【感想・ネタバレ】蒼き狼のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

チンギス・カンは自分は正当なモンゴルの血を継いでいるのだろうかと、不確かな自分の出生に悩む。
モンゴル族の創生神話による蒼き狼と白い牝鹿の血を受け継ぐ蒼き狼たるべく、彼はひたすら敵を求め侵略征服を続け、歴史上最大の大帝国の礎を築く。
自分とは何者かと自問自答し、自分というものを自分の力で作り上げていくチンギス・カン。。。自分も自分というものをもっと積極的に作り上げる努力をしなくてはいけないなあ、、、。
流されない、切り開く力。(最近めっきりそういうのから遠のいてます)
モンゴルを平定して他国に出て行きますが、それにしても機動力がすさまじい。
モンゴルの馬って、モンゴル人のバイタリティって本当にすごいとしかいいようがない。
ユーラシア大陸駆け巡り。。。私はまだほんの数カ国しか外国は行ったことないのに、、、。

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2014年04月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

成吉思汗(チンギスカン)、その若き日は鉄木真(テムジン)と呼ばれた。鉄木真の生まれた十二世紀の中葉には、モンゴル部のほかに、キルギス、オイライト、メルキト、タタル、ケレイト、ナイマン、オングートといった諸部族が蒙古高原地帯の住民たちで、その中で、モンゴルとタタルの二部族がこの高原地帯における諸集落の指導権を握ろうとして、絶えず小戦闘を繰り返していた。鉄木真の生まれたのはこの二部族の闘争の最中であった。モンゴル部族もその中で幾つかの氏族に分かれ、各氏族は独立した集落を持って、ともすれば拮抗しがちであったが、鉄木真の父エスガイの属するボルジキン氏族は昔からモンゴルの本家筋に当たる家柄となっており、全モンゴル部族の支配者とも呼ぶべき汗(カン。主権者)を何人かその中から出していた。エスガイは4代目の汗である。ボルジキン氏には伝承があり、その祖先は、父が蒼き狼、母が惨白き牝鹿であり、鉄木真も、自分が狼と牝鹿の子孫であることに満足であった。

蒙古高原における一番大きい問題は、昔から各部族を一丸とした部族連合体を結成する事にあった。同じ蒙古高原に生活する遊牧民族として、連合体の結成は、お互いは平和に生活するうえにも、更に大きい高原の隣国である金や西夏やウイグルに対する問題を処理する場合にも、絶対に必要なものであった。この蒙古高原の諸民族の連合体の結成を一番望んでいないのは、長城を境として高原に隣接している金であった。高原に散在する少数勢力が合して、一つの大きい勢力となることは、金にとっては決して喜ぶべきことではない。金は高原に連合体の結成の機運が動くとみるや、常に策謀をもってそれを摘み取り、高原の諸部族を常に対立状態に置くことに力を尽くしていた。

モンゴル部の最初の汗カブルも、二代目のアムバカイも、三代目のクトラも、現在のエスガイも、常に連合体を結成する志を持っていたが、それはいつも金の策略に踊らされるタタル族のために邪魔されていた。カブルはすんでのところで金の使者によって毒殺される目にあっていたし、アムバカイはタタル人の手によって金に送られそこで処刑され、クトラも、そしてその他の兄弟の大部分もタタル族との戦いに生命を落としていた。つまり、鉄木真の曽祖父も、祖父の兄弟たちの多くも、タタルとの戦いに生命を喪っていたのである。

鉄木真が生まれたときの合戦で、エスガイはタタル族に大きい打撃を与えることができ、それ以降、両部族間には、比較的平穏な状態が保たれていた。しかし、遂に鉄木真の父エスガイも、タタル族の陰謀により毒殺された。鉄木真はこのとき十三歳であった。鉄木真は父の訃報を聞くと、父エスガイの死を悲しむというより、それに対して大きい憤りを感じた。エスガイが十三年前にタタル族を大いに破ったとき、相手をそのまま放置せず、こんどのような事件の起こる根源を徹底的に排除すべきであったと思ったのだ。男という男は一人残らず息の根を止めてしまい、女子供は奴隷として部落に吸収すべきであった。その処置を怠ったことに対する当然の神の見せしめをエスガイは受けたのだと。この時の無念さが後の鉄木真による、敗者の徹底的な掃討という惨事を繰り返させることになったのだろう。

エスガイが死ぬと、モンゴル部族は自分達を守ってくれる汗を探すため、鉄木真たちを見限り、鉄木真の集落を離れる。これは蒙古高原で生きていくには仕方ないことではあった。しかし、鉄木真も次第にリーダーとしての頭角を現すようになってくる。モンゴルにはジャムカという氏族があり、鉄木真の集落の隣り合わせであった。ジャムカは利益を公平に分配していたが、鉄木真はそれを幾つかの等級に分けて分配していた。各自が出した労力に比例して利益を分配し、従って沢山働く者は、沢山分け前にありついた。これを知り、ジャムカの集落から鉄木真の集落に移ってくる人たちも多くいた。ジャムカの集落においては、怠け者は得をしたが、優秀な若者達は損をしていたからだ。優秀な者が鉄木真の部落に集まることになったのだ。鉄木真はいつの間にか幾つかの集落の長として立つことになり、遂には、同族の者達に押され、モンゴル部族の長たる汗になることになった。1189年、鉄木真二十七歳であった。

鉄木真の進撃は続き、蒙古高原を全手中に収めるまでにもなり、各部族の長老達によって、全蒙古の王として鉄木真を推戴することが決められ、盛大なる大君という意味を持つ成吉思汗という名で呼ばれることとなった。成吉思汗四十四歳であった。成吉思汗は、モンゴル国を構成している、あらゆる階層の男女がもっと富裕な、もっと生まれてきた悦びを享受できる生活を得る方法として、具申したのは隣接国への侵略であった。侵略によって得た獲物と来貢品の分配であった。

成吉思汗は怒涛の攻めにより、瞬く間に隣国を制圧して、領土を拡大していった。そして、抵抗する国は草木一本たりとも残さないまでに徹底的に焼き尽くし、殺しつくした。また、領土が拡大するにつれ、それを収める優秀な人間も必要ということも次第にわかってきた。このため、これまでの感情により敵国の男達を処断することをやめ、女達をまず先に生け捕りすることをやめ、男の中で特殊な技術や教育を身に付けている者を先に選出するように命じた。そして、その中に、耶律楚材という契丹人がいて、成吉思汗もその才を認め、自分の傍らに置いた。耶律楚材は成吉思汗に歯に衣を着せぬ物言いをした。成吉思汗は、高い文化を持っていても、武力が劣っている金は自分の国モンゴルの支配下に置かれた、文化より武を尊ぶべきだを言ったのに対し、耶律楚材は言った。可汗(成吉思汗)は一体何を支配したのか、武力は相手を押さえつけているだけで、それを支配することは出来ないものである。モンゴルの将兵は自国の高い文化を持たない限り、金を完全に支配することは出来ない。いつか反対に金に吸収され、金に支配されるようになる。よろしく金の民に善政をしき、彼らの持っている文化をよろこんで可汗に献ぜしむるようにすべきである、と。

成吉思汗は耶律楚材によって、人心を結集するに最も大きな力をもつものは民族愛でも、権力者に対する忠誠心でもなく、信仰であることも学んだ。それゆえ、成吉思汗はいかなる他国の信仰でも自由に己が集落に入れ、それを迫害することを禁じた。

ナポレオンでさえ『余の人生は成吉思汗ほど十分偉大であったとはいえない』と言っているほど、成吉思汗はあまりにも巨大な支配者であったが、六十五歳でその生涯を閉じた。成吉思汗はそのモンゴル部族の聖地であるブルカン嶽に葬られたが、その墓所は現在、見定めることが出来ないぐらい密林と化している。

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2012年10月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

チンギスハンの生涯を描いた作品。
ギオチャンガとかボルジギンとか聞きなれない氏がいっぱい出てくる。
あと、文章が素朴で固い。
蒼穹の昴を語るに外せない韃靼とか女真族もちらっと出てくる(一文で語られるレベルだけど)。

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2011年07月22日

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