【感想・ネタバレ】嵐が丘 下のレビュー

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Posted by ブクログ

めちゃくちゃ濃い。
無駄な一節はひとつもない。
いっきに読めてしまう傑作。
エミリーブロンテ、夭折しなければ他にどんな傑作が書けたのだろう。

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2023年09月22日

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これから私は、草にそよ吹くかすかな風に耳をすます時を思うだろう、静かな大地に休む者達よ安らかであれ…と

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2023年02月11日

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復讐が遂げられたかに思えたところから、一転、幸福の歯車が回り始める。
キャサリン2世がアーンショーを肯定するところが肝か。それも文字の学習で肯定する。
教育によって格付けされた社会が、教育によって相手を認めるようになる。一方は背伸びし、一方は膝を曲げる。

出自も分からないヒースクリフを認めてくれたのは、始めは旦那様。次にキャサリン1世。そのキャサリンを育んだのは、旦那様とヒンドリー。切れ目のない肯定の輪がある。そこに借家人と召使いも組み込まれている。

生きている間だけではなく、死んでからともに埋葬されるというのは一種の天国だ。それもキャサリンと最終的に結ばれてしまった、その夫を排除することなく。
これは社会のあり方だ。

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2021年05月31日

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ヒースクリフの最期は全く想像していなかった
負の感情だけでここまで面白くなる小説は稀有 バッドエンドかと言われると全然そんなことはないから後味も良い 何もかも面白かった

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2018年02月11日

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ネタバレ

この小説の素晴らしいところをわたしなりに3つあげてみよう。

ひとつ、設定が優れてよい。物語の舞台となるのは、ヒースクリフ咲く丘の一件の屋敷。その丘は遮るものがなにもないために、一年中強い強い風が吹く。ゆえに「嵐が丘」とあだ名される。荒涼とした大地と空。それでも秩序よく暮らす領主一族のもとに、ある日ひとりの少年がひきとられることとなる。「ヒースクリフ」と名付けられた少年と領主の娘。彼らは強く惹かれあうが、互いを愛すれば愛するほどに憎しみが増す。憎むことでしか愛を表現できない悲しい恋は、やがてこの一族を破滅へと導く。嵐のような愛。

またひとつ、作者の語り手の人選がよい。この物語をわたしたちにきかせてくれるのは、もちろん複数人いるわけだが、おもにこの屋敷に使えるばあやが語る。このばあやがなんともよい仕事をしている。ばあやは、基本的に冷静につとめて客観的に事態のいきさつを話すが、ときどきばあやの主観がポロリと漏れることがある。「おいおいばあや、心の中とはいえそんなこといってよいのかい」とツッコミたくなったり、彼女が一枚噛むことによって物語がより重層的になる。筋を追うだけの生真面目な作業を読者にさせないのである。
くわえて、たとえばばあやでなくて、ヒースクリフなり屋敷の娘キャサリンなり、どちらかの視点、あるいはどちらもの視点でこの物語を紡いだ場合、今日までも版を重ねるほどのスーパーベストセラーにはならなかったのではないかとわたしは考える。というのも、ばあやが語るのは、この史的稀にみる不器用なふたりの愛憎劇だけでなく、その背景となる嵐が丘全体の物語であり、近しい第三者が証言するからこその(作品上の)リアリティーが物語を壮大にさせる。もし主人公たちの視点で書かれていたならば、おそらくはこうはならず、恋愛に関することを超えたメッセージを発することはできなかったのではなかろうか。

さいごにひとつ、物語の構成が妙である。長編小説は、長いがゆえに中だるみが生じたり(正直こんなに紙を使う必要があるのかと疑問が湧く作品も多数)、おわりに向かって作者都合になったり、そもそもはじまりがどんなものだったのか忘れてしまうぐらい読者を疲弊させる場合がある。わたし個人は、正直なところ長編小説は苦手であり、上下巻などあるものは相当におもしろくないかぎり読みきれる自信がないくらいだ。『嵐が丘』の場合、先に述べた懸念は不要である。はじまりはたしかに謎が多過ぎて、読み進めようかいったん積読にまわそうか迷った。しかし、はじまりが霧に満ちているからこそ先に進みたくなる。おわりを読まずにはいられない。『嵐が丘』は、他の優れた作品と同じように、物語が循環する。はじまりからおわりまでの直線ではなく、はじまりがおわりであり、おわりがはじまりなのである。興醒めな作品の場合、起点から広がる小宇宙がおわりにむかってしぼんでしまう。おわらせようとする作者の意識が邪魔だてをするのである。しかし、『嵐が丘』は違う。小宇宙はしぼまず、着地点に到達したつぎの瞬間に言葉のひとつひとつがつながりひとつの有機体をつくる。そして起点にもどるのである。はじまりの時点でおわりを書いている。作者の手から離れて、ヒースクリフとキャサリンが駆けた風荒ぶ丘は、読者の頭のなかにたしかな重みをもってあらわれるのである。

以上がわたしの考える『嵐が丘』の素晴らしいところである。あとにもさきにも、これほど先を急いで読んだ小説はない。古典ではなく、わたしには生きた物語である。

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2016年12月07日

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第2部は、第1部にも増して、登場人物らの強烈な言動で読者を戦慄させながらも、悲劇的結末と未来への希望を残す終盤へ、物語は無窮動的に進んでいきます。まさに名作。

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2016年04月29日

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いまさら何を言うべきかという名作。「想い死に」というものの実在を予感させるような、一方でその不可能性を立証するような小説。再読を自らに課したい。

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2014年01月25日

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ページを捲るのももどかしいほど、といわれた通り本当におもしろかった!
死ぬほど愛するとはこういうことか。

キャサリンとヒースクリフは似た者同士。愛は相手そのものを見ていない幻想だと福永武彦が書いていたことを思い出す。二人ともお互いのもはや偶像化した魂を愛していたように思える。命をかけた崇拝、執着、憎悪。愛によって生きるがそれによってまた命が削られていくようなエネルギーを感じた。

下巻p336から、ヒースクリフの人間的な感情が初めて流れだしたシーンがすごい。あーーーーもう感想文なんか書いていられないです。素晴らしいです。全く意味は違うけれど、ハリーポッターのセブルスの真実を知ったときのような感動。なんて素敵なんだろう。愛のためにここまでする人がいるのか。それとも悪魔か。

ヒースクリフが出会うすべての人を歪めていく中で、ネリーだけは一貫していて安心できる。彼女のお陰でまとまったようなものだ。すごい。

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2013年09月03日

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ネタバレ

19世紀前半、ロンドンから田舎のヨークシャーに療養のため、ロックウッドはスラッシュクロスの屋敷に越してくる。
そのスラッシュクロスと嵐が丘という2つの屋敷の間で2代にわたって起きた復讐劇。
そのことについて、家政婦であるネリーがロックウッドに話し、その後回想を経て物語の鍵となる悪童ヒースクリフが他界しロックウッドがその墓を訪れるまでを描いた作品である。

ヒースクリフは嵐が丘へ拾われてきてそこの娘であるキャサリンと恋に落ちる。
しかし、キャサリンはヒースクリフとの身分の違いからスラッシュクロスに住む長男エドガーと結婚する。
そこからヒースクリフは2つの屋敷を自らの手中に収めようと復讐劇を企てる。
その内容が禍々しいことこの上ないのだが重要なネタバレになるので、割愛する。

作中を通してこの2つの屋敷には異質感が漂っている。
語り手であるネリーと聞き手であるロックウッドがわりと平凡なのに対して、
物語の登場人物は誰も彼もエッジがきいていて共感できる要素がこれといってない。
世界がこの2つの屋敷だけで確立されているような感覚になる。
その異質感に引き込まれて上巻の中盤以降はページをめくる手がとまらなくなった。

恋愛小説でもなければミステリーでもないし、
読んでスッキリするわけでもなく、
むしろ逆に心をかき乱されたような感覚になる。
しかし、面白い。
この面白さがなんなのかうまく表現する言葉が見当たらない。
それを探すためにまた本書を手に取る日が訪れるだろう。

さて、本書を通じて一番感じたのは翻訳と言う役割の重大さである。
本書を手に取る前に新潮文庫版も購入し読んでみたが、
こちらは100ページすら読めず放置してしまったし、
今後も読み返すことはないだろう。
これまでに洋書を手にとってもその面白さがわからない本が幾つか出会ってきたが、それは翻訳に寄るものが大ききかったのかもしれない。
そう思うと原書で読んでみたいという好奇心が語学の探究心を書き立たせてくれる。
こんな感覚を持ったことはこれまで一度もなかった。
そういうわけで趣味レベルで語学に打ち込むのもいいのかもしれないと思えたことは収穫だった。
(本当に取り組むかは甚だ怪しいが…)

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2013年02月21日

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ネタバレ

文庫だし、字が大きめで読みやすい。「世界名作全集」みたいのだと字が小さいので読みにくいと思う…。
いやーこれ、面白いです。なんかこゆ「古典の名作」って難しそうで敬遠しがちですが、なんというか昼ドラっぽいというか、良い意味で俗っぽい面白さがあるんですな。展開が読めなくて目が離せなくなる。
ヒースクリフの性格が最後までつかめなくて、憎まれ役なのに憎めない。キャサリン(母)も無茶苦茶な性格なんですが憎めない。他にもみんなちょっと友達にはなりたくないタイプの人々ばかりなんですがそれでもなんだか面白いんだよなあ。
ふしぎ。

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2012年06月27日

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ホラー!?ってぐらい怖かった。ヒースクリフの憎悪がハンパやない。出てくる登場人物が全員ヤバイ。まともな人間はこの物語の聞きてであるロックウッドと、話してであるディーンさんぐらい?ディーンさんも時々間抜けでイラつくけど。イヤ~な物語なんだけど、めちゃくちゃ面白いからグングン読める。タイトルは知ってるけどまだ読んだことないって人はぜひ読んでみてほしい!

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2012年02月08日

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ネタバレ

嵐が丘を読んでいるときにキャサリン(母娘とも)とネリーに「何でそんかな余計ことするの!?」と何度言いたかったことか…。笑
「ページを繰るのももどかしい」(当時の書評らしい)って本当。名作って名作って呼ばれるだけあるよねぇ、って改めて思った。
ヒースクリフが最後までヒースクリフなのがよかった。

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2010年12月19日

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「ヒースクリフは、わたし以上にわたしだからなの。 魂が何で出来ているか知らないけど、 ヒースクリフの魂と私の魂は同じ」
「いつかわたし、天国へ行った夢を見たのよ。 ただ、その夢の中で天国にはなじめない感じがして、 地上に帰りたくて胸が張り裂けるほど泣いたら、 天使達が怒って、私を荒野に放り出したんだけど、 落ちたところが嵐が丘のてっぺんで、 嬉し泣きして目がさめたわ。」

この時に天国から放り出されたキャサリンが (下巻)でヒースクリフの前に現れたのでしょうか。
天国すら霞むほど、地上のたった一人を愛してみたいものです。

著者エミリー・ブロンテは 家からあまり出たことのないおとなしい女性でこの物語を書き終えてすぐ三十歳という若さで 亡くなってしまったという。 間違いなく、命を削って魂をこの物語に注ぎ込んだのでしょう。 でなければ、この異常な程の力強さは、 一人の胸に納まるにはちと凶暴すぎる。

それでも、荒涼とした大地では、 心地よいそよ風にヒースが微かに揺れて、 こーんなに穏やかな最期だとは思いもしなかった。 何だこの読み終わった後の妙にさっぱりとした穏やかさは。 胸の中心、持ってかれました…。

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2009年10月07日

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陰気くさいメロドラマとしか言いようがない。
訳者にこだわったので、読みやすかったのが幸い。名作だとは思う。

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2016年09月28日

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流石に最後の、ヒースクリフがなにものかにとりつかれたような死を遂げるシーンは圧巻。彼の一生は本当に孤独だったんだろうなぁ、と今回、しみじみ彼に同情しました。

他者から傷つけられた痛みや、キャサリンとの失恋を、外で別の方法で癒やすことができていたら、彼の人生も変わっていたんだろうなぁ、と思います。
でも、それだけキャサリンの存在が彼にとっては大きかったんだろうな。

決して幸せではないけど、不幸せでもない死に方だったのでは。
読んでいて切なくなりました。

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2016年01月10日

Posted by ブクログ

エミリー・ブロンテが1847年に発表した唯一の長編小説。イギリスのヨークシャーにある2つの館"嵐が丘"と"スラッシュクロス"を舞台に、ヒースクリフの愛と復讐を描いた作品です。ヒースクリフ以外にも、一癖も二癖もある登場人物ばかりで魅力的なキャラクターが皆無な気もするのですが、それでも続きが気になっていまい、ページをめくる手が止まらなくなります。作中でヒースクリフ自身もネリーに語ってますが、ラストまで読むと彼が道化師に見えてきてしまい、少し可哀想になってしまいました。ある意味ハッピーエンドの作品かな。

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2015年08月24日

Posted by ブクログ

互いに憎しみ合って、いやな話なのに、惹きつけられる。

特に残り1/3はそれこそ頁を繰る一瞬も惜しい程のめり込んでしま

った。

復讐の完遂間近にしてヒースクリフを襲う苦悩と、カタストロフに

胸を打つと同時に、最後に残った希望の光にほっとした。

またいつか、やむにやまれぬ衝動に、嵐が丘を手する日がくるのだ

ろう。

この岩波版は1847年初版のものをテキストにしているので、1850年

の、エミリの死後姉シャーロットによって文章整理が行われたテキ

ストのものも読んでみたい。

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2011年11月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

結局誰も彼も救われない。
死は平等に降り注いで、そこに善良なのか等関係なく降り注ぐ。それだけ待って生き長らえたヒースには賛辞を。

狂おしい程の執着と愛と憎しみが面白い。

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2011年09月11日

Posted by ブクログ

この本に出てくる登場人物はほとんどの人が感情がむき出しで、とにかく激しい。なんなんだこの人たちと思うが、その分登場人物一人ひとりの気持ちにも感情移入しやすい。
また結構長い話だが一気に読ませる力があって何回読んでも様々な楽しみ方ができる。

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2011年04月14日

Posted by ブクログ

内容については上巻に記載

翻訳について

この新訳はとっても読みやすかったです。原書は難しくて読めなかったのでどっちが正確かは言えませんか、どちらも読んだ身としては(旧訳は空っぽの大学時代に読んだため比較していいかわかりませんが)こっちがおすすめ

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2011年03月16日

Posted by ブクログ

ツイッターから引用

2011年01月26日(水) 2 tweets
小説:嵐が丘:サディストとダメ人間しか出てこないのか。
posted at 22:40:24

小説:嵐が丘:キューブリックの『シャイニング』を横目にしながらラストスパート。ジャックとヒースクリフのどっちがひどい親父かな。
posted at 23:07:12


2011年01月27日(木) 1 tweets
小説:嵐が丘:ヒースクリフが、未来のある三人の子供の人格も人生もめちゃくちゃに破壊していく過程は、マジで怖いよな…。下手なホラー小説より上を行ってる。
posted at 00:04:36


2011年01月28日(金) 2 tweets
小説:嵐が丘:ヘアトン、リントン、キャサリンの三人が互いを傷つけ合うフェイズも怖いよな…。
posted at 00:49:02

小説:嵐が丘:河島弘美先生の解説によると、『嵐が丘』に登場するヨークシャーの自然描写、法律設定などは相当正確らしい。エミリー・ブロンテは30歳の生涯で一作の長編小説だけだが、そうとう入れ込んで書いたんだろう。
posted at 00:51:52

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2011年01月28日

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悲痛な展開の中でキャサリンお嬢さんの成長だけが僕の救いだった。
ロックウッド氏の立ち位置は絶妙だ。
満足度7

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2010年10月12日

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世界的名作ともいえるこの小説。
はっきり言っておもしろかった。
まさに「ページを繰るのももどかしい」という感じ。上下2冊の文庫本を4日で読んでしまいました。
19世紀の女性が書いた小説が21世紀の読者にこんな思いを抱かせるとは。そういうところもまた読書の醍醐味。

舞台はイギリス郊外の荒野に立つ2軒の家。登場人物もそこに住む人々。それだけです。
わがままお嬢様キャサリンと、拾われてきたひねくれ坊主ヒースクリフの愛憎劇。
なんか、これだけだと、安っぽい昼ドラ的な内容をイメージしがちだけど、もっと、こう、凝縮されたエネルギーが渦巻く、非常に濃い小説です。

個性的な人物、荒野に立つ館の情景ともに描写が巧み。
あふれる感情にまかせて書いたように見えるけれど、実はけっこう緻密に書かれている。うーん、スゴイ。

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2010年09月17日

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2010/3/1(~54)2(~106)3(~114)4(~170)8(~378終)

必読書150にて紹介されていた、すごく賞賛高い作品。
とてもよかった。
狂気・憎悪・悲観に満ちた主人公達も多く、多少暗い内容なのだけれど、上下ともに、読み始めると止まらなくなる不思議な作品だった。
とてもおもしろかった。

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2010年03月08日

Posted by ブクログ

最近になって初めて手にしてみた嵐が丘。この邦訳がいいと聞いて選びましたが、本当に読みやすかったです。話はとにかく面白くて上下あっという間に読めました。率直な感想は、愛と狂気は紙一重、といったところでしょうか。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

キャサリンとヒースクリフの純愛

ヒースクリフがキャサリンの面影を感じたり、
ヘアトンに自分を重ねるところは切なくなったが、
人の道を踏み外して行ってきた悪魔のような行いの
数々を忘れられなかった
(希望の埋葬方法もエドガーが不憫だった)

キャサリンとヘアトンが幸せでありますように

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2024年01月11日

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終盤の、ヒースクリフの心情吐露。グッときた。


まあ全体的には、
登場人物が何故そのように思ったのか?というのが
さっぱり理解できなくて、よくわからない話だったんだけど。

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2014年04月10日

Posted by ブクログ

ブロンテ姉妹の二番目エミリー(1818-1848)の唯一の長編小説、1847年。原題は"Wuthering Heights"で、直訳すれば「風吹きすさぶ丘」といったところか。これを「嵐が丘」と初めて訳したのは英文学者の斎藤勇で、中野好夫らの師にあたる。この訳語には、日本語読者の内にめいめいに或る荒涼とした風景を思い描かせるだけの力がある。それが読者にとって読書時間を過ごすことになるこの小説世界の舞台となるのだ。いつまでも継がれていくであろう名訳である。

近代英文学に、これほどスケールの大きな悲劇を描き切った、「悪」を造形し切った、小説があったことを初めて知り、読後しばし呆然とする。本作品には、個性的という以上に、各々がそれぞれの形で常軌を逸した激した性格を持つ者たちばかりが登場する。人間性が否応もなく歪められてしまった、狂気の持ち主たち。そんな彼ら・彼女らの愛憎劇である以上、それはどこか【運命】的な趣きさえ帯びた悲劇ではないか。

「やけっぱちの男にとっちゃ、こいつ[銃身に飛び出しナイフのついたピストル]はすごい誘惑さ、そうだろう? ・・・。そんなことはやめろ、と直前までは山ほどの理由を並べて自分をおさえようとこころみるが、どうしても行ってしまう」(ヒンドリー)

「あわれみなんか持たんぞ、俺は。これっぽちもな。虫けらがもがけばもがくほど、踏みにじってはらわたを出してやりたくなる性分なんだ」(ヒースクリフ)

「おれの血を引く者がやつらの土地屋敷の持ち主に堂々とおさまるのを見て、勝利を味わいたい。おれの子がやつらの子供たちを雇い、賃金をもらって先祖の土地を耕す身分に落としてやる」(ヒースクリフ)

「なにしろ、あいつ[ヘアトン]、自分の野蛮さを自慢に思っているくらいだ。動物レベルを越えるようなことはいっさい、軟弱でつまらんと軽蔑するように、おれが教え込んだ」(ヒースクリフ)

「自分[リントン・ヒースクリフ]の苦しみには同情でき、お嬢さん[キャサリン・リントン]にも同情してもらいながら、お嬢さんの苦しみには同情しようともしないのね」(ネリー)

「そんなことはわかっているさ。しかし、あいつ[リントン・ヒースクリフ]の命には一文の価値もない。そんなやつに一文だってかけるつもりはないね」(ヒースクリフ)

卑しい出自として虐げられた怨念とキャサリン・アーンショーに対する愛憎が、ヒースクリフをして憑かれたようにアーンショー家とリントン家に対する復讐劇へ駆り立てる。虐待に対する反発として、ヒースクリフは自らが虐待者となって帰ってくる。一方、彼の虐待によって自尊心を挫かれてしまった者には、虐待者に対して自発的に隷属してしまう奴隷根性が根を下ろす。或る人間の内に悪が植えつけられて悪魔的な所業を為し、それによって別の人間が人間的でなくなっていく描写は、実に濃密で息も詰まらんばかりだ。

「おれの宮殿をこわして、かわりに建てたあばら屋をあてがいながら、さも立派な慈善事業でもしたような顔をされても困るのさ」(ヒースクリフ→キャサリン・アーンショー)

「この世はすべて、かつてキャサリンが生きていたことと、おれがあいつを失ったことの記したメモの、膨大な集積だ!」(ヒースクリフ)

人間として【運命】的な内なる悪と、それが生み出す悲劇の普遍性を描いた作品であると云える。現代まで続く無数の通俗的物語の雛型となっているのも、その普遍性ゆえだろう。

河島弘美訳は、物語の激しさを損なうことなく、かつ実に読み易い。

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2013年08月17日

Posted by ブクログ

時代も場所も大きく離れているのに、ここまで面白く読めたのは初めてかも。すごいなあ。ヘアトン可愛いです。

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2013年02月12日

Posted by ブクログ

ヒースクリフたちの次の世代が話に加わります。

親の世代と子供の世代の違いや、
まぶしい子供たちの姿に自らを省みるヒースクリフ。
そんな図式は好きです。

復讐ってやっぱり何も生まないのでしょうね。

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2012年12月03日

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