちに共感するように(しないか?)、わたしが共感するのは「おばちゃん(なんて善良なひとだろう)」であったりするわけでした。やっぱり子供の時に読みたかった。
最後に明かされた事実にはきっと願いが込められているのだろうと想像する。金持ちの娘だが愛情を与えられずに育った孤独なマーニーは、産んだ娘を愛せないままこの世を去る。うまれた娘は母の愛を知らないまま、その娘を残して世を去る。そして、ひとりきり残されたマーニーの孫はやはり、捨てられた子供として人生のスタートを切るが…、
悲しいことの連鎖がきれいに輪になって解かれるラストはとてもうつくしい。奇跡である。
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とても素敵な結末。
上巻の後半を読んだ時の不安は綺麗に消えてしまった。
どうも幼さ故の純粋さと繊細さを持った女の子(男の子も)が傷付くところを見たくないと願ってしまうみたいだ。
でもそんな心配を軽々と飛び越えてくれた。
そして奇跡としか言いようのない幸せを見つけてくれた。
アンナから貰った幸せな気持ちのお裾分けで私も幸せな気分。
映画もとても楽しみ。
Posted by ブクログ
マーニーの正体がわかる瞬間、世界が逆転しミステリー小説のような驚きがあった。
めでたしめでたしの感動的ラストではあるけど、こうだったらなというような優しい世界だなあと思った。
本筋はアンネの混沌とした心の内側であったり、世界への向き合い方の変化であったりなので、生き辛さを抱えてる子どもや、かつてそんな子どもであった人には刺さる作品だと思う。
子どもって、イマジナリーフレンドを作ったりもそうだけど、現実と空想の世界が無理なく混ざり合ってるなかで生きてるんだなあ。
そんな子どもの心に寄り添って描かれている名作だと思う。
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養母の元からとある老夫婦の元へ預けられることになったアンナ。
心を開くことのできる家族も友達もいない。
そんなある日、不思議な少女、マーニーに出会う。
みるみる打ち解け、強くひかれ合う二人だったが…。
スタジオジブリで映画化、『思い出のマーニー』の原作本を読んだ。
今年は児童書を色々と読んでみたいなと思っていたので、ぴったり。
児童書…本当にあなどれない。
海外文学&上下巻の壁にドキドキしつつミーハーな気持ちから読み始めたものの…面白かった!
ざっくりあらすじのようなものを読んで何となくこういうこと?と考えていたよりももっと深く、切ないお話だった。
ミステリのようなドキドキ感も味わえるので、先入観をなるべく持たずに読まれる方がおすすめ。
映画を観る前に読んでしまって失敗したかも…!と若干後悔も。
映画を観てからこの本を読んだらどんな感想を抱くのか、今となっては味わえない感覚だけにそちらも気になっている。
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孤立から仲間とともに。
幸せな物語であることは間違いないが、後半はストーリーの落とし込み方に苦労があったのではないか。
夢想と空想がつながり、そこに過去の現実があった。ワンタメニーがキーパーソンだったなんて。
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ジブリの映画を前にテレビで見ていて、でもうる覚えだったので本を手にしました。
子どもの頃、大好きだった児童書のなつかしい感じ。
児童書といってもあなどれません。すごくいいお話だった。ファンタジーなところもありつつ、人間性や人間愛について深いなぁと思わせるところあり。
心を閉ざしているアンナがマーニーと出会い、村のペグ夫妻やワンタメニーたちに静かに見守られ、少しずつ自分を取り戻していく。リンゼー一家に出会って、また色々と物語が展開していくわけだけど。最後は圧巻のラスト。そうだったのかぁ!映画を見ていたのに忘れていたので、驚きとうれしさと温かい気持ちでいっぱいになりました。
Posted by ブクログ
同名のジブリ映画の原作で、初めて読んだのですが、冒頭から感動…。
孤独な少女アンナが、のどかな地でマーニーやプリシラたち一家と友達になり、成長していくあったかいお話でした。
映画と違うのは、不思議な現象や家族愛に重点を置いているというわけではなく、あくまで友情に重点を置いているというところでしょうか。
ただ、先に観た映画の方を好きになりすぎて、後半からあんまり感情移入できなくなったのがちょっと残念です。
先に読むべきだったかな…。
Posted by ブクログ
上巻はうーん、ちょっと情景が浮かびにくいなという感じ。でも下巻は一気に読めた。アンナが現実世界となじんでいく過程が好き。
アンナの周りにはいろんな大人がいたけど、ミセス・リンゼー、ミスター・リンゼーのようなタイプのひとはそれまでいなかったのでは。このふたりと出会えたことで彼女の価値観が大きく変わったように感じた。
映画は観ていないのでこれを機に観てみようかな。
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原作は映画よりも、アンナとマーニーの真実についてさらっと書かれていたのだと気づけて、それもまた良いと思いました。
リンゼー家の人たちとの出会いによって、さらに変化していくアンナを感じることが出来て、自分も満たされた!
と同時に、翻訳って本当に大事なんだなと思う。
言い回しとか言葉の選び方で印象がガラリと変わると思うので、文庫で出ている方も読んでみたい。
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人の世界には内側と外側がある。そして自分は「外側」の人間であると、周囲と自分に高い壁を作り嫌なことがあっても「何も考えない」ことで乗り切ろうとする少女アンナ。
海辺の町に引っ越してきたアンナは、一軒の屋敷に住む少女マーニーと出会い、秘密を共有する親友となる。
上巻では周囲とうまく馴染めないアンナの苦悩とマーニーとの不思議な出会いが、下巻ではアンナに訪れる変化と新しい出会い、そしてマーニーに隠されていた謎が解き明かされていく。舞踏会、森、そして風車小屋…マーニーと過ごした時間は、アンナの固く閉ざした心を溶かし変化と成長に大きく影響を与える。
人は「外側」と「内側」を行ったり来たりしながら周囲と付き合っていく。「外側」であろうと「内側」であろうと、それぞれから見える景色は自分の一部となり、思い出となった出会いも自分の心にしっかりと刻まれ、糧となる。
2014年夏公開ジブリ映画の原作本。
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ジブリ版との差異検証用の元ネタ下巻
風車小屋事件が冒頭で描かれた後は、追加の登場人物など趣を変えて謎解き編に続く。
ジブリ版は、事件と謎解きが同時進行してサスペンスを盛り上げる構成に脚色しているが、元ネタはいたってシンプル。
?しめっち屋敷へ引越してくる子供は原作は何と5人兄弟(盛りすぎだなあ)
?発見されたマーニーの日記からエドワード関連のページが破り取られているというのはジブリ版のアレンジらしい。
?最後の謎解き前に、アンナとおばちゃんの和解はあるが、「おかあさん」とまでは呼ばない。
?アンナに盗癖が?
小銭、マーニーのボートの錨。前者はちょっと生々しく、ジブリ版ではどちらもオミットされている。
?ワンタメニーが生き証人の役回りなのだが
物証的な迫力がなく、いまひとつ伏線になっていない。
?結局、風車小屋事件の真相って
エドワードに克服を迫られていたマーニーは遂にひとりで行くことに
↓
2階スペースで怖くて?気を失う(風の強さに外に出られなくなる)
↓
マーニー行方不明の知らせを受けて、村で捜索隊が編成される。
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心当たりのあったエドワードは、いち早く風車小屋でマーニーを発見。ふたりで小屋を出る。
↓
ばあや、ねえやのネグレクト、ライトないじめが明るみに
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マーニー寄宿学校行きに
原作では、アニメで印象に残った、風車小屋のマーニーに男性ものの外套がかけられているような描写(妄想、回想ともに)はなし。
こちらも、米田監督のフェチ的な絵作りと思われる。
(サイズの大きい男性もののコートで身体を隠してシクシク泣いている女性という画は、そういう連想しか湧きません。勘違いしました。本当にありがとうございました)
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アンナはずっと忘れていたけど、心の奥底ではずっと覚えていた。誰にも愛されていないと思っていたけれど、ちゃんと愛されていた。
「あたし、知ってたわ。ちゃーんと、知ってたわ!」アンナはもう大丈夫だろうと思う。マーニーを知って、本当の自分を知ったから。
終わり方が素敵でした。
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ジブリの映画のやつは以前見たのですが、話の内容をすっかり忘れていたので、楽しめました。そんな曖昧な記憶の中で読んだ身としては、映画は原作とやや異なる部分はあるものの、原作のお話をうまく再現していたな、と思います。上巻ではマーニーって何なんだろう、と不思議に思って読んでいたのですが、下巻ではその答え合わせがされていきます。「なるほど、そういうことか!」と思いました。下巻の方が面白かったです。
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マーニーとの日々の交流を通じて少しずつ他人に心を開けるようになるアンナ。
マーニーと会えなくなるも、新しい友だちを得て充実した夏休みの残りを過ごしていく。
少し謎解きの要素もあり、少しずつ事実が明らかになる過程には心躍る。
大人たちとの関係も改善し、少し成長する少女の姿が爽やかな読後感。
Posted by ブクログ
ジブリ映画を見て、原作を読みたくなったので読んでみた。
映画は舞台を日本に変えて、登場人物も変更されていたので、原作は別物として楽しんで読めた。
映画よりもシビアな人間関係だったが、その分、新しい友情関係に救われた。
導入は暗い印象で、児童文学っぽくなかったが、ハッピーエンドで良かった。
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上巻と違って明るい内容が多くて読みやすかった。五人兄弟良い子すぎる。こういう大勢でわいわい遊んだり泊まったりするワクワク感がすごくにじみ出ていてわかりやすかった。マーニーの正体よりもアンナの成長ぶりの方が印象深い話だった。