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恐ろしいほど狂気に満ちた作品だった。
ナチスドイツがさいしょに虐殺したのはポーランド人でもユダヤ人でもなく、同胞ドイツの精神病患者たちだった、という事実。それを当たり前だと賛同していた精神科医師たちが多くいたと言う事実。
狂気の沙汰にあふれた時代を舞台に、患者を救うため一か八かの博打に打って出た医師ケルセンブロック。しかしそれすら、使命感によって自己正当化された狂気の一端である。
精神科医でもある作者のリアリティ溢れる表現と、鮮明な描写、鬼気迫る行動で、気持ち悪い汗が止まらない。
蒸し暑さが増す部屋で読むべき作品ではなかったな。
正気と狂気の境目はいったいどこなのか?考えさせられる。
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全体的に灰色がかった雰囲気の中、救いがないストーリー。短編で読みやすいのだが、すべて読み終わるのに時間がかかってしまう矛盾が・・・とても考えながら読んだ作品。
表題作も引き込まれたが、「岩尾根にて」が一番よかった。
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読み始めました。何年ぶりでしょう。30数年ぶり。
(2013年11月23日)
◎「岩尾根にて」
○「羽蟻のいる丘」
ほかは、「×」
(2013年11月25日)
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『楡家の人びと』を読んで再読したくなった初期作品集。
表題作は述べるまでもないが、他の4作品も締め付けられるような死の臭いが漂う緊張感、そして読者を放り出すような感じでもってそれぞれの解釈に作品そのものを委ねるような結末、いずれも素晴らしい作品ばかり。
自分の時間を割いたことに対する十二分な報い、小説を読むということの醍醐味を感じずにいられませんな。
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北杜夫の短編集。『夜と霧の隅で』がよみたかったのだけれど、その他の名前の知らない短編も、非常に繊細で理知的で心に残るものばかりだった。人間の不気味さを綺麗な文章で浮き彫りにしているかんじ。前から読みたいと思っていた『夜と霧の隅で』は、想像以上にグロテスクで悲しい話。ナチスドイツの時代というだけで物語は陰惨なものになるが、さらに精神疾患の患者たちを題材にして扱っている。深く深くまで心が抉られるような、そんな不気味さであり、本当にグロテスク。視点を登場人物から離して語ろうとすればするほど、描写が真に迫ってくる。ここまでじめじめとした話は久しぶりに読んだ。身体的な意味でも心にダイレクトに入ってくる人間の業の深さ。何が正しくて何が間違っているかなんて時代によって180°変わる。だから今この本を読むのはとても怖いことだけれども、多分そこまで計算して人間の罪深さを配置した本なんだとおもう。
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恥ずかしながら、北杜夫のまともな小説を読むのは始めてだった。これまでエッセイやコメディ系の作品ばっかり読んでいたので、彼の事を、てっきりうわっ付いたおっさんだとばかり思い込んでいたが、この小説を読んで考えを改めた。これ程端正な文章を書く人は珍しい。しかもそれだけではなく、内容も読者に媚びる事なく、非常にしっかりしている。読んでいて、頭がしびれてくるような感覚に陥ったのは、三島由紀夫以来だった。この振れ幅の大きさは、精神科医であり、自身も躁鬱病を抱えているからこそなのだろう。どくとるマンボウ航海記と同じ時期にこんな作品が発表されたなんて、全く信じられれません。それほど純文学として高水準の作品です。
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表題作は、ナチスの『夜と霧』政策の進められる社会の隅で絶望感と向き合わされる精神科医の物語。他の作品も作者の体験に近いフィールドを題材としたものが多いですが、洗練された普遍性が感じられるような。
全体的に、20世紀中盤のレトロな雰囲気があります。
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表題作、名前だけは知っていた。この作品ではないが、読むべき本として北杜夫の名前が上がっていたことから、初めて手に取ってみた。
表題作と他四つの短編で構成されている。
最初の、岩尾根にて…は、前半ただひたすら山を登っていく様子が描かれる。そこでちょっとモタモタしてて、なかなか進めてなかったんだけど、後半は1人の男との出会いから、会話が続く。夢幻のようなその出会いは、ふと能の世界にも通じるような気がしてきた。
事物の描写も大したものだけど、こういった会話でも読ませる作家なのだなと思った。
どくとるマンボウ、船乗りクプクプあたりはもしかしたら昔読んだことあるかもしれないが、内容は忘れてしまった。なんとなく明るい感じの作家というイメージが残ってたけど、今の歳になって読むべきものがある気がした。他の作品も手に取ってみたい。
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精神障害者は殺処分すべしという極端な命令。抗う術は治療の希望を示すのみ。荒療治で患者を死なせつつも留まらない医師。彼のやり方を悪と同断するのは難しい。
精神患者に価値なしとの発想は武田泰淳の富士にも
そのほか、どんよりとした空気の短編が幾つか。
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客観的に間違っていることを頑固に信じるのが妄想だ。でも誰だって客観的に生きているわけではない。個人だって国家だって民族だってそうだ。
精神を病むと言うことが深く沈みきること、人間の持つ最も原始的な地場に帰ると言うことになるのかもしれない。
上記が心に響きました。第二次世界大戦中のドイツの精神病院を舞台に、精神病患者の心や脳に触れようとするものの、触れられない霞がかっているそれは何とも言えない小説でした。
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頭から順に読んでいくと文芸というか文学というか
解説に云う「透明な論理と香気を帯びた抒情」というふぜい
つまり「お話」のない小説でない文章で
心境を情景描写に仮託しているようなそれである
仮託とかいうことばを使う時点でそんなかんじお察し
最後に収められている表題作は他と違って「お話」が明瞭な小説として読める
こういうのだと読み下しやすい
またこのお話からみればその他の作品にある作者が描こうとしていたものも
なんとなく理屈づけられて見えるような気がしないでもない
つまり小説すなわち筋書きのあるお話でないものは
筋書きでいちおう方向が示されているものに比べてどうとでもとれるのではないか
どの作者が書いたのかより不明瞭で
詩歌のように短くなるほど表現技術の高低も素人に判別困難になる
絵画でも音楽でも万人が評価するものが優れている証だとは思わないが
評価できるひとにしか評価できないものは
どうとでもとれるようにみえるものに多いようにみえるのが素人の感想
文章は手段であり目的のあるものではない
作品は目的を形にしたもので作者にせよ誰にせよ
ひとのこころを動かすべく作られたものだが
その機能が目的を果たしているかを判断するのは使用者の規格に適合するかで
作者のもとにはないと言える
この本については
表題作は小説として無難に良く文句ないが
その他は
例えば高校向け国語の教科書に採用されるかどうかという「規格」で評価するなら
ややいやはっきり落ちるといえると思う
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ひさしぶりに文学な作品を読んだ。
小説と文学の違い(とわたし流の分け方)は、
地の文が説明、解説になっているものと、
文が練れていて、雰囲気が漂うもの
とである。
もちろん、前者でも後者でもいいものはいい。
コクがあるものが傑作なのであるし、読む楽しみになる。
この短中編集に収めてあるのは
「岩尾根にて」「羽蟻のいる丘」「霊媒のいる町」「谿間にて」「夜と霧の隅で」
どの作品も心揺さぶられるのだが、やはり芥川賞の「夜と霧の隅で」が印象深い。
第二次大戦中、ドイツ南部の町にある公立精神病院の医師たちは、
ナチス政権による民族浄化というとんでもない思想の影響を受けざるを得ないその苦悩がある。
それが単にドキュメンタリーではなく、文学的で深みがある文章が心にしみた。
迫害されるユダヤ人だけではなく、精神疾患者たちにとってもむごい政策というか仕打ち。
そして病んでいる本人たちには何もわからないのだ。
患者を治療しているドイツ人医師たちの悩みはさまざま。
そこに同盟国の日本人医師も留学生としていたが病み、入院してその不条理を経験する。
その妻がユダヤ人という設定も悲しい。
わたしが映画や文章などで知ったことよりも、この中編は胸に響いた。
それが文学の力と思う。
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「岩尾根にて」
山中で自我を失ったような気分になる話
クライマーズ・ハイかな?
「羽蟻のいる丘」
自暴自棄のため放射能Xの女王蟻に自分を重ねる女がいて
気の毒なのはそれにつきあわされる幼い娘だが
「霊媒のいる街」
逃げ場のない大人たちはロマンを求めてたわごとを言う
本当に過去を忘れられない坊やはハードボイルドにひたって生きる
「谿間にて」
蝶の採集で名を成したいあまりに精神の様子が少しおかしくなった人の話
かつて失われた全能性が蝶のまぼろしとなって現れるのだろうか
「夜と霧の隅で」
ナチスの断種政策によって収容所送りにされる患者を1人でも救おうと
無謀かつ無意味な実験手術に走る精神科医の話
まったくの本末転倒である
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「岩尾根にて」、「羽蟻のいる丘」、「 霊媒のいる町」、「谿間にて」、「夜と霧の隅で」の五編。
山を舞台にした話と、脳・心理・精神医学に関わる話が多い。何かを考えさせられるというよりは、不気味な絵を見ているような、引きこまれて不思議な世界に連れて行かれそうな短編が多い。
「夜と霧の隅で」が面白かったので星を一つ増やした。
第二次大戦末期、ナチスは不治の精神病者に安死術を施すことを決定した。その指令に抵抗した精神科医たちは、不治の宣告から患者を救おうと、あらゆる治療を試み、ついに絶望的な脳手術まで行う。
精神病者を救うために博打のような手術に臨む医師らの苦悩。その中にひとり入院している、ユダヤ人を妻にもつ日本人医師高島のストーリーが挟み込まれる。「夜と霧」という言葉が比喩で何度も現れ、精神病者を、医師を、病院を、戦争を、個人を、人を、周囲から切り離していく。答えもゴールも見えないような、内臓の縮むような小説だった。
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1960年上半期、芥川賞受賞作。選考委員10人のうち8人までが◎(他の2人は〇)と圧倒的な支持を受けての受賞だった(倉橋由美子の「パルタイ」もこの時の候補作だった)。言うまでもなく、V・フランクルの『夜と霧』に触発されての作である。本家がホロコーストを描いていたのに対して、こちらはタイトルにもあるように、その片隅で密やかに行われていた、精神病者の抹殺に焦点を当てた、精神科医でもある北杜夫ならではの小説だ。ただ、『夜と霧』が、まさしく当事者としての迫真性を持っていたのに比すれば、良くも悪くも客観的な視座だ。
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精神病理に通じた作家による、秀作。
殊に精神病に関心のある自分にとっては、特にその「行間」を読む醍醐味を感ぜられる。
初読で印象深いのは「岩尾根にて」「夜と霧の隅で」。
特に「岩尾根にて」は、精神科医ならではの洞察が感じられてインパクトがある。再読してじっくり噛みしめるに値する作品。
全体的に文体は平易で、描写はややざっくりとした印象はあるが、あまり気にならない。それを補って余りあるだけの充実さがある。
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ナチスの考え。益になる人間と益にならない人間がもしいるとしたら。といった発想自体が。非常に危なっかしく。さらに洗脳という言葉を使って総括してしまえばすべて片付いてしまうというか。わけがわからなくなってしまう。といったほうが正常にも思えて。あの悲惨な収容所をひとことで言えば益とは何かと医師たちが葛藤するためだけにただ耐えなければならならなかった。としか言いようがない。わけがわからなくなったときにはそれしか手段は残されていない。耐えることしか。ない。
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表紙が串田孫一の版で読んだ。最初に収録されている「岩尾根にて」が一番好きだった。自分と相手(と滑落死体)の区別がつかなくなる場面は映像で見たい。
「夜と霧の隅で」では、精神病患者を助けようとするあまり、体制側と同じ思想(=人間は役に立たないと生きていてはいけない、何とか彼らを役に立つ人間にしなければ)に陥ってしまう医師の姿があわれだった。対照的に、半身不随でほとんど自分では何もできなくなった元院長は、患者たちから絶大な尊敬を集めていた。
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日本語を活字で見ることが好きだ。
だから基本的には読み始めたものはどんなものでも倍速読みでもとりあえず読み終えようとする。
だが、今回は、短編にも関わらず、何度も本を置こうとしたくて堪らなくなった。
一言で言うと不快。
ナチスによる精神患者の安楽死、その大まかすぎる粗筋のみに依拠して手に取ったことを後悔した。そんな短絡化できない気持ち悪さ。
物語のプロットをここに書いてもこの作品の気味の悪さ、不愉快さはとてもではないが表しきれない。黒板に爪を立てたような、顔を背けたくなるような軋んだ音に満ちた正常を装った異常さ。
ナチスの命令に抵抗する医師たちのもがき苦しみ?そんなつまらない文で要約なんてできない。読み手の反発と嫌悪を引き摺り出す歪んだ文章。
他の作品を読むと同一の作者とは思えない。こんなにも全ての登場人物に共感できない作品は久しぶりだ。
文章をなぞるだけでは分からない。考えに考えを重ねて、立ち止まってひとつひとつ見つめ直さないとわからない。同時に分かろうとすることで染み込んでくる気持ちの悪い正体を振り払いたくなる衝動に駆られる。分かったと思っても分からない。そんな作品がみちっと詰められた狂気。
この作品だけでは判断がつかない凄まじい筆力だ。
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北杜夫にとって精神科医である以上書かなくてはならないテーマだったと言っているが、今にしてみれば内容は薄いと感じた。
ひとつ思うことは、戦争という背景があり精神科医の苦悩があってこそ現在のノーマライゼーションの考え方で人格が尊重されているんだなと考えさせられる作品だと思う。
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表題作の他にも短編が一緒に収められている。
個人的には表題作ではなく、蝶採集人が語る「谿間にて」が好み。動物を相手に、厳しい自然の中窮地に追い込まれながらもひたすら闘う。ヘミングウェイの老人と海にも通ずると勝手に思っている。
表題作も、初めは淡々と客観的に語られ、患者はもちろん医者も変わり者、というように始まった。そこからの切り返し。しかし語り口は変わらず。絶妙だと思った。
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北杜夫氏の初期作品集
氏がそう状態の時に書いた、さまざまなユーモアあふれる小説ではなく、深い思索に入った時に書かれた作品が集められている。
自然に入る、山に入る作品についても、その自然の描写、山の描写は主題ではない。そこに置かれた人の内面を抉り出すように書き残す。
そして表題作の「夜と霧の隅で」
ナチスドイツの優生思想の中に置かれた、精神科の医師たちの姿。
北杜夫という偉大な作家の、ひとつの面にじっくり浸ることができる作品。
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「夜と霧の隅で」ナチスのユダヤ人だけでなく不治の精神病者まで間引いていく命令に、考えられる治療を全て行い、患者が連行されていくのを防ごうとする医師。不治の対称でなかった日本人だけが治り、ユダヤ人の妻がもういないことを悟る。退院間近に自殺してしまうが、様々な苦難の現実に覚醒され、彼を絶望に導いたのか。他初期作品4編。2016.8.21
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・岩尾根にて
・羽蟻のいる丘
・霊媒のいる町
・谿間にて
・夜と霧の隅で
の五編。
最初の1編を読み終えて、あれ?
これって別の話し?「夜と霧の隅で」でじゃないよね?
とよく見たら、5編掲載の1編目であった。
「夜と霧の隅で」
読み始めて、ありゃ?
これは、同じ芥川賞受賞作品でも、又吉君の「火花」とはちょいと違うな。大丈夫か。読み終えられるのか。
苦手な、カタカナ名前がたくさんでてくるし。。
でも、終盤は一気に読んでしまった。
読み終えて、何ともいえぬ、重いもの(別に嫌な感じじゃなく)が残った。
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芥川賞の表題作。読んでいるうちに怖いなぁと思ってきました。何が現実でどこからが妄想なのか。脳がそう思い込ませているのだったら、もう分かりようがないよなぁと。そして異常者を排除しようとすることの正当性。読み終わった後も、悶々としています。 他にも短編が収録されていますが、抽象的でよくわからなかったのと、虫が嫌いな私には少し気持ち悪く感じてしまいました。
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表題作『夜と霧の隅で』、ナチス下のドイツで"真っ当な"血統保存を目的として行われた分裂病患者の殺害。精神病患者の病院を舞台に、そこで医師として働くケルセンブロック、患者として入院するも、ユダヤ人の妻を亡くし最終的には自殺してしまう日本人のタカハシ、年老いた院長、様々な立場に置かれたそれぞれの人々を描く。
有益か無益か、合理的思考からその二元論的な結論に達してしまいがちだが、そうだとしたら戦時中の精神病患者たちは軍部の目には間違いなく"無益なもの"として映るのだろう。「p252 人間についての僕の考察をいえば、この時代やこの戦争が特に暗黒な目をおおう時代とは思えないね。人間の文化、道徳、殊に進歩に関する概念なんてものはたわごとだ。人間の底にはいつだって不気味なものがひそんでいるのだ。」これは戦時中という時代背景に特有なことではなく、弱者を切り捨てる政策というのはいつだって見られることだ。でも最後のツェラー院長の無言の回診のように、合理的な意味がないにしても人の心は動かし得る。いわば、無益なもの同士がお互いに影響しあう様は現代人に何を示してくれているのだろうか。
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北杜夫の小説は実はちゃんと読んでなかったりする。イメージでは「どくとるマンボウ」みたいなユーモアある作品ばかりかと思っていた。しかし芥川賞受賞の表題作を始めこの初期作品は何かピュアな狂気を感じる。
「夜と霧の隅で」は第二次大戦末期のドイツでの治る見込みのない精神病患者、いわゆる(民族と戦争に益のない人間)の安死術を背景にした作品である。ドイツ人医師が患者を安死させないため、非道な治療を試みてしまう話は、抗えない現実には道徳的な矛盾をも呑み込んでしまう人間性を考えさせられる。
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追悼コーナーで平積みされていたので手に取りました。「追悼」って、普段はなかなか読まない作家と出会うきっかけになるけど、寂しい出会い方だよなあ…。でも、だからこそ印象に残るし、大事に読もうとも思うのです。はい。
正直数編は味気ないというか、つまらないな、ていうのが第一印象でした。地味な交歓?ドラマ性溢れるエンタメ小説と人が死ねば死ぬほど楽しい小説ばっか読んでるせいですね…。こういうの読むと、ギブミー読解力!共感力!て心底思う。
どっこい表題作。これはすごい。ナチスドイツものを日本人(しかも精神病んでる患者)の視点から描いてるのが珍しいし、戦禍に未だ巻き込まれない僻地の微妙な緊張感とか、医者達が静かにおかしくなっていく葛藤とか、息を吐かせず読ませます。
中でも、灰色の脳細胞を研究してる彼の、閉塞感〜狂気〜再びの閉塞感に至る顛末がゾッとするような現実感で迫ってきます。
最後の数行、人間が狂気に陥った後でまた日常に何食わぬ顔で戻ってくる描写が一番怖かった…。
●岩尾根にて…友を山で亡くして以来、断崖を登ることを止めた私が出会った死体と奇妙な男。
●羽蟻のいる丘…羽蟻に夢中になる幼子と、緩慢な会話を繰り広げる男女。
●霊媒のいる町…霊媒の現象に懐疑的な男が出会った霊媒体質の少女と彼が目にした思いもかけない人との一瞬の邂逅。
●谷間にて…何となく川を遡上した少年が出会った男は、嘗て追いかけた稀少な蝶の話を語り始める。
●夜と霧の隅で…ナチスの行った「夜と霧」政策。安死術が相応と判断された精神病患者に対して、苦悩する医師達がそれぞれに取り始めた対応とは。