【感想・ネタバレ】合コンの社会学のレビュー

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合コンに参加したことがない私でも、その場に参加する人たちでどのようなやり取りがされているか、非常にわかりやすく記述がされいる。学問としても、その全体が「社会行為儀礼」に当てはめて論じられており、かなり納得いく論述がされていたため、ことごとくなるほどと思ってしまった。
合コンを切り口に、「晩婚化」「格差社会」など、社会問題についても論じられている点が非常に面白く感じた。

内容はとても柔らかいので、「社会学」と肩肘を張らずに読み進める本です。

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2010年12月19日

Posted by ブクログ

■■合コンの必勝本、「出逢うための法則」は語義矛盾■サービス化された出逢い(結婚情報サービス、ネット上の出逢い)は出逢う効率は良いが、リスクが高い。前者は金銭的リスク、後者は騙されるリスクや犯罪に巻き込まれるリスク。■何より、「恋愛のスリル」が無い。互いのことを少しずつ知り合ったり、相手の気持ちを探ってみたり、というゲームとしての楽しみが。

■■合コンの社会的な期待(非婚化などに対する)、その背景には「職縁」から「友縁」■合コンの出逢いに介入する階層ファクター。合コンはただ今を楽しむためだけに行くのではなく、その果てには結婚がある。経済力や生活設計を占う指標として階層は重視される■合コンは同階層婚を生み出す装置。結婚の際、あまりにも住む世界がかけ離れても困るので(注、要検討)

■■合コンの二面性―「協働」と「競争」、そのジレンマ■カジュアルでオープン、参加者全員が参加して楽しめる「飲み会」を皆で「協働」して装う■一方で、「出逢う」ための同姓間の「競争」■この二つが同時進行するとき、合コンにおける魅力や序列は複雑化する■恋人や配偶者の選定を前提にしている限り、「協働」要素(座の中心になって会を盛り上げる、気配りが出来る、印象が良いなど)を満たしているだけでは不十分。「競争」要素(年収や職業、家族構成などの社会的望ましさ)も重要となる■このダブルスタンダードは、かつての「男は仕事、女は家庭」のシングルスタンダードの時代と比べて、「お金はないけど気が利く」男性や「家庭に入るつもりの無いきれいな」女性にもチャンスが与えられることを意味するのか。それとも「お金持ちで話の面白い」男性と「家庭的で美人な」女性しか勝てなくなるのか。■現実的に手堅く同階層婚を狙うには、ジェンダー間の格差が大きすぎる合コンでは効率が悪い■【私見】合コンする人々のターゲットを著者は「同階層婚」志望者と想定しているが、実際、かつてより「上昇婚」より「同階層婚」を望む人が増えているのか。また「ジェンダー間の格差」がどれほどのときに「同階層」と著者が呼んでいるのかが曖昧■誰かが目立ち、他が見劣るような「ばらつき」は、不安定要素として事前に排除される。結果として同性間や相手グループとの均整を取ろうとする。例)同大学出身者、同会社の同僚同士という面子■またこれらが、意図的・非意図的なフィルタリングとして作用する■「自然な出逢い」という演出。がっついてはいけない、あたりさわりのなさ、階層性の隠蔽というルール。■このルールに精通し習熟した男女が合コンではもてる■「飲み会」を偽装するレトリック、その背景にあるのは合コンの社会的なネガティブイメージ■合コンのサクセス・ストーリーの多くには、「言い訳」が。例)気乗りしない合コンに言ってみたら、人数あわせで言ってみたら、たまたま…■「盛り上げ役」が割りを食うのは、「協働」と「競争」という二つの目的のうち、前者だけを排他的に遂行した結果と言える。■過剰な技法(無理に盛り上げようとする、テクニックで会話する)は、「自然な出逢い」の演出の妨げとして、厳しい批判に晒される■合コンにおける相手との会話には二つのメッセージがある。一つは「あなたに好意がある」、もう一つは「私は合コンの場において適切に振舞える(相手に対する個人の好み関係なく)」。マナーとしての連絡先交換。ゆえに、相手の真意の見極めは容易ではない。■また、「楽しい飲み会」という装いのために、既婚者や恋人持ちでも参加できてしまう■序列の隠蔽のために、エリート会社員の中にフリーター、弁護士や医者の中に大学院生を混ぜることで、「有名企業合コン」「弁護士合コン」「医者合コン」ではないように偽装する。■そうした「スケープゴート」の社会的階層が逆転することはない。平等のように見える合コンの不平等性。■現実を見ても、それでも非現実的なサクセス・ストーリーを追いかけてしまう「幻想」。疲れた私たちを、さらに駆り立てる力。

■■ジェンダー・パフォーマンス。合コンにおいて、男女は共に異性に受けの良い「キャラ」を「演技」する(時にはそのジェンダー・ロールを逸脱という形でアピールしながら)。■合コンにおける競争とは、ジェンダー・パフォーマンスの競演に他ならない。時には集団的に達成される。■合コンでは、合コンにおいて望ましい「男らしさ」や「女らしさ」が忠実に演じられ(参加者はジェンダー・ロールに拘束され)、しかしその虚構性ゆえにパロディ化される■合コンでは気配りキャラだった人が空いたグラスに気づいてくれない、などのギャップ■パフォーマンスの発展と共に形骸化する既存のプロット。一時的で着脱可能な「キャラ」を使い分ける参加者は、ジェンダーに拘束されながらもパフォーマンスの手段として「軽く」利用している。■参加してる男女が「演じて」いるのに、それをお互い知っているのに、どうやって恋に落ちるのか?という困難■合コン後に露呈する「キャラ」とのギャップ。合コンではもてるけどその後が、という人は、おそらくパフォーマンスが上手すぎて失敗している。■またしても二つの基準―「合コン限定の」魅力の一般的魅力■ジェンダー・パフォーマンス力と、それではどうすることも出来ない「容姿」や「職業」、と対応。■両方勘定した結果、最終的にはみんなダメ、ということになり易い。■合コンの困難。複数の基準が錯綜する中で相手を見定め、競争のために日常とは分断された虚構の世界で「キャラ」を演じる。

■■合コンのホモ・ソーシャルな楽しみ―同性同士の二次会、品評会や反省会■自己目的化する合コン、純粋な遊びに興じる余り、長期的恋愛関係や結婚の達成という本来の目的は遠のく

■■一定年齢に達すると、男女は合コンから「抜ける」ことを望む。■「抜ける」ための二つの方策、運命の出逢いを諦めるか、更に追求するか。■合コンから見る非婚化■合コンを繰り返すが結婚できない人々は、従来指摘されたような「シンデレラ願望女」や「コミュニケーション不全男」とは言えない。■原因は、運命的な出逢いに対する執着ではないか。「理想の相手」ではなく、「運命の出逢い」を執拗に求める男女が、合コンから抜けずに留まる。出逢えればいい、結婚できればいい、ではなく、そこに「物語」が欲しい■「運命の物語」を求める人々にとって、「理想の相手」は曖昧なものでしかない。条件をリストアップして項目をチェックするやり方では見つからない。■美しい物語を作り出せるかどうか。「年齢差」や「外国人」は格好の要素かもしれない。勝ち組のストーリーが美しいのは、そこにある要素より無い要素。例えば、彼が一流企業に勤めていたことを最初は知らなかった、ことになっていたり。■非婚というスティグマ、一定年齢に達したら合コンから「抜ける」べきであり、それが無理なら「降りる」べきであるという、一般他者の声。単に親友や親が、ではなく世間や社会といった高次の力が発する要請。■合コンはかつての村祭りと同様、限定的な自由が許された場として機能している。若者が羽目を外して「ハレ(非日常)」を楽しみ、その後に大人しく「ケ(日常)」に帰っていく。■合コンを経て、「ちゃんとした相手」を見つけて「落ち着く」ことが求められる。つまり合コンは、男性を夫や父に、女性を妻や母に、家庭化するための装置と言える。■この意味で合コンはロマンティック・ラブイデオロギーと直結する。■「情熱恋愛」という、時に狂乱を呼び反秩序的となる“情熱”を管理するために、権力は結婚に至る「良い恋愛」とそうでない「悪い恋愛」の区分がなされ、ロマンティックな恋愛=排他的な性関係と生殖活動、家庭の運営を伴う永続的な結合と定義づけた。「結婚=幸福」という図式。■加藤秀一『恋愛結婚は何をもたらしたか―性道徳と優生思想の百年間』(2004年、ちくま新書)■合コンを「抜けた」人、及び運命の物語を諦めて合コンを「降りた」人は、制度から守ってもらえる。■運命の物語の更なる追求のために合コンを「降りた」人々は、制度との関係で位置づけが微妙。ロマンティック・ラブを信望していながら、それゆえにその関係に移行できないアンビバレントな存在。■合コンに留まるのは、「生存」のために勝つしかない層ではなく、勝たなくても良い層。二つの層の差は経済力(生活力?)に起因。■しかし留まる贅沢を享受できるはずのこの層は、むしろ焦っている。■それは、非婚のスティグマから逃れられない現実を自覚しているからである。ロマンティック・ラブから外れた者を、この社会は守ってくれないことを。■つまり、「勝たなくていい」層は「いつかは必ず勝たなくてはいけない」と感じており、ひとりは嫌だから結婚する、あるいは結婚せずにひとりで生きるというどちらかの極に振り切ることが出来ない。このアンビバレントを、「運命」が解消してくれることをただ願うのみである。■結婚における女性の「上昇」は、女性の社会的進出や価値の多様化により、以前のように必ずしも経済的上昇を意味しなくなった。しかし経済的要素(「玉の輿」)以外の価値の模索。■しかしそれでは経済的要素が勘定されなくなったというとそうではなく、むしろそれだけでは不十分と思われる。■「上昇」から「運命」へ。結婚の「条件」だけでなく結婚の「意味」も。■一昔前の合同ハイキング…合コンは形を変えて昔かあり続けていた。■IT化する出逢い―合コンセッティングサービス。■【引用】「合コン時代の私たちは、『運命の物語』を阻む要素を排斥しつくそうとしたしかし今、本当に出逢うために必要なのは、恋愛や結婚のなまなましい現実に対する耐性だろう。」

■■安部真大、世代論との関連■合コンの出逢いの「唯一性」に期待する。「唯一性」に拘るのは団塊ジュニアによく見られる特徴。■「やりたいこと」志向と「公務員」志向は根を同じくする。流動性の高まる社会において、流動しない確固たるものを求める。その対象が、前者は「自分」、後者は「社会」。■安野モヨコ『ハッピー・マニア』の主人公と紫門ふみ『同・級・生』(小学館)の主人公は、それぞれ前者と後者に対応する。

■■【感想】非婚化の原因に、未婚者の「運命の物語」に対する執着を指摘したのは鋭い。自身の卒論で結婚相手の条件、結婚に対する期待値の高まりを日本社会の経済的変化から説明したが、条件云々の問題では割り切れない後味の悪さが残った。それは、人々の理屈を超えた「結婚(あるいは家族を持つ)=幸せ」という幻想の疑いない妄信である。この残尿感を解消する手がかりを本書は示してくれた。ロマンティック・ラブイデオロギーから説明するという視点である。これは、「結婚」を分析するものとして当然に検討すべき問題であったかもしれないが、無知ゆえに卒論では検討できなかった問題である。今後、上に上げた加藤秀一の著作を端緒に、検討してみたいと思う。■【私見】問題に対する著者の態度を明らかにしようとしている点がとても印象的で、構成や論旨も明確、社会学者の本としてとても好感を持ちました。文章表現もクールでシンプル、読んでいて子気味良いものでした。■「結婚」を意識した社会人の合コンと、純粋な恋人探しの側面が強い学生間の合コンの違い、また学生合コンでも大学生と高校生ではかなり異なるように思われる。その点についても考察してみたい。[0305]

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

タイトルに惹かれた本

現代、様々なところで学生、社会人問わず行われる合コン

そんな自由に見える合コンにも見えないルールが存在する。
同性間での協調をしつつも競争がある。
合コンというのがその場にいる人の均一性を生み出しそれによって、同階層の人間が結ばれていくという現象。
またパーソナリティーではなくキャラを設定しているが故に合コン後に互いの人間性の違いを知り、それ以上の関係が築けないという問題

合コンのために合コンをする人、合コンから降りる人(諦める)、合コンから抜ける人(成功者)それぞれの階層の状況

現代人が運命の出会いを求めて合コンに行くが、合コンという仕組まれた場であるが故の矛盾などなど合コンを多様な面から考える一冊

合コンから格差問題が出るなど非常に面白いです。
合コン好きな人も合コンに行ったことない人も楽しめます。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

〈「合コンは、誰もが参加できる平等な競争の場である」--広く共有されたこの前提は、実は幻想にすぎない〉 という立ち位置から、合コンという「場」にひそむコードをあきらかにしていこうというのが本書。「職業・年齢・容姿といった序列が如実に出るのが合コンだ」ってこと? いやいやむしろ、そういった序列でもって「あらかじめ仕組まれている」のが合コンなのだ。合コンを通じて、若者たちは、(かつて「見合い」がそうであったように)あらかじめ出逢うべき相手と出逢い、釣り合った相手と結婚する。合コンは、ロマンチックな「運命の出逢い」を演出することで、結果的に社会構造の維持に貢献している「制度」なのである。
 調査方法としては首都圏の女性20名・男性11名によるヒアリングということで、社会調査の方法としては狭く・深い方法をとっている。しかしこの調査方法が、山田昌弘でもなく、小倉千加子でもない、オリジナルな考察と結論を導いていると思う。なにより、調査対象から聞き取ったコメントがナマっちい。

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「一度、すごくかわいい男の子が目の前に座ったので、『うわあ、かわいい』って思わず言ってしまったら、あとで他の女の人たちにしかられた。みんなそう思ってるけど、合コンの場ではいわないものなのって」(女性・30代・専門職)

「未来のない大学院生っていうのは、けっこう使える。女の子は、大学院生と弁護士のあいだで揺れ動いて、最終的に弁護士を選んだ、と言える。私は収入で男を選んでませんって」(男性・30代・会社員)

「若い頃はばかだったから、自分の話ばっかりしてた。でも今はいっさいしない。聞き役に徹する。こんだけ稼いでて、こんだけ仕事ができて、こんな車に乗っててスポーツもやってて、なんて言われて『すごいねー』なんて言う女はめったにいないから。女の子の悩みをひたすら聞いてあげる」(男性・30代・会社員)

「あえてスカートとアンサンブル、みたいな合コンっぽい格好で行く。相手がそれを期待しているんだからとりあえずそれにあわせておく。……もし気に入った人がいたら、合コンではその人にはしゃべらせない。自分のプライベートな過去のこともどんどん話して、さばけた子だなと思わせる。それで、もう一回会いたい、と思わせる。男の人はしゃべりたがりだから、自分の話ができないと絶対に次、と思う」(女性・30代・会社員)

「合コンのことが書いてある雑誌とかを読むと、自分の良さを知ってそれを追究することが大切とか書いてあるけど、それは難しい。『自分らしさ』って言っても、それが『みんなに好かれる自分らしさ』じゃないといけないから。『みんなに好かれる自分らしさ』をつくっていくしかない」(女性・30代・会社員)

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 うーん。「赤の女王仮説」というか、生物の進化を見ているよう。相手の行動を先読みして自分の行動を決めて、さらにそれを織り込んだ誰かが裏をかいて……みたいな。誰か、生物学者が研究しないか、この課題。交配相手を巡る、複数プレイヤーによる複数回繰り返しゲームの例として適当なんじゃないか。

 こういった調査が裏打ちをしているぶん、最近の男女の恋愛模様についての考察としては『モテたい理由~男の受難・女の業』(赤坂真理/講談社現代新書)より遙かに説得力がある。
 現代において、若者が「結婚」するための条件を理解するためには、従来の社会学が頼りにしてきた「経済」という側面だけではもはや足りず、「ロマンティック・ラブ」を「制度」と見立てた視点、「結婚」を物語消費の一側面として見る視点が必要なんじゃないか……というのがこの本のキモなのだと思う。そして、それはたぶん当たっているんじゃないか……と思う。

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2014年03月29日

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ネタバレ

『合コン』と聞くと、正直あまり良い印象は受けません(笑)しかしこの本では合コンの描写が見事であり、合コンに行った事のない人でも想像に難くないでしょう。
真剣に読めば読むほど人間不信が募るかもしれません(笑)
合コンの手段から目的化のシナリオは少し考えればわかるので、この本で再確認する、といった具合でしょうか。
とにかく平易でサクサク読めます。内容も示唆に富んでいて興味深いです。
しかし社会学と銘打っているのに、主に対人関係を主軸に据えているので、タイトルと内容に違和感を覚えずにはいられませんでした(でも本来社会学とは対人関係においても研究するものです)。
最後の結びとして、中庸のスタンスの心掛けを言っていますが、もう少し踏み込んだ内容にしてほしかった…
せめて社会学と言っているので、包括的な内容で締めくくってもらいたかった。。
でも満足の一冊でした!

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2011年09月07日

Posted by ブクログ

合コンについて客観的に観察した本。
実際に行ったことはないけど、十分想像できるシチュエーション。
やっぱりあまりにも漠然としたカテゴリーでは共通点やきっかけを作るのも難しく、盛り上がる合コンというのは数少ない気がする。疑似合コンですらしゃべれないから、実際の合コンは厳しいと思うけど、コミュニケーションの訓練にはなるかもしれない。合コンは出会いの場ではなく、交友関係を広げていく、紐帯の役割を果たすのかも。

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2010年05月09日

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合コンに行ったことのある人なら、「分かる!分かる!」となるはず。

合コン終了後、同性同士で行われる「品評会」や「反省会」の分析などもされていて、なかなか鋭いと感じた。

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2010年01月15日

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なるけい氏から借りた本。「合コン力 上げましょう!!」の付箋がついてきました。
おかげさまで、鬼気合い入れて読み始めることができました!笑

「合コン」という世界を社会学的に書いた本。
なんとなく悪いイメージを持たれがちな「合コン」ですが、それによって恋愛や結婚が行われ社会構造の維持に貢献していることから、この本では合コンはもはや「制度」だと書かれています。

筆者は今や合コンに参加する人が求めているのは「理想の相手」ではなく「運命の物語」だと言っている。ここでおもしろいのは合コンという作られた制度の中に「運命の物語」を求めることだ。つまり、その「運命の物語」というのも結局は演じられたものでしかないのに、みんなそれを求めてしまっているというところに矛盾が生じていて、それを筆者が指摘しています。ではなぜ「運命の物語」を求めるのかというのが最後に書かれていますが、『社会の流動性が高まり未来の不透明な時代において自分たちの運命も不透明だからこそ、「運命で導かれた相手」という堅固なものを人々が求めてるから』ってな見解だそうです。
本当かよ!?って突っ込みたくなりますが、社会学的に見るとこうなのかもしれません。
そういう意味ではおもしろい視点だと思いました。

最後の方は、合コンと結婚の関係などを基にした恋愛観みたいな感じでした。まぁ僕の好きな「人それぞれ」って言葉を使えばそれまでですが、こういう視点もあるのだなという事がわかりました。いやぁみんなどう思ってるんですかねぇ?
ちなみに合コンのハウツー本ではないですが、参考になる部分もあるのでぜひ読んでみると良いかもしれません!

合コン力 上げましょう!!

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

真面目に合コンを分析した本
かつての学生のものから、社会人のモノに変貌した合コンは、かつてのお見合いや職場結婚の代替物。結婚・恋愛相手を探すことを目的とし、、社会的階層性が組み込まれているが、表面的にはそれを見せないようにする欺瞞性があるのが特徴

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2019年05月21日

Posted by ブクログ

常見陽平『ちょいブスの時代』(宝島社,2013年)の参考文献になっていた流れ(?)で読んでみた。

とくに気になったのは、第五章。『ちょいブス~』が参考にしていたのも、多分このあたりだったかと。
合コンの楽しみって、もはや異性との出逢いというより、むしろ同性の友だちを作るとか,仲間内でワイワイ騒いで飲むこと~になっちゃってるんでないの!?という指摘。
本来の目的とはかけ離れていってるのかもしれないけど、やっぱ同性の連帯感に勝るものはないんじゃないかなと思うわけで…。笑

あとは、なんといっても第六章。「理想の相手」ではなく「運命の物語」を~の節に、ものすっっごく共感した!!
曰く、男女が執拗に求め続けているのは、実は「理想の相手」ではなく、「運命の物語」の方なんだと。
〝私たちは、出逢えればいい、結婚できればいい、というわけではない。そこに、物語がほしい。〟(130頁)
〝おもしろいと思える人、直感で通じ合える人、いっしょにいて癒される人――それはつまり、ともに「運命」の物語を紡いでいける人、ということだ。〈中略〉たとえば「外国人」や「年齢差」はそれだけでじゅうぶんに物語の要素になりうるだろう。〟(134頁)
…うんうん、実によく頷ける話であるなw

でも、合コンこそが、この物語を構築するのに最適な場だ~という見解には、ちょっと疑問が残った。
思うに、運命の物語には“思いがけず”っていう要素が必要不可欠で、(表面上どんなに隠しても)自らガツガツ出逢いを求めて臨んでいる合コンにおいて、それはどうあっても成り立たないんじゃないかなと。たとえ周りにそうとはわからなくても、自分の中で出逢いを求めにいった自覚がある時点でアウト!みたいな。周囲への言い訳は立つけど、自分自身は騙せないから、それはもう偶然の出逢いではないよなぁと。
あくまで、そのとき自分の方は出逢いを求めてなかったんだけども“思いがけず”運命の人にめぐりあったのよ~ってな感じでなきゃいけないんだろうと思う。
その一方で、じゃあ職場恋愛は「運命の物語」にはならないのか?運命の出逢いの場としては味気ないか?って言われると、それも違うと思うんだなー。
それこそ“思いがけず”同僚の新たな一面を発見して惹かれたら、そこからはもう立派に一つの物語として始まっていくんだろう。
まぁ要するに、〝自分に納得のいくストーリーがつくれればいい。〟(134頁)ってことかw

だけど本当は、どんなに平凡でありふれた話だったとしても、それはその二人にしか紡げなかった物語だから。二人で歩んできたってことだけでじゅうぶん、どれも特別で唯一の運命の物語なんだけどね。
でも心のどこかに、ドラマチックなストーリーを夢見る自分も残ってるんだろうねぇ…それが厄介なのかも?笑
補論では、出逢いにストーリー性がほしいと考える心理について、行き先不透明で流動的な昨今の社会情勢のなかにあって,少しでも堅固なもの(=代替不可能な二人の関係)を求めようとする心性の現れ~と説いているけれど、これには大いに納得した。

ひと昔前なら、結婚/交際相手は「三高」(=高収入・高学歴・高身長)でなきゃ嫌!っていう明確な基準があっただろうし、抽象的なものであっても、“親が安心・納得する人”とか、わかりやすい人物像があったように思う。
でも、今の人が最も重視している条件って、もしかしたら「三低」(=低姿勢・低依存・低リスク)よりもっとわかりづらい、居心地の良さ~みたいな、非常に曖昧で難しいものなんじゃないだろうか。
一緒にいて居心地のいい人,あるいは、自分のテリトリーに踏み込まれても許容できる相手…のような。
そういう相手は、もちろん出逢っただけじゃ相性なんてわからないし、そこへ更に自分だけの運命のストーリーも求めて~ってなると…そういう人にめぐりあえる確率って、いったいどれくらいなんだ!?!?笑

合コンを社会学的見地から考察する~という試みが、新鮮で面白い一冊だった。

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2017年06月01日

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「合コン」がどういうものか知らないので、もう処分するという友だちにもらって読んでみた。
うーむ、若いやつはめんどくさいなあ。というのが最初の感想。仲間内の序列は明らかなのに、誰かひとりが目だったり外れることがないように気を回したり、「キャラ」をかぶったり、そりゃ疲れるだろうよ。
が、著者たちによれば、若者たちはかくも必死に偽装をこらしつつ、条件に適う「理想の相手」ではなく、「運命の物語」こそを探しているのだとか。結婚が経済的な生存戦略であることはあからさまになっているのに、なぜ古臭いロマンティック・ラブ・イデオロギーがいつまでもはびこり、なぜ若い世代が過剰に適応しようとするのだろうかと不思議になるが、阿部の補論は、階層化と不安定化が著しいこの世代においては、経済的条件と同時に、代替不可能な「純愛」という幻想もまた、安定を保障してくれる(かのように思われる)要素なのだという解釈を示している。
しかし社会が階層化し流動化しているのが事実としても、これほど息詰まる窮屈な関係性を彼らが自ら構築してしまうのはなぜなのか、そこのところがもうひとつ理解できない。当事者に対しては「もっと気を楽にもって」というアドバイスくらいしかできないだろうが、こんなに閉塞的な関係性しか想像できない若者が多いとしたら、それはこの世代だけの問題ではないと思うのですがね。

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2014年09月17日

Posted by ブクログ

合コンの社会学というタイトルに惹かれて購入。
文章は全体的に優しく読みやすく、その場では何となく言っていることは分かるが読み終えて全体を振り返ると結局何が言いたかったのか分からなかった。
また社会学に関して全く知識がないので時折出てくる専門用語が全く分からなかった。

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2012年11月12日

Posted by ブクログ

気楽に読める本かと思いきや、
とてもかたい文章で書かれてる。

盛り上げなくてはいけないという脅迫観念とか、
合コンのチームプレーとか、職業とかに関わる
合コン参加者の見えない序列とか、

分析は見事だし、内容も面白いけど、
なんか萎えるなぁ

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2012年03月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
私たちが求めるのは「理想の相手」か?
それとも「運命の物語」か?
「合コンは、誰もが参加できる平等な競争の場である」----広く共有されたこの前提は、実は幻想にすぎない。
男女は、まったくランダムに、真空状態のなかで出逢うのではない。
そこには社会の階層性が色濃く反映され、職業や年齢や容姿を軸にした序列がはっきりある。
私たちは、合コンを通して恋愛すべき相手と恋愛し、結婚すべき相手と結婚することで、社会構造の維持に貢献することになる。
合コンは、現代の私たちが出逢うために創りだした、そして今や私たちを取りこもうとする、まごうことなき「制度」である。

[ 目次 ]
第一章 出逢いはもはや突然ではない―合コンの社会学・序
第二章 運命を演出するために―相互行為儀礼としての合コン
第三章 運命の出逢いは訪れない―合コンの矛盾
第四章 運命の相手を射止めるために―女の戦術、男の戦略
第五章 運命の出逢いを弄ぶ―自己目的化する遊び
第六章 それでも運命は訪れる―合コン時代の恋愛と結婚
第七章 偶然でなくても、突然でなくても―合コンの社会学・結び
補論 合コン世代の仕事と恋愛―自由と安定のはざまで
おわりに

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月07日

Posted by ブクログ

新書にしては言い回しがとっつきにくく
社会学にしてはもっと深く突っ込んで欲しいところも。
でも、合コンを社会学するという視点はおもしろい。
「参加者全員で偶然を演出し、自分たちだけの物語をつくる舞台装置」というのにかなり納得。

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2011年01月31日

Posted by ブクログ

『合コンの社会学』(北村文、阿部真大、2007年、光文社新書)

「合コン」という男女が「出逢う」場とははたしてどんな場所なのか、そこにはどういうルールがあるのか、本当に異性に出逢えるのか、というようなことをまじめに解説している書。書店で見つけて、好奇心から思わず買ってしまった。

成程、合コンという特異な場では「運命の出逢い」などないらしい。だが、それでも合コンはなくならない。なぜか?それは合コンが合コンであるがゆえ、ということらしいです。

(2010年6月25日 大学院生)

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2010年06月25日

Posted by ブクログ

「社会学」という語に対するある種の胡散臭さと、「合コン」という語に対するうわついたイメージが、購買欲を刺激した。
昔はこういう「社会の風潮」を捉えた文章は大好きだった。そういうのがお得意な「AERA」なんかの週刊誌をよく買っていた時期もあった(特に高校生の頃ね)。
しかし今年ゼミに入って、それこそ毎週のようにレポートを書いては書き直して・・・の日々を送っていくうちに、こういう文章を読むと、「それホントかな?」というやや穿った見方を(今まで以上に)するようになってしまった。
「で、何が言いたいの?」という高慢な語が脳の中で跋扈し、反復される。
環境とは恐ろしいものである。
しかし「一般書」をそのような見方でこき下ろすのは、ある意味でルール違反なので、そういうのは一切捨象して感じたままに述べる(前置きが長い上にエラソーですみません)。
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・本書の最大の新しさは、阿部さんが言うように、「人は合コンでの出逢いに、唯一性を求めているのではないか(運命の出逢い)」という一仮説にあると思う。
阿部さんがさらに補足しているが、社会や対人関係が不安定なものになりつつあるからこそ、その安定を求めて「唯一性」を図るというのである。
確かに「運命の出逢い」(という思い込み)ほど、対人関係において強固な楔は他にないと思う。そりゃ相手が「運命のヒト」であれば、どんなつらいことだって乗り越えられるよね(なんか俺冷め切ってるな・・)。
ここらへんの論理展開が本書で一番興奮しました(つまり、阿部さんの書いた「補論」が一番楽しかったです)。

・北村さんが初めに言っていたように、確かに「合コン」というものをミクロにマクロに捉えているが、さらに要望するなら、学生がかつて行っていたという「合ハイ(合同ハイキング)」から「合コン」に移るプロセス、あるいは結婚が「お見合い」や「職場」という社会装置から「合コン」というそれに徐々にシフトしていくプロセスなど、言うなれば「縦の流れ」をもっとつぶさに分析して欲しかった。

・北村さんはジェンダーや経済的階層、文化的階層などが歴然として存在することを、あまりにも自明の理として語りすぎている気がする。経済的階層はともかくとしても、ジェンダーや文化的階層は受動側の認識によるところが大きいと個人的には思います(特に文化的階層について言わせてもらえば、「真に」文化的な人間など世界でもほんの一握りしかいないかと)。

・「おわりに」にて、一歩引いた視点で社会学について言及しているあたりは、とても好感が持てました。
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しかしこんな真面目にレビューするから変な風に思われるんだろうなあと思いつつ、レビューは一つの趣味なので、なかなかやめられません。
(2007年12月28日)

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2010年06月12日

Posted by ブクログ

タイトルが興味深くて読んだのですが、
合コンの現状と分析が細かく記載されていて面白かったです。
でも、繰り返しが多いので内容が被っている印象があります。
運命・偶然の出会いから結婚、少子化と問題も発展していきますが、合コンに実際参加した人の体験談や本音が垣間見えるのはリアリティがあって楽しかったです
友人の輪を広げるための手段にもなりえている今、合コンの存在意義や自分も参加してみるものなのか(笑)考えさせられる一冊でした!

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2009年11月30日

Posted by ブクログ

まさかのゼミの先生の推薦図書。こんなの読んでるから結婚が…(笑)。いわゆる「合コン」の必勝本ではなく「社会学」の本。人は皆運命の物語を求めて合コンしている。非婚化、晩婚化の原因が垣間見えた。階層性に興味のある僕としては社会階層もフィルターに関連しているらしくもっと深く掘り下げて述べてくれるとさらに面白かったと思う。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

最近の新書らしくさっと読める内容だった。著者たちはまさにこの本に書かれている世代であり、まさに自分たちのこととして書いているようだ。
31人のインタビューから導くというのはやや強引なようだが、読んでいて、それは確かによく聞く話であり、そうずれていないように思う。
面白いのは合コンで起きている様々な行為を社会学の視線で見てみるとどうなるか、という点だ。この本はそこは見事に書いていると思う。確かに合コンには作戦ありかけひきあり、共闘あり、絡まった欲望と抑制が複雑な場を作り上げている。その中での自分の振舞を考えないといけない訳だ。そこを解きほぐす。
結果、哀しい物語ができあがる。8人で進める囚人のジレンマみたいだ。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

合コンで人は「理想の相手」ではなくて「運命の物語」を求めているのだという話。経験的にはあまり同意できないが、n=31という一般論にはなりえない話なので、そういう人もいる、ということでしょう。補論の方が面白いかも。
「合コンは、奔放でカオティックにも見えるけれど、実は村祭り同様しっかりと既存の秩序のなかに位置づけられている。度が過ぎて秩序を崩壊させないように、囲い込まれた遊びの場だ。」という考察は的を得ていた。
あと、女性の求めている男性像が「三高」から「三低」になっているということははじめて知りました。

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2009年10月04日

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最後の補論を先に読むと見通しがよくなる。ロスト・ジェネレーションの仕事・恋愛観の根底にあるのは将来と価値観の不確実性という世代論。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

コンという切り口をどこまで学術的に切り取れるのか、と興味本位で手に取ってみました。

結果、結構共感できるし、あたりまえのことをあたりまえに書くということがこのテーマに関しては結構面白いんだなぁというのが全体を通じた感想。テーマチョイス勝ち!みたいな。

偶然な出会いを生み出す行為としての合コンの抱える様々な矛盾を指摘していきます。

偶然を装った作為的な出会いであり。
協同でありかつ競争であったり。
公平であるはずが最初からフィルタリングされていたり。
出会いの手段の合コンが目的化してしまっていたり。
等々。

個別の論点はなかなか楽しめます。



抜粋
合コン時代の私たちは、運命の物語を阻む要素を排斥しつくそうとしてきた。しかし今、本当に出逢うために必要なのは、恋愛や結婚のなまなましい現実に対する耐性だろう。相手の年収や容姿に惹かれてしまう自分がいるということ、自分の年収や容姿が相手にとって重要だということ、結婚に際しては社会的経済的なバランスを考えずにはいられないということ、そうした事実に目を背けるのではなく、この手にとって確かめてみる。そのうえで、「運命」をつくっていけばいい。私たちはかつてない数のプロットが利用可能で、さらに新しい物語をつくるための資源もたくさんあるのだから。

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2009年10月04日

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