感情タグBEST3
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水辺、ボートの上、シャワー室。方向感覚のない水の中でもがいているような、あてどない息苦しさ。10代の頃のひりひりした気持ちがよみがえってくる。文句のない傑作。最後の主人公の決意に、涙が出た。
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恋人なら時機が来たら別れられるけど、
私は私を別れさせることができない。
死なない限り。
どんなに私を嫌いになってしまったとしても。
自我にとらわれて逃れられなくなってしまった人の複雑ないったりきたりがリアルに描かれていたと思う。
描画のシンプルさに比べて話の内容がかなり入り組んでいたこの裏切られ感が未だにどうにも処理できずにいる。よい意味で。
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リフレイン。
脚本と作画、
それぞれ自分の理想を具現化する。
そのずれが面白い。
ささくれを。ぴーっと剥くと。カラダを一周する、夢を見た。
死に直面しない唯一の方法は、自分が死ぬこと。
前の仕事忙しくてさ。あのままだと、死んだ母親のこと。忘れちゃいそうだったからさ。
Posted by ブクログ
演劇には疎く、マームとジプシーも藤田貴大も名前しか知らないという程度なのだけれど。
おそらくふたりの相性抜群というか、お互いに魅力を引き出し合っているのだろう。
リフレイン……というか、アラン・ロブ=グリエのヌーヴォー・ロマン「快楽の館」を思い出した。
「快楽の館」レビューで書いたのは、(以下引用)
◇起きていること自体は単純なもの。
◇小説に限らず映画、絵画すべて「お話のある芸術」には当てはまることだが、「何を伝えるか」同様に「何を伝えないか」が作品を決定する。
◇読者を翻弄する。
◇スポットのあたらない箇所、カメラの向けられない箇所、言及されない箇所をずっしりと袋に詰め込み背負ったまま、繰り返す。
◇繰り返し、ズレていく。食い違っていく。
◇すさまじく客観的な描写だが、スポットをどこに置くか、取捨選択においては極めて主観的。
◇そんな酩酊状態に叩き込まれる、語り手からの「だがそんなことはどうでもいいではないか?」
◇そしてローレンの眼のなかにはなにもない。
◇わけがわからないなりに「体験」だった。
(引用以上)つまりリフレインの中で見せたり見せなかったりしながら、ズレや食い違いを見せることで、想像させる。
読者を(観客を)創造行為に引っ張り込む。
と、いう特徴に加え、百合、少女、嘘、とくれば、好きでないはずがない。
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今日マチ子の「今日マチ子」性をマームとジプシーの藤田貴大が存分に引き出した「mina-mo-no-gram」という物語。
マームとジプシーらしさとして、リフレインという手法が存分に用いられていますが、僕らの実人生もやはり「靴を履いたり、脱いだりする毎日」の繰り返しなのじゃないか。
それでも少しずつ、本当に少しずつ前に進んでいく(流れていくと言っても良い、そう水のように)。
それでいて、ふとした瞬間に過去に絡め取られたりする。そして、またそこから始めるのだ。そう、自分の意思で切り開いていかなければならない。過去を振り切るのだ。
生と死とか、希望と絶望とか、両極端なものは一方向にしか進まないのか。なんとなくその間を行ったり来たりしているんじゃないだろうか。その矛盾した二物を抱えながら僕らは、あたりまえに奇跡的な毎日を生きているんだと思う。