【感想・ネタバレ】嵐が丘 下のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

この小説の素晴らしいところをわたしなりに3つあげてみよう。

ひとつ、設定が優れてよい。物語の舞台となるのは、ヒースクリフ咲く丘の一件の屋敷。その丘は遮るものがなにもないために、一年中強い強い風が吹く。ゆえに「嵐が丘」とあだ名される。荒涼とした大地と空。それでも秩序よく暮らす領主一族のもとに、ある日ひとりの少年がひきとられることとなる。「ヒースクリフ」と名付けられた少年と領主の娘。彼らは強く惹かれあうが、互いを愛すれば愛するほどに憎しみが増す。憎むことでしか愛を表現できない悲しい恋は、やがてこの一族を破滅へと導く。嵐のような愛。

またひとつ、作者の語り手の人選がよい。この物語をわたしたちにきかせてくれるのは、もちろん複数人いるわけだが、おもにこの屋敷に使えるばあやが語る。このばあやがなんともよい仕事をしている。ばあやは、基本的に冷静につとめて客観的に事態のいきさつを話すが、ときどきばあやの主観がポロリと漏れることがある。「おいおいばあや、心の中とはいえそんなこといってよいのかい」とツッコミたくなったり、彼女が一枚噛むことによって物語がより重層的になる。筋を追うだけの生真面目な作業を読者にさせないのである。
くわえて、たとえばばあやでなくて、ヒースクリフなり屋敷の娘キャサリンなり、どちらかの視点、あるいはどちらもの視点でこの物語を紡いだ場合、今日までも版を重ねるほどのスーパーベストセラーにはならなかったのではないかとわたしは考える。というのも、ばあやが語るのは、この史的稀にみる不器用なふたりの愛憎劇だけでなく、その背景となる嵐が丘全体の物語であり、近しい第三者が証言するからこその(作品上の)リアリティーが物語を壮大にさせる。もし主人公たちの視点で書かれていたならば、おそらくはこうはならず、恋愛に関することを超えたメッセージを発することはできなかったのではなかろうか。

さいごにひとつ、物語の構成が妙である。長編小説は、長いがゆえに中だるみが生じたり(正直こんなに紙を使う必要があるのかと疑問が湧く作品も多数)、おわりに向かって作者都合になったり、そもそもはじまりがどんなものだったのか忘れてしまうぐらい読者を疲弊させる場合がある。わたし個人は、正直なところ長編小説は苦手であり、上下巻などあるものは相当におもしろくないかぎり読みきれる自信がないくらいだ。『嵐が丘』の場合、先に述べた懸念は不要である。はじまりはたしかに謎が多過ぎて、読み進めようかいったん積読にまわそうか迷った。しかし、はじまりが霧に満ちているからこそ先に進みたくなる。おわりを読まずにはいられない。『嵐が丘』は、他の優れた作品と同じように、物語が循環する。はじまりからおわりまでの直線ではなく、はじまりがおわりであり、おわりがはじまりなのである。興醒めな作品の場合、起点から広がる小宇宙がおわりにむかってしぼんでしまう。おわらせようとする作者の意識が邪魔だてをするのである。しかし、『嵐が丘』は違う。小宇宙はしぼまず、着地点に到達したつぎの瞬間に言葉のひとつひとつがつながりひとつの有機体をつくる。そして起点にもどるのである。はじまりの時点でおわりを書いている。作者の手から離れて、ヒースクリフとキャサリンが駆けた風荒ぶ丘は、読者の頭のなかにたしかな重みをもってあらわれるのである。

以上がわたしの考える『嵐が丘』の素晴らしいところである。あとにもさきにも、これほど先を急いで読んだ小説はない。古典ではなく、わたしには生きた物語である。

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2016年12月07日

Posted by ブクログ

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19世紀前半、ロンドンから田舎のヨークシャーに療養のため、ロックウッドはスラッシュクロスの屋敷に越してくる。
そのスラッシュクロスと嵐が丘という2つの屋敷の間で2代にわたって起きた復讐劇。
そのことについて、家政婦であるネリーがロックウッドに話し、その後回想を経て物語の鍵となる悪童ヒースクリフが他界しロックウッドがその墓を訪れるまでを描いた作品である。

ヒースクリフは嵐が丘へ拾われてきてそこの娘であるキャサリンと恋に落ちる。
しかし、キャサリンはヒースクリフとの身分の違いからスラッシュクロスに住む長男エドガーと結婚する。
そこからヒースクリフは2つの屋敷を自らの手中に収めようと復讐劇を企てる。
その内容が禍々しいことこの上ないのだが重要なネタバレになるので、割愛する。

作中を通してこの2つの屋敷には異質感が漂っている。
語り手であるネリーと聞き手であるロックウッドがわりと平凡なのに対して、
物語の登場人物は誰も彼もエッジがきいていて共感できる要素がこれといってない。
世界がこの2つの屋敷だけで確立されているような感覚になる。
その異質感に引き込まれて上巻の中盤以降はページをめくる手がとまらなくなった。

恋愛小説でもなければミステリーでもないし、
読んでスッキリするわけでもなく、
むしろ逆に心をかき乱されたような感覚になる。
しかし、面白い。
この面白さがなんなのかうまく表現する言葉が見当たらない。
それを探すためにまた本書を手に取る日が訪れるだろう。

さて、本書を通じて一番感じたのは翻訳と言う役割の重大さである。
本書を手に取る前に新潮文庫版も購入し読んでみたが、
こちらは100ページすら読めず放置してしまったし、
今後も読み返すことはないだろう。
これまでに洋書を手にとってもその面白さがわからない本が幾つか出会ってきたが、それは翻訳に寄るものが大ききかったのかもしれない。
そう思うと原書で読んでみたいという好奇心が語学の探究心を書き立たせてくれる。
こんな感覚を持ったことはこれまで一度もなかった。
そういうわけで趣味レベルで語学に打ち込むのもいいのかもしれないと思えたことは収穫だった。
(本当に取り組むかは甚だ怪しいが…)

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2013年02月21日

Posted by ブクログ

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文庫だし、字が大きめで読みやすい。「世界名作全集」みたいのだと字が小さいので読みにくいと思う…。
いやーこれ、面白いです。なんかこゆ「古典の名作」って難しそうで敬遠しがちですが、なんというか昼ドラっぽいというか、良い意味で俗っぽい面白さがあるんですな。展開が読めなくて目が離せなくなる。
ヒースクリフの性格が最後までつかめなくて、憎まれ役なのに憎めない。キャサリン(母)も無茶苦茶な性格なんですが憎めない。他にもみんなちょっと友達にはなりたくないタイプの人々ばかりなんですがそれでもなんだか面白いんだよなあ。
ふしぎ。

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2012年06月27日

Posted by ブクログ

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嵐が丘を読んでいるときにキャサリン(母娘とも)とネリーに「何でそんかな余計ことするの!?」と何度言いたかったことか…。笑
「ページを繰るのももどかしい」(当時の書評らしい)って本当。名作って名作って呼ばれるだけあるよねぇ、って改めて思った。
ヒースクリフが最後までヒースクリフなのがよかった。

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2010年12月19日

Posted by ブクログ

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結局誰も彼も救われない。
死は平等に降り注いで、そこに善良なのか等関係なく降り注ぐ。それだけ待って生き長らえたヒースには賛辞を。

狂おしい程の執着と愛と憎しみが面白い。

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2011年09月11日

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