【感想・ネタバレ】絶望の裁判所のレビュー

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Posted by ブクログ

良心に基づいた裁判官が排除される厳格な支配体制は、聞きしに勝る。上りつめるか退官を決意すれば果敢な判断ができるという精神的「収容所群島」だというのは、わかりやすい比喩だった。
裁判官から大学に転身した筆者によると、今世紀に入って腐敗が進んだそうで、良心を発揮しようと裁判官を志した友人達の現在が心配になる。その一方、とても裁判官になってから歪んだとは思えない、壊れた人々にも慄然とさせられる。
裁判所に送られる羽目になったら、破滅である。

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2014年12月15日

Posted by ブクログ

普通に読んでも面白い新書、そして刺さる人には刺さる人生の指南書。

まず一般的な感想を。約30年間裁判官を務め、その後民事訴訟法の研究者に転身した著者の経歴を活かし、日本の裁判所と裁判官の闇を暴く告発本。我々が裁判官という人種に対して抱く清廉潔白なイメージとはかけ離れた非常識な言動や、官僚的というだけでなくむしろ旧共産主義国のような裁判所の極端なトップダウン型の思想統制の数々はいちいち衝撃的。

そのような情報価値はひとまず認めた上で、おそらく読者の多くは著者の語り口にマイナスイメージを抱いたのではないかと思う。テーマがテーマだけに仕方がなかろうが、1〜4章あたりでは著者が実際に体験した上司からのハラスメントや事務総局の締め付けへの恨み節(と捉えるしかない記述)がネチネチと繰り返し綴られる。そして著者の裁判官への人物評も、尊敬に値する価値観や人生観に欠けるだとか、本当の教養を備えていないといった具合でいかにも高踏的な印象を与える。ともすれば「著者が裁判官に向いていなかっただけでは?」と本の内容自体を疑いたくなる人もいるかもしれない。

かくいう私も途中までは、著者に対し懐疑的な気持ちを抱きながら読み進めていた。が、第5章から終章にかけて、どうしたことか一転して瀬木比呂志という1人の人間のファンにさせられてしまった。
第5章の章末にて、著者はトルストイの短編『イヴァン・イリイチの死』を引く。イヴァン・イリイチは帝政ロシアの官僚裁判官であり、一見すれば成功したエリート、だがその価値観や人生観は全て借り物、著者の表現によれば「たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系」というものだ。さも悪い人物のようだが、官僚、役人の中でこれはかなり上質の類型だと著者は述べる。そして著者自身すら若いころには「いくぶん自覚的なイヴァン・イリイチという程度の存在」であったのかもしれず、闘病や研究、執筆を通じてどうにかイヴァン・イリイチ的な拘束を脱して1人の人間に立ち返ることができたにすぎないと。
私はこの人間分析に深い感動を覚えた。私だけでなく現代の若者、ことに「センスのある人」に見られようと必死で自身を飾り立て、「人と違う自分」を演出しつつもどこか虚しさを感じているような人は共感を禁じえないのではないはずだ。
自分こそがイヴァン・イリイチなのではないか。そしてそれは、ことによればイヴァン・イリイチにも満たない、自分自身を俗物と信じて疑わない凡庸で素朴な人間よりもずっと醜悪な在り方なのではないか。
また瀬木氏についても、裁判官という基本的にはお堅くてつまらない人間、無趣味で仕事ばかりを生き甲斐にしている人間たちの中にさえ醜悪なイヴァン・イリイチの影を、即ちいびつな自己愛を感じ取ったがために「絶望」に至ったのではないのだろうか。
もちろん、裁判官には没個性さがある程度は要請される面もあるし、他の人よりも多くの時間を仕事に割くのであるから、イヴァン・イリイチを超える本当の人間性を培うことは非常に難しい。結果としてイヴァン・イリイチに落ち着き、自身をひたすら慰撫する人間が出来上がってもそれを非難するのは酷である。他の知的エリートについても概ね同様だろう。
しかし若かりし頃の瀬木氏や今の私のように、自分自身がイヴァン・イリイチであることに我慢がならないナイーヴな人間にとってそれは絶望に他ならない。そしてその絶望からの恢復を果たし、今なお旺盛な執筆活動を続ける瀬木氏は私のような人間にとって尊敬すべき先達といえる。

ここまで穿った読み方をする人はそうそういないだろうが、少なくとも私は、瀬木比呂志という1人の人間の半生を通して、自分自身の人生を生きることの大変さ、それでも気高く生きたいと思える格好良さまでをも教えられた気がした。瀬木氏の他の著書もちかぢか読んでみようと思う。もちろん『イヴァン・イリイチの死』も。

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2023年10月20日

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裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、これまで基本的にそういった言葉とは無縁で存在してきた。わたし自身、そのような文脈で裁判官が攻撃された事例は寡聞にして知らない。要するに、裁判所は正義の組織であるから、いついかなるときも聖人君主のふるまいをしており、絶対的に正しいと思われているのである。しかし、本作を読むと、この考えがたんなる思い込みにすぎないことがよく理解できる。裁判官におけるヒエラルキイ構造など、ひょっとしたら先にわれわれが思い浮かべたような組織よりも、よっぽど硬直的、官僚的かもしれない。そして、さらに驚きなのは、こういった構造が判決などにもじっさいに影響を及ぼしている点である。上司のポイントを稼ぐためには、あまり思い切った判決は出せない。そのためお上の顔を窺いながらつねに金太郎飴のようなおなじ判決が繰り返されるようになり、かくして驚異の有罪率が完成するのである。この本の中にはこのような事例がほかにも数多く掲載されている。自身の実体験をもとに書いている部分も多いが、それでもこの本を読んで、日本の司法制度に対して、タイトルどおり「絶望」を感じずにはいられなかった。

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2016年10月25日

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閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。

思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホルダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。

まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに最大限の注力を図り、なるほど、うまいこと落としどころを見つけたなぁというようなことであればいいわけである。

ところが、「ジャスティス」の実現に関し、一番の権限と、権威を持っている「裁判所」という機関の劣化が激しいと嘆かれている。

一番最初に書いたが、閉鎖的・閉塞社会で官僚組織というのが人間社会において、一番始末が悪いわけである。

日本社会において、今現在、裁判所も含め、閉鎖・閉塞分野において、色んな不都合が起こってきている。

はてさて、このことは、現代日本社会全体で考え、取り組んでいかなければならない課題であるが、私自身としては少々悲観的ですが・・・(涙)。

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2015年06月26日

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 いろんなところで話題になっているから読んでみた。

 一族経営の会社で、顧客や取引先のことなど考えず、常に会長、社長とその取り巻きの意向に戦々恐々としながらも、その意を汲むことに仕事の意義を見出す従業員たち。顧客や取引先からは血も涙もない悪魔、卑劣な極道、と罵られても平気の平左、上層部の意向に沿っていれば身分は安泰だから「愛い奴じゃ、取り立てて進ぜよう」という言葉がかかるのをひたすら待つ。

 逆に「これでは顧客のためにもならないし、引いてはわが社の信頼にも関わるのでないでしょうか」なんて意見を言おうものなら、「ふむ、そんな考え方もあるかもしれんな。それじゃ君、その考え方を広めてきてはどうかね、ここではないどこか遠くで」とのお言葉を頂戴し、左遷させられる。


 多少の良心を持ち合わせていた若手社員も、正論が通じないことと、報復人事を目の当たりにして、黙ったまま時を過ごす。そして、いつの間にかその意に染まる。染まりきれずに良心の呵責に耐えられないものは辞めていくか精神を病む。


 いや〜、ひどい会社だ。こういうモラルハザードを起こした会社は遅かれ早かれ信頼を無くし、倒産するのは間違いない。それが市場原理というものさ、あははははっ!


 と、笑っている場合ではない。


 これは会社を例にとった最高裁を頂点とする裁判所の話だからだ。
 だから残念ながら倒産しない。


 日本の司法は最高裁判所裁判官会議(これがいうなれば会長社長の一族)と事務総局(その腰巾着みたいな組織)によって支配されている。


 最高裁の裁判官になれるかどうかは実力ではなく、前任者たちにいかにうまく取り入ったかで決まる。(昔の派閥政治みたいなもので、派閥のボスに可愛がられたものが大臣に就ける。ただし、派閥が乱立しているわけではないので、破れた派閥は共産圏の権力闘争みたいにほぼ抹殺となり、一人勝ちの状態になる)


 事務総局は最高裁の意向を下々に通達する機関。「おまえら親分の言う事が聞けないってのか」とすごむ若頭的な役割。


 がっちがちの上意下達の組織だ。




 そんな中でも良識を持って、公明正大に頑張っている裁判官もいるんじゃないか、と思われる方いるでしょう。
 安心してください。確かにいます。割合としては5%くらいらしいですが。
 
 最高裁にはいない。上記のような理由で。東京大阪の大都市にある高裁にもいないらしい。
 地方の地裁、高裁などで、定年間近のおじいさん裁判官などは、もう出世にも興味がないので、気骨のある態度で裁判に臨む方がたまにおられるようだ。
 そういう裁判官に担当してもらえたらラッキーだが、上告されたら最高裁で、「なんだ、あのじじいの高裁判決か、癪に障る、覆してしまえ」と量刑が加算されるかもしれない。
 
 裁判官に嫌気がさして、弁護士になる人が年々増加しているとか。


 絶望の裁判所とはよく言ったものだ。
 マスコミはもっと叩かないといけないと思う。政治腐敗の記事はそれこそ腐るほどあるけど、司法の腐敗を追及した記事はほとんど見かけない。判決うんぬんの記事は見かけるが、不可解な判決、常識と乖離した判決がなぜ出されるのか、司法構造の悪弊に目を向けた記事を書いてくれないと、表層の解説記事になってしまう。


 どうにかなんないのか!
 なんだかイライラする。
 


 **お断わり**
 
 本文はめちゃくちゃ硬い文章です。元裁判官の文章だから仕方ありません。こちらで勝手に意訳したレポなので、思い込みの部分はあります。悪しからず。
(ブクレポのタイトルは本に巻いてある帯からの借用)

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2017年08月15日

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元裁判官である著者が裁判所や裁判官の悪い面を書き連ねた本。
本来独立した存在であるはずの裁判官が当事者の方を見ずに、上役の方ばかりを見て仕事をしているというような批判です。
最近何かに付けて裁判裁判とニュースで見かけますが、それが本当に信頼の置けるものなのかは国民として注視すべきでしょう。
マスコミは役人の悪口は殆ど書かないから本書で学習して市民として裁判所の仕事を監視する契機にされたい。

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2022年02月28日

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とても貴重な記録。

33年間、裁判官を務めた著者だけに、
その内容は説得力もあるし、
なによりも、思いのほか、赤裸々に描かれている。

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2020年03月07日

Posted by ブクログ

元裁判官の著者が記した裁判所の実態。

裁判所はその性質ゆえ、官公庁よりも官僚的で、結果として刑事も民事もその内容が恣意的なものになりやすいということがよくわかった。

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2017年10月29日

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延長すれば良かったのに時間切れ 裁判員制度も刑事裁判官の自己顕示欲の道具とか面白いことが書いてある

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2015年04月23日

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多少個人的な感情が混じっている気もするが、裁判所・裁判官の組織の内情が暴露されており、興味深かった。

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2014年11月08日

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裁判所の問題点をボロカスに恨みつらみを込めて色々暴露してる。けども、よくよく考えてみたら別に裁判所だけでなく民間企業だろうが役所だろうが、どこでも似たようなことは起きてるよな。


とまぁこれは作者の価値観についての一方的な暴露なのでどう考えるかは読者自身が考える必要があるとして・・・だ。
してだ・・・。
暴露するだけ暴露ってあとは自由に研究するって、ちょいおま、それはどーなんだと思わないでもないが、まぁ他人の人生なんだから好きにすればいいかとも思う。

できればそこまで暴露するなら改革をしようとする意思を見せてほしかったけど投げっぱなし感がある。もちろん暴露するだけでも十分意義はあると思うが・・・

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2021年11月10日

Posted by ブクログ

元裁判官による裁判所内部の暴露・告発本。
自身の経験から裁判所事情を分析していて興味深いが、著者の個人的な恨み辛みや、「邪推」ともいうべき推測、単なる制度論の意見も混じっており、3、4割減で受け止めるべきか。
もうちょっと公平な記述で書いてほしかったところ。

ただ、弁護士をやっていて感じることは、裁判官には「木で鼻を括った」物言いをする人が多く、たまに記録を読んでいなかったり、全然事件や当事者の想いを理解しようとしない人もいることは確か。
こちらが新しい先鋭的な争点を持ち出したり、珍しい申立てや裁判を行うと、途端に消極的な態度を取る裁判官が結構いるのも、本書で描かれている内部事情を考慮すると、いくぶんかはなるほどと納得。

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2018年10月21日

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ネタバレ

通常の職場でもそうだが、業務をしている時に「周囲が見えない状況」に落とし込められることが、その当人にとって精神的・肉体的に最も危ない状態になる。
自分を客観視できず、(その暇もなく)、どんどん深みにはまっていき、抜けられなくなる。

本書についても、取り立てて「裁判官」という職業について興味があったというよりかは、その置かれている状況に興味があった。
裁判官とは全国に跨がった「精神収容所」、であり、自分たち国民が裁かれるのは基本的には「そういう人たち」というところ。

やっぱり「新しい血」というところは、常に、必要であり、「変化」を伴わない組織は「死」を迎える。

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2017年05月02日

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日本の裁判所がどのような変遷をたどって変わっていったか。裁判所という閉ざされた空間、組織がどのようなものなのか。硬直してしまい権力を嗜好した組織の生々しさ。幾分愚痴っぽく聞こえるところも見られた。

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2015年02月28日

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裁判所、裁判官という言葉から、あなたは、どんなイメージを思い浮かべられるのだろうか? ごく普通の一般市民であれば、おそらく、少し冷たいけれども公正、中立、廉直、優秀な裁判官、杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通すし、出世などにはこだわらない人々を考え、また、そのような裁判官によって行われる裁判についても、同様に、やや市民感覚とずれるところはあるにしても、おおむね正しく、信頼できるものであると考えているのではないだろうか?
しかし、残念ながら、おそらく、日本の裁判所と裁判官の実態は、そのようなものではない。前記のような国民、市民の期待に大筋応えられる裁判官は、今日ではむしろ少数派、マイノリティーとなっており、また、その割合も、少しずつ減少しつつあるからだ。そして、そのような少数派、良識派の裁判官が裁判所組織の上層部に昇ってイニシアティヴを発揮する可能性も、ほとんど全くない。近年、最高裁幹部による、裁判官の思想統制「支配、統制」が徹底し、リベラルな良識派まで排除されつつある。
33年間裁判官を務め、学者としても著名な著者が、知られざる裁判所腐敗の実態を告発する。情実人事に権力闘争、思想統制、セクハラ……、もはや裁判所に正義を求めても、得られるものは「絶望」だけだ。

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2015年04月06日

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裁判所に絶望して退官された本裁判官。
いろいろ日本に司法の絶望について書かれた本はあるが、著者の属性は貴重であろう。

結果的に内容がちょっとウザくなっても

いずれにしろ、日本の裁判が、ヒラメ裁判官による、組織優先の状況になっていることは間違いなさそうだし、そもそも、学生上がりで世間を何も知らないバカが、試験に合格して至高感のまま任官される組織が、人を判断できるわけもないのはその通りだろう。
しかも、法に基づくわけでもないのだから。
滅入るな。
検察も酷いし。

そういう、司法による救済が期待出来ない世界に生きているわけだ。

じゃあ対抗出来るのは、権力と暴力しかないよね。
その取り合いが色んなことを歪めてるんだろうなあ、と思った次第。

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2023年09月10日

Posted by ブクログ

日本の裁判所の構造が、最高裁判所事務総局といういわば司令部による一元統制、上位下達のシステムとなっており、地裁・高裁など現場の裁判所に自由な裁量がなく、また、統制強化により、言うことを聞くヒラメ裁判官だけが昇進し、裁判そして裁判官のレベルが落ちているという指摘。そして、その解決策として法曹一元化として、弁護士・検察官・裁判官の垣根を低くする取り組みを主張する。

筆者は、裁判官を世間知らずと喝破し、学者の世界を称賛するが、実はこの本で指摘する内容は、どこの行政官庁、大企業、一流大学にもある問題では無かろうか。それが、人を裁く裁判所組織で起こっているから特殊かもしれないが、本質は変わらないと思う。ただ、皆が仰ぎ見る裁判所も普通の組織と変わらないよ、ということを示してくれたことには一定の価値がある。

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2023年07月02日

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裁判官としての実体験を踏まえた日本司法の問題を暴露する。
筆者の言っていることは一貫しており分かりやすいが途中から大体こういうことを言うんだろうなと予想ができ、それを覆すような内容もなく、飽きが生まれた。

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2021年09月04日

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日本の司法の最高峰である最高裁や、しのピラミッドに翻弄されている裁判官という職業と制度の話しである。著者の元裁判官であり、現在学者という経歴によるバイアスを差っ引いても確かにあまり希望的観測が出来ない実情が垣間見える。あれだけ、閉ざされた世界だと人はおかしくもなり、浮世離れしてしまうのか。。。
清廉潔白なイメージはすべて崩れ落ちる…。

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2019年06月12日

Posted by ブクログ

自己満足の文章、というのが最初の感想。知らないことばかりだったけれど、それでも節々に違和感というか、決め付けのような気配を感じた。単純に気になったのは、正規分布の使い方はそれで良いのか、正規分布という概念を出したかっただけじゃないのか、ということで、その他にも、きっと一言一句にすごく気を遣っている割には、詳しく論じているはずなのに、結論は私はこう思う、だったりする。行政官僚が悪という前提も、自分にとっては知らないことだから当たり前ではないし。
まあそれでも読んで良かったなとは思った。
170919

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2017年09月20日

Posted by ブクログ

法曹界、とりわけ裁判官の実体に迫る。要は、裁判所とはいえ依然として日本だよね、という話。著者視点の感情眼鏡が非常に高度数なため、どこまで客観的なファクトとしてとらえて良いものか難儀であるが、イメージを膨らませるための情報としては面白い。

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2017年09月10日

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元裁判官で学者に転身した著者が日本の裁判所と裁判官の実態を描いた本。司法行政について内側からしかも批判的な視点で書かれているのは興味深いが、面白味に欠けるように感じられて途中から斜め読みしてしまった。

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2017年03月06日

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ネタバレ

 日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」の見えないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている。反面、その結果、そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通の国民、市民は、第二のラインを超えること自体に対して、また、そのようなテーマに興味を持ち、考え、論じ、行動すること自体に対して、一種のアレルギーを起こすようになってしまう。不幸な事態である。

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2017年02月19日

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ネタバレ

著者の自分語りと牽強付会気味の立論に違和感がある。
裁判官の精神構造の病理について著者が論じる点は、現在の著者にも妥当するように思える。

とはいえ、元裁判官が、これだけ自分の見聞を披露して、裁判所を正面切って批判するということには、やはり意味があるのではないか。

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2015年11月04日

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ここに書いてあることが、本当の話だとしたら日本の司法に救いはない。友人の弁護士に聞いてみたところ、多少のデフォルメはあるが真実に近いとのこと。本当に救いがない。

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2015年04月01日

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お世話になることがないので分からないが、著者によると日本の裁判所、裁判官の劣化が進行しているようだ。それもシステムとして劣化に向かっているようだ。裁判員制度が導入されたのもみせかけに過ぎないようである。著者によると、司法修習終わってすぐに裁判官に任官するシステムが問題のようだし、法曹一元化が必要のようである。自分がお世話になることがいつ起きないとも知れないのだから、人ごとと思ってはいけないのかもしれない。

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2015年02月08日

Posted by ブクログ

同期での評判がイマイチな印象だから構えて読んだけど、恨みつらみもあるんだろうけど言い当ててるところも多いと思うしそう悪くないんちゃうんという感想。やたら左翼じゃないと言われるのは嫌だったけど、みんなが敬遠する理由はそこじゃないだろうし、何でだろう。

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2014年11月18日

Posted by ブクログ

結局この国はそこら中に(民間企業にも)いる官僚に食い潰されていくのだな。

裁判所(=司法)に絶望するには格好の一冊。

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2014年09月03日

Posted by ブクログ

 この通りだとしたら、確かに絶望的。そして、大方そういう気がする。

 政府だけではなく、裁判所、裁判官もどうやら憲法にはあまり関心がない、というか憲法を遵守しなければならないという感覚がないらしい。特に裁判官は憲法によって身分が保障されているにも関わらず、そして憲法と法と良心にのみ従えばいいはずなのに、欲のために諸々の権威につい従ってしまう。人間的といえばそのとおりなんだけど、憲法も市民もそんなことは望んでいない。
 3権が分立しなければならないというのは、長い時間と多くの犠牲のなかで人類が到達した一つの到達点であるはずなんだけど、この本を読まなくても、裁判所はこの「権力」を自ら放棄してしまっているようにしか思えない。残念なことである。

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2014年08月24日

Posted by ブクログ

この怨念の籠り具合が凄い。◆裁判所が単なる司法官僚の塊だったということを具体的に提示。◆うちも数年前にお世話になって裁判所への信頼を失ったが、それを裏付けた。◆◆司法制度改革が意味にないことだったことも。

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2020年07月27日

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