【感想・ネタバレ】私たちはこうして「原発大国」を選んだ 増補版 「核」論のレビュー

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Posted by ブクログ

この本は書評するべきものではない。しっかり歴史を見つめ、そして今何を考えるのか、単なる原発反対、推進でなくもっと本質的な議論が求められている私達が必要としている膨大な情報がこの本に含まれている。多くの人に読んで欲しいし、正しく理解して欲しい。

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2012年07月21日

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読み終えた充実感を感じる、深みのある本でした。
原発はただ廃絶すればいいものではなく、どうしたらいいかを深く考えさせられる内容でした。

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2011年08月06日

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先に「原発報道とメディア」を読んだんですが(なかなか手に入らなかった)、こちらの方がよかった。歴史の縦糸と横糸をきちんと編んで現在(というか311前)に至った道を明確に見せてくれます。これを読んで、どうして今回の福島第一原発事故が地方社会の荒廃と直結しているのか、よくわかりました。今に生き、今後を考える僕達全員にとって必読の一冊だと思います。

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2011年07月19日

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3月11日よりも前、2002年に出版された「『核』論」に、3月11日以降の原発問題に関連して著者が話したことを「二〇一一年論」として加えて5月に出版されたもの。

横柄な良い方になってしまうが、ぼくが今まで原発に関する報道等について、ずっと感じていた違和感を、「二〇一一年論」がすべて明文化してくれている。原発問題について口にする前に、一度は読んでおかなければならない一文だと思う。

一方で、原子力について、自分がどれだけ知ったつもりになって考えていたのか、どれだけ一面だけを見て考えていたのかを実感したし、自分の不勉強を本気で恥じている。

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2011年06月19日

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もしも核の「効用」があるとすれば、それは万人に利用できるものであるべきだし、そうでないならまず弱者を救済するものでなければならない。弱者にしわ寄せをもたらしつつ成立している原子力利用の現状は明らかにおかしい。

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2011年06月12日

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今だからこそ、日本が原発推進を選んだ経緯を知りたい、という人にはおススメ。賛成派、反対派、どっちかに寄ってないところもGood.

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2011年06月06日

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11/06/01。冒頭の「2010年論−新書版まえがきにかえて」をちら読みしたが、極めてまっとうな大人の見解。不安を煽る人たち、闇雲に安全を叫ぶ人たちが忘れているものに視点を当てている。読む前から★5つ。

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2011年06月01日

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「核」論の「各」論という洒落に合わず真面目な内容。
内容が盛り沢山で重いため、読後感は大きい。
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どのような歴史を経て、日本が今の原子力大国となったのか?
それを社会論、政治論、科学論、報道論 etc... から書かれています。
「スイシン」「ハンタイ」の立場を超えて均衡点を探すために、お互いにおかしい部分・目を逸らしてきた部分を見つめ直さなくてはならないと思う。そのためのきっかけに最適な本。

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2011年08月07日

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原発「スイシン派」の人も、「ハンタイ派」の人も、どちらでもない人も、今一度なぜこのような状況に日本が至ったのか、見つめなおすには最良の書だと思います。
福島原発の現状を鑑みて、東京電力を責めるのは容易いことかもしれません。だけど彼ら”だけ”の責任でもないのも事実なのではないでしょうか。
もはや、日本人は原発問題に関して無自覚でいることはできないと感じています。

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2011年09月03日

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はっきり言って、この人の本は、とても読みにくい。文体としても、内容としても。

著者は、原発スイシン派でもなく、ハンタイ派でもない。そのどちらに対しても「非共感的」に感じている、と著す。

スイシン派の引くに引けない状況。
反対派の過剰なまでの拒否反応。

その折衷案を模索して震災から2年が経とうとする。
その折衷案を考えるときに、まず読まれるべき本だと思った。


エネルギー源として原発は必要不可欠であるという推進派。
彼らの隠蔽体質は目に余るものがある。
しかし、当初「原発は完全になくすべきだ」として、頭ごなしに反対していた反対派も、思考停止状態といえるのではないか?
原発は危険だ!と訴えすぎることによる弊害もある。就労職員の核に関する知識の低下。労働のモチベーションの低下。スイシン派の隠蔽体質を作り上げもした。
危険なものでも、突然姿を消してくれるわけではない。
平和的に終息するために、議論がなされるべきだ。

それなのに、国家は、なし崩し的にスイシンへと向かおうとしている。

反対の「やり方」が、問われるときだ。

まず、原発を知ること。核を知ること。民主主義を知ること。アメリカを知ること。冷戦を知ること。倫理を知ること。学問を知ること。未来を模索すること。

原発は、本当に、複雑な要素が絡み合った問題だ。

それをほどいてくれるわけではないが、その手助けになる本かもしれない。

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2013年07月30日

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漠然としたイメージ、マスコミの喧伝、何となくの感覚に翻弄されて、ただ闇雲に賛成・反対と思ってしまうのが嫌で手にとった本
日本が原子力発電を手にする歴史的経緯と、これまで論じられてきた数々の言論を紹介しており、一冊としては極めて中立的なまとまりを見せている、と言った印象でした

読み終えて、「賛成ですか?反対ですか?」というのはいかに愚問であるかと思うようになったこと、エネルギー計画は時に戦争を起こすほどに重要な問題であると認識したこと、とりあえずトラブルが起きた時の政権を批判してるだけではいけないってこと、が大きな収穫

大量のエネルギーを消費して暮らす社会の一員として、いざというときにしっかりと考えを話せるようにはなっておこう

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2013年02月27日

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今の原発における現状までの経緯を分かりやすく解説してくれる一冊。戦後日本社会では技術的な豊かさを得たものの、心の豊かさを得るまでは至らず、そのことが今につながる。原発には未知の部分が未だに多く、すべての要素をもって議論することは不可能との見解から筆者は最終的に佐伯の『「きめ方」の論理』から、しっかりした情報収集をもとにいくつかの方策を柔軟に取り入れていくという極めてまともな結論に至る。原発推進派と反対派の共倒れの言論をゲーム理論から説明したり、原発関係の本のを読んだ経験が少ない自分にとっては内容が充実しているように感じられた。

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2012年03月16日

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原発が日本に存在するに至った背景が書かれています。
驚いたのはウランブームの初期、体にいいとされていたこと。
ラジウムドリンクを飲んだり、お風呂に入れたり、畑に撒いたり。
偏った情報が流されていたとは言え、原発を選択した背景があるわけです。なので、一概に原発を建てたことが悪い!とは言えないわけで。
反原発にしろ、原発推進を語るにしろ背景を知ることが大事ですね。
過去があるから今がある。

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2011年11月16日

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第二次世界大戦における被爆国でありながら,原発を推進することになった経緯が詳しく書かれていると思います.

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2011年10月16日

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大戦直後から今日まで、原子力に対する世の中の認識の変遷をたどって、その時代に出てくる米軍人から政治家、社会学者などの思想が紹介されている。「スイシン派」と「ハンタイ派」の二項対立を調停し、膠着を打開したいという筆者の目標は、なかなか達成困難というのが読後の正直な感想。信じる神が違う「宗教」間の対立に近い。

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2011年09月21日

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「原子力的な日光の中で陽なたぼっこをしていましたよ(We just been basking in the atomic sunshine.)」
ホイットニー准将が日本国憲法の草案を日本政府に迫ったときに芝居がかって言った台詞である。原爆の力を想起させる言葉で圧力をかけたのだ。私たち日本人は敗戦から66年後に今またこの原子力的日光の存在をまざまざと感じている。この原子力的日光はあの時からとぎれることなく、この世界に降り注いでいたのだ。

この本の著者は、上記の言葉がきっかけで核の脅威についての本を書こうと思ったということだ。著者本人もあとがきで書かれているように、核・原子力については、複雑な問題が絡みあい、ひとことで推進・反対と結論を出せるものではない。
東電や政府の対応には確かに問題はあったが、事故に直面して対応しているのも彼らなのだ。彼らに頑張ってもらうしかないし、監視や批判と共に、応援、感謝もしなければならないと思っている。
3.11後に感じたのは、レッテル貼りの恐ろしさだ。スイシン、ハンタイ、ムカンシン、トウデンノニンゲン、こうしたレッテル貼りは個人をないがしろにし、個人の存在まで否定しはじめる。これは自分への戒めでもある。そういう考えは無意識に日常的な問題の中にも潜んでいるからだ。

”『原子力の社会史』の中で吉岡斉は自分の電力業界に対する立場を「非共感的」と形容している。非共感的とは、あらかじめ敵対するわけではないが、批判的な立場を取るというものだ”……著者は吉岡斉を引用して自分の態度を「明らかな推進派・反対派のどちらを向いても共感できない状態において原子力に対峙しなんとか活路を見出そうとする立場」と表明している。緊迫した状況においてはいささかぬるい立場といえるかもしれないが、私もこの考えに共感するところがある。

今日では原子力に対する一般市民の科学的な思考はかなり高まってきている。感情にまかせるのではなく理性的に考え行動することができる人たちは、科学的な情報を自分なりに仕入れ自分の立場を決めそれに従って行動し始めている。ネット社会は発達していなかったならば難しかっただろう(ネットの情報を活用するにもそれなりの知識と経験が必要だが)。無目的にマスコミの情報やデマを信じる人は若い世代を中心に少なくなってきているはずだ(と思いたい)。

今の状況は陽なたぼっこなどという生やさしい表現はあてはまらない。
私たちは「原子力的日光の中で人生をSURVIVEしなければならない」状況にいるのだ。


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この本は、2002年出版の増補版として3.11以後に出版されました。その際にタイトルも変わりました。著者の得意なフィールドでサブカルチャーからの論点が多かったです。原発大国に進んだ戦犯を探すような本でなく、原発大国にすすんでいった時代の空気や大衆のムードに着目して書かれています。実際的な原発大国へ進んだ理由や背景などが知りたい場合は、他の書籍を参考にしたほうがいいかと思いました(タイトルと思ってた内容が自分は違ったので)。

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2011年09月16日

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岩田先生のブログで「必読」指定ありのため、購入。
スイシンとハンタイをカタカナ書きで表記し、
なるべく政治的立場から距離を置いて書こうと努力しているところに好感が持てる。
原発を巡る歴史的ないきさつについて、丁寧に叙述しており、世の中に対する見方が変わった。そういう本はなかなか貴重である。

その反面、その中立的なスタンスが、他人事のように響くところが気になる。
原発について語ることの難しさを痛感。

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2011年06月07日

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ネタバレ

我が国の原子力政策についてその歴史的な俯瞰を示してくれる。
文庫版後書きについて消化不良を起こしているのだけど、原子力政策に根付いているこの国の業の輪廻や民族に根付いているのかもしれない何かについて考えさせられる。

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2011年05月21日

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ボクは原発問題を核兵器の問題と絡めて論じることには懐疑的である。例えば「唯一の被爆国」であることが、日本の原子力政策に影響を与えるべきことなのか?しかし、もし多くの人がそこに通底するものを見ているならば、その考え方を知るのもムダではないだろう。

増補版として、2011年論が新たに加わった。ハンタイ派v.s.スイシン派の不毛な対立が、かえってリスクを増大させていることには全くもって同感。ただ、本書の内容から離れるが、、、この手の収拾不能な二項対立はよく見られる現象。そこで仮説
⇒ヒトの認知的基盤、または社会構造の中には、論点を単純化して二項対立する傾向がビルトインされている。従来、だらだら考えていないで不確実な状況下で行動を起こせるという観点で、こうした議論の単純化が適応的だった。マスメディアの発達、民主制の発展、科学技術の進歩に伴う(?)不確実性の増大が、従来は適応的だった反応を危ういものにしている。

原子力のような先端技術は不確実性が高く、事故時のインパクトの大きさもあいまって、情報不足を無視して推論するほかない。イデオロギーがぶつかり合うことになる。

電源三法についての指摘は重要。原発がある限り過疎でなければならないし、労働力を原発に吸い取られて他の産業は育たない。原発による地域振興は、痛々しい幻だ。

高木仁三郎。チェルノブイリを受けて、事故確率の計算に潜む落とし穴を分析している。重畳型、共倒れ型、将棋倒し型。福島第1は共倒れ型か。しかし高木は「運動」に傾斜して、科学に立脚した安全策の検討から離れてしまう。

著者は、JCO臨界事故の背後にも原子力への逆風を見て取る(少しこじつけ気味ではあるが)。

核兵器開発につながるから原発に反対するというのは多少無理がある議論と思う。製鉄もやめれば銃も刃物も含めて根絶できるが。。。ただし核拡散との絡みは無視できないので、一筋縄ではいかない。

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2018年11月05日

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アメリカは、1955年に濃縮ウランを提供し、将来の発電用原子炉についても援助することを打診してきた。当時、濃縮工場の建設するには莫大な予算が必要で、米ソ以外には難しかった。濃縮ウランを提供することによって、軽水炉技術の提供も可能になり、発電という国家の生命線を掌握できる。濃縮ウランは貸与の形で提供されるため、兵器への転用も抑え込めるというシナリオだった。

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2018年10月31日

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武田さんの著作はジャーナリズムを勉強するものとしては、個人的には、いつもわくわくさせられながら読んでいる。人文系の理論的なバックボーンを背景にしつつ、ジャーナリズム的実践を行うその記述スタイルは、僕自身が最も理想的であると思う、ジャーナリズム・スタイルだから。

今回のこの本も、もちろんそのような形式にはなっていて記述スタイルなどで大変勉強にはなったのだが、あとがきで武田さん自身が「この本は失敗だった」と宣言しているのが「えっ」と思ってしまった・・・。内容的には「あたりまえ」の事実ばかりということだろうか。
それでも、僕のような原発や原子力政策に対して全く何も知らない人間には学ぶものが多かった。本書は、戦後から現在までをディケイドで分別し、それぞれの時代の「核」論を記述していくというスタイルになっている。「1954年 水爆映画としてのゴジラ」と「1965年 鉄腕アトムとオッペンハイマー」の章が大変面白かった。

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2012年03月05日

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戦後日本の核利用を追った本。
裏にあった政治力学なんかも伺えて面白かったが、知らん人ばかり登場して読みづらい。。。

個人的には1974年論の電源三法交付金の話と2002年論のノイマンの話がスイスイ読めて面白かった。

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2012年02月12日

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・周辺情報。どのような時勢の流れの中で原子力行政が進められてきたのか。

・軍備と原子力、電源三法による過疎の規模の固定

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2011年10月16日

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一つ一つの事実を丁寧に積み上げ、しっかりと解釈していると感じさせる「核」論の書。歴史的な流れを理解するには良い著作なのかもしれないが、私のニーズにはマッチしなかった。文章が読みづらい?

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2011年09月11日

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核という難しい問題を、木を見て森を見るように書ければいいのでしょうが、どうやら、木にあたる部分は、量子論など難しすぎてモヤがかかって見えにくいようで。じゃぁ、森を見ようとすると、あまりに果てしなく入り組んでいるようで、それらを単純化してしまうのも、本質からかけ離れてしまうから、著者はそうはしていません。では、この本はどうやって核の問題を論じているのでしょう。1954年論というところからはじまっていきます。つまりは時系列で、そのときそのときの社会の方向性、空気を捉えながら、原爆以後に始まる核というものに対する日本人の意識の変遷をたどったところもあり、権力を持つ個人の志向や打算などが政治的に働いていった様を見つめたところもある。過去の重要な点々をおさえることで、疑問を持つことなく眺めてきた現実の色が変わって見えてきます。ちょっとしたパラダイムシフトを、過去を忘れた多くの人々や、若い人たちは受けるでしょう。それだけ、みんなの現実認識ってかなり操作されたものだということのようです。

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2011年08月31日

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戦後史の中で、原発はどんなもの、役割を果たしてきたのか?

ゴジラ、鉄腕アトム、大阪万博・・・。

なるほどぉー。こういう切り口で考えてみる目線も必要だなぁーと実感。

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2011年07月22日

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人名、引用が多くてなかなか頭に入って来ない。でもなるほど…と思わせられるところも結構あった。ゴジラ見てみようかな。

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2011年06月28日

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日本でどのように原発が受け入れられてきたのか、関連のある世界の出来事も含めながら政治や社会の流れと一緒に解説する。

自分が生まれた後の時代について書かれたのはたったの三分の一。
それ以前から原子力は使われてきたし、広まってきた。
その時の社会の雰囲気はこういう本でしか知ることが出来ない。

その時代を知ることで多少は何かがわかるのか。

大阪万博の時代、原子力とは未来を示すシンボルだったという。
「この電気は原子力発電所によって作られています」

現在の日本だと、嫌悪感があるのだろうか。
3月11日以前だと「当たり前でしょ」という感じだろうか。

当時はそれが「未来」そのものだったようだ。

時代によって価値観は変わる、ということをまじまじと見せつけられる。

導入当初はきちんとした知識も無いままどさくさ紛れのように導入された、という印象を持った。
現代でもそれは何も変わらない。

事故が起こった今でも原子力、原発の知識がある人は大して増えていないし、その知識を国民全体で学ぼうという話も聞かない。

今後も本書にある1970年代と何も変わらないのだろう。

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2011年05月29日

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