【感想・ネタバレ】或る「小倉日記」伝のレビュー

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・・・・・書きかけ・・・・・


松本清張は、101年前の1909年12月21日に今の北九州市小倉に生まれたと確か覚えたはずなのに、最近の研究では、本当は広島市で生誕して小学校低学年は下関市で育ち小倉に住んだのは高学年になってからだといいます。さすがミステリーの巨匠、自らの出自もミステリアスに

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2011年07月20日

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ナツ100四冊目。
「事実は小説より奇なり」というか、
ミステリー小説ではない(犯人がいない)のに、
細かい人間描写の中に
人間の暗闇がどぎつく顔を見せている。
松本清張さんの文章に圧倒されて
やみつきになる一冊。

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2009年12月04日

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芥川賞を受賞した表題作と他5篇を集めた短編集。
後の清張のような推理小説的な展開はほとんど見られない。
まず表題作だが、小児麻痺のようなものを患った男が、九州にいた頃の森鴎外を研究していくという話。
全体にも通ずることだが、人物の心情などをほとんど地の文で書かない簡潔な文体が読んでいて潔い。
内容はまずまずといったところ。
他の4篇に関しては、全体的なテーマとして、登場人物(主に主人公)が、一つのことに集中していて他のことには目もくれないような一途さを持っており、
そのせいで他者の反感を買ってしまうという、熱心さに基づく哀れさが展開されている。
途中では、その人物に反感を持ってしまうが、話が終わるときにはいつの間にやら憐れみを感じている。
松本清張の初期の代表作といえるだろう。

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2009年10月07日

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松本清張氏初期の短編集。大衆向け、推理小説のイメージが強い著者だったのでいい意味で驚いた。

切ないやるせない結末が多い。人は皆孤独と向き合ってその人生の歩みを進めていく。だが自分次第でいかようにもできることを自戒すべきだ。

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2017年09月24日

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表題作は昭和27年度の芥川賞を受賞
純文学にカテゴライズされ、芸術的な評価を受けたものだが
今にしてみれば「天城越え」の原型的作品であり
社会派ミステリーの嚆矢として、日本のホワイダニット…
高村薫や天童荒太、宮部みゆきあたりまで影響を及ぼしていることは
顧みられるべきだろう
どんなつまらない人間にも人生の物語がある
その点を掬い上げようとする方向性は、自然主義~プロレタリアに続く
日本近代文学の正統とも呼べるものだ
まあ、「市民ケーン」の焼き直しと言われればそれまでだが

その他には
経済事情などで進学をあきらめるしかなかった人々の
それでもなお学問への情熱たちきれず
必死に努力を重ねはするが
結局はその情熱が仇となって、同学者に恐れられ嫉妬され
疎外されて偏屈になり
誰にも理解されぬまま孤独に朽ちてゆく姿を書いた
そんなような短編ばかり集めている
低学歴を補うため渡仏して、おのれに箔をつけようともくろむ
在野研究者のありようは
あるいは、「破戒」や「新生」に書かれた藤村の独善を
非難するものなのかもしれない

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2016年04月13日

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敗者の物語。
収められている短編はそのような企画意図で集められたものと思われる。
どれも、意欲と才能ある者が貧しさや経歴の不備ゆえに辛酸をなめる孤独な物語。
主人公たちはみな地方から東京へ何らかのコンタクトをとる。最初は歓迎され、のちに反感を買い、疎まれ、自らの情熱に殉死するかのような最期を迎える。
物語の序盤に主人公たちが最初は歓迎され期待されるところは、清張の作家デビュー時と同じようなシチュエーションなのだ。
しかしながら今となっては清張は敗者ではない。この表題作のあと、超のつくベストセラーを量産して昭和の大人物となった。
それにしても、これほど同じ構図を持つ物語をいくつもつづったということは、清張にとってこの主題はよほど重要なものだったのだろう。怨念に近いものを感じた。いいものを読んだ。
特に表題作は美しい。「でんびんや」の悲しげな鈴の音の描写がとても効果的。

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2014年08月03日

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松本清張の小説とはいえ、事件や時刻表が出てくるわけではない。
しかしこの初期の掌編にこそ、後に続く不朽の名作『点と線』の
老刑事の捜査への執念や、『砂の器』の
犯罪者の不遇な身の上が生む悲劇など、
氏の推理小説の原点を垣間見ることができる。

森鴎外の小倉滞在時の日記のゆくえを、長い歳月をかけて追いかけた、
田上耕作という男の話である。
彼は生まれながらにして歩行と言語に重い障害がある。
不自由な身体で差別にあい、孤独に押しつぶされそうになりながらも
小倉日記のゆくえを探して東奔西走する。
「小倉日記」は現存するのだろうか?
彼の調査は価値のあるものなのか?
最後の一文にせつないリアルがこもる。

再読。昭和27年芥川賞受賞作。

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2011年02月26日

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まだ狭い世界の、松本清張。 「或る「小倉日記」伝」
松本清張さんの本を読む際に、プロフィール欄に必ず書いてある本。
この作品で、芥川賞を受賞されたからですね。

読んでみると、文章に関しては、もう松本清張さんだな、と
思うのですが、世界観が今まで読んできた作品に比べて狭いですね。
登場人物の数だけでなく、独善的な主人公の意識がメインになって
短編が終わっていくからでしょうか。

自分の信念にまっすぐに、夢中になって、でも認められない、
報われないといった人の話が5つ6つ続くのですが、
そんな主人公の独善に、周囲の嘲笑に同調する際に
「はっ」とすることはありました。
自分の言動、行動に主人公と等しいものはないか?
独善的な振る舞いはないのか?

こういったところに、本の素晴らしさはありますね。
生意気な若手にさりげなく薦めてみてはいかがでしょうか。

松本清張氏の作家人生の中でかなり初期の作品ですから、
ここから数々の著作を経て、社会的な作品が生まれていくんですね。
次の本も読み始め、それが20年以上後に発刊されたものですので、
時期による違いも楽しめたらと思います。

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2014年06月24日

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森鴎外・俳句・考古学・・といった対象に魅了された人々が、そのマニアならではの視野の狭さから、皆不幸のうちに死んでいくという短編集。報われない努力、屈折、欲求不満、悪意・・不条理や人の暗部は話のコクを出すために必須だが・・嫌なことでもあったのか。

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2013年09月16日

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本書に収録された或る「小倉日記」伝については、
当時、母親が持っていた文芸春秋の増刊号に掲載されていて、
そこでたまたま出会った作品。24ページ程度の短い小説ですが、
その時の印象が強くて、どうしても芥川賞はこの作品を基準に考えてしまう。

森鷗外の失われた日記を探すという素朴な題材ながら、
病気で苦しむ息子と、それを助ける母との関係に感動を覚える。

[1952年、日本、268P、芥川賞]

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2012年10月28日

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