【感想・ネタバレ】一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集―のレビュー

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Posted by ブクログ 2022年11月10日

 こういうのを楽しみ、味わえる人間でありたいと思い読みました。悲しいことにそういう人間ではありませんでした。
 わかるやつはよかったですが、わからないやつはとことんわからなかったです。アホで辛い!

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Posted by ブクログ 2021年06月23日

石川啄木が好きです。
自分への圧倒的な自信、時折垣間見せる傲慢さ、このままでは生きたい道では生きていけない弱さ、人間としての甘さ、それでも圧倒的な魅力。

すべてが含まれている彼の作品が好きです。

『一握の砂』
『悲しき玩具』

両方を読み比べることで、彼のことを好きになる人もいれば、彼のことを嫌...続きを読むいになる人もいると思います。

有名な作品だけではなく、まだ知らない作品に心奪われるかもしれません。

今から石川啄木の作品に触れることができるのはうらやましいなぁ。

もう一度、最初に読んだ時の気持ちで、石川啄木を読み返したいな…。

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Posted by ブクログ 2014年10月04日

【本の内容】
啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。

貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼...続きを読むの最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。

[ 目次 ]


[ POP ]
「真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児のあり」。

死にし子を歌う一連の絶唱は、『一握の砂』の末尾に付加されたものだ。

啄木を教科書でしか知らない人は、ぜひ全体を味わってほしい。

日本語の至宝である。

[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2014年03月16日

啄木の感性の鋭さや視点の細やかさなどを知ることができます。
また、自己の心情をそのまま言い表したような短歌も何首もあり、見ていて飽きません。

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Posted by ブクログ 2013年06月06日

えもいわれぬ寂寥感。
あたかも溜め息の代わりに歌を詠んでいるかのよう。本書と万葉集をかじってからというものたまに拙い短歌を詠むようになってしまった。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2012年03月21日

NHKのテレビ番組のJブンガクを見ています。
2010年の8月に一握の砂を紹介していたので読み直しました。

石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消えゆる時なし

という詩を

the grief of leaving hometown as if chased by men with...続きを読む stones never goes away

と訳していました。

へー,そう訳すんだと
一握の砂 の中身と英語の勉強になりました。

英語にしてみると一握の砂 の良さと日本語の良さを再認識できることが分かりました

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Posted by ブクログ 2011年12月10日

ヤバイ、まず冒頭の献辞がヤバイ。今まで読んだどの献辞よりも心打たれる。

『-また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生まれたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。』

貧困と死別によって着想を得た短歌は...続きを読むどれも哀愁が溢れる。秋に読んで正解だった。

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Posted by ブクログ 2011年05月16日

啄木は5・8・5を好む、今でいう早口ラップ的な。もっと文字の多いやつも結構ある。しかし、書く内容は風景情緒やワビサビなどではなく、日記のようなリアルの日常。おそらくこの攻撃的なリズムで日常を打破したかったのであろう。現実への怒りが滲む、生の言葉たち。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2011年02月02日

初期の啄木のよさは傲慢さ。
後期の啄木のよさは弱気。

それが『一握の砂』、『悲しき玩具』が両方入っていることによって感じられて素晴らしい。

2011年の今でも、共感できる詩が多いのも啄木らしさだと思います。

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Posted by ブクログ 2012年02月19日

今から128年前、金田一京助は1882年5月5日に岩手県盛岡市で生まれて、39年前の1971年11月14日に79歳で亡くなった言語学者・民俗学者。

その子息の金田一春彦(2004年に91歳で没)とともに、言語学者として多くの編纂に携わった国語辞典を、私たちも重宝して使わせてもらい(そう思って使って...続きを読むいたのですが、実は京助センセの場合は、実際には一冊も関わっていなくて、全部ただ人がいいために名前を貸していただけだと後年に知って憤慨したものです)、今はテレビで孫の金田一秀穂に国語の蘊蓄を聞くといった具合に、三代にわたる日本語に取り憑かれた一族だというのは少し強引な括り方かしら。

それにしても、いみじくも本書の著者名に2名連記で金田一京助の名前もあるのは、もちろん編者という意味以外になにもありませんが、ところが、ご存知の方も多いと思いますが、ふたりの関係は本当はそれだけではない、深い深い肉親以上のつながりがあるのです。

といっても同性愛ではなく、石川啄木は同郷、盛岡中学の後輩で、東京に出てきてからもよく面倒を見ていた、という言葉では収まりきらない常道を逸する行為、つまり金田一京助は頻繁に石川啄木が無心するままにお金を貸して、さらに手元になくなったらなんと自分の家財を売ってまで貸していたというのです。

これは、ただ同郷のよしみとか、面倒見がいいという話ではけっしてなく、金田一京助が石川啄木の才能を見抜いて、このまま埋もれさせるのは惜しい、是が非でも自分のちからで世に出してあげたい、なんとか助けてやりたいという強い気持ちが、矢も盾もたまらずそうさせたのだと思います。

なのに、ああ、現実はいつも残酷です。頼むがままに気前よくお金を工面してくれる人の気持ちを踏みにじって、石川啄木は何をしていたかというと、せっせと18歳のときに結婚した妻の方の実家に預けた妻・節子と子供に仕送りした訳ではなく、ほとんどを浅草で娼妓を買ったりする遊興費に消えたというのですから、呆れて開いた口がふさがりません。
本当になんと卑劣な奴でしょうか。

この間のエピソードが鮮明に描かれていて衝撃的なのが、あの名作マンガ・関川夏央と谷口ジローの『「坊ちゃん」の時代 全5部作』のうちの『第三部 かの蒼空に 凛冽たり近代 なお生彩あり明治人』なのですが、多分きっと、金田一京助のこの渾身の経済的援助、のみならず精神的後押しがなければ、おそらく石川啄木は世に出ることもなく人知れず死んでいった、ただのだらしない男にすぎなかったかもしれません。

あと2つ、京助センセには他の学者先生にはない、とっておきのエピソードがあります。

これも、ご存知の方はご存知の有名な話ですね。

そう、アイヌと、それから横溝正史ですが、またいつか書きます。

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Posted by ブクログ 2010年05月09日

生活に関しては、女にも金にもだらしなく、借金まみれの可憐な駄目人間。
文学に関しては、苦界にあってますます鋭く尖る自負心をもつ気位の高い激情家。

蟹と戯れたり、母を背負って泣いたり、停車場で同郷人の声に耳を澄ませたり、
センチメンタルな石川啄木のイメージが吹ッ飛ばされた。
教科書に掲載されている紅...続きを読む顔の美少年のような本人の写真と相俟って、
石川啄木は感傷と叙情の歌人と決め込んでいたけれども
実は感傷など差し挟む余地もないほどの貧乏に生涯を追いまくられた人だったという。

生活苦によってへし折られようとする自負心を支えるために
周囲に向ける攻撃性は凄みがあり、痛ましさと同時に畏敬も感じる。
この攻撃性をもったまま、教科書掲載群の一連の歌も創作していたと思うと
この人の奥行きに改めて感嘆する。
自分の苦しみ、社会への怒りの両方を客観視していて
時にぎょっとするほど冷めている。
直情的に憤激を詠んだ直後に、苦悩している自分を題材に諧謔的な歌を詠む。
触れ幅の大きさに、啄木本人の苦しみの深さを感じる。

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一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと


鏡とり
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時

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Posted by ブクログ 2010年02月09日

不来方の
お城の草に寝転びて
空に吸われし
十五の心


何度読んでも
十五の夏を思い出す
ちょうど読んだのも
十五だった気が
平城宮跡(近所)に
寝転んだときの
草の匂いがするうた

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Posted by ブクログ 2024年01月19日

歌の内容は何とも暗い。
しかし暗いだけでなく、その中に日々の小さなあたたかな出来事や、それらを愛する気持ちが感じられて、啄木の筆致のいみじくがつたわってきた。
生まれ故郷への哀愁も、貧困による喘ぎも、病による苦しみも、たくさん歌に詰まっている。
哀しくもなるが、共感もしてしまう。
豊富なあとがきや啄...続きを読む木自身と彼の歌の解説により、石川啄木をよく知りたいという方にはかなりおすすめです。

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Posted by ブクログ 2023年12月21日

東北の旅行中であること、voicyフェスで安宅和人さんが良く読まれる人として話されていたので気になり再読。

どこか懐かしくなる心に沁みる詩が溢れホッコリ。記憶力の悪いワタシでも記憶にある様な作品がチラホラ。

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Posted by ブクログ 2023年11月01日

早逝の天才詩人というイメージから、もっと自由闊達な詩を期待していたが、意外と青臭くジメジメしていた。
晩年の正直な文体はいい。

私の今の年齢で亡くなった啄木。
その太く短い人生がこれ一冊に凝縮されており、読んだだけで何となく知り合いのような気持ちがしてくる。

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Posted by ブクログ 2023年02月18日

赤貧あらうが如しの生活であったのだろう、その疲れが歌に表出している。でも啄木の歌は限りなく優しく、かつ哀しい。この作風は好きだ。

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

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Posted by ブクログ 2021年02月11日

亡くなった母が好きだった本。読み返してみると、母の世界が目の前に広がる。またまだ、私には難しい世界。

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Posted by ブクログ 2020年09月27日

一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集
(和書)2011年04月14日 23:31
1952 新潮社 石川 啄木, 金田一 京助


歌集など読んでみたい感じ、この本を手に取ってみました。歌集や詩集は気軽に再読してみることができて、愛読書にすることができます。

良い歌集だと思いました。

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Posted by ブクログ 2017年10月15日

まるで日々の出来事を綴る日記のような短歌集。そのせいか比較的読み易い。

巻末の年表に目を通し、啄木の境遇に思いをはせながら読むことを薦める。生活苦、望郷の念、思い人、そして病気、様々な作者の思いが身にしみる。

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Posted by ブクログ 2017年08月08日

書店でふと気になって購入。最初に読んだのはたしか小学校5年生のときだから、29年ぶりくらいか。まあ、小学生では、この作品はちょっと味わうのは難しかったな、、(笑)

神童といわれた田舎の青年が家庭を持ち、故郷を離れ、仕事を転々とし、困窮し、病に倒れる。本当は小説家になりたかったという啄木が、気休めに...続きを読む書いていた短歌を集めたのがこの名作です。故郷を思う気持ち、両親、友人らとの懐かしい日々を懐かしむ気持ち。いや、今の年齢になって読むと、共感できる歌も多く、沁みますね。

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Posted by ブクログ 2016年03月21日

こんな乾いたかなしいひとはランボーの他知らない。
ランボーは宇宙に突きぬけることで、戻らずに行ってしまったが、この石川啄木は違う。どこまで行ってもおんなじところに帰って来てしまうのだ。だから、どうしても乾いてしまう。彼の心を癒やすものはなにもない。書くことさえも、ときには重たく彼を掴まえる。ここでは...続きを読むないどこかへ。彼はそんな場所を探し求めて歩いていたのかもしれない。
彼の生涯には、貧困という大きな問題が何よりもつきまとっていたのかもしれない。しかし、彼はそれさえも、突き抜けて歌い続ける。彼にとって歌うことはそのくらい、自分自身であったからだ。ならば、どうして、自分は歌わずにいられないのか。彼はその驚きを乗り越えるため、どんなに苦しくとも歌う。苦しさまでもが彼という歌の前では、ことばに変わってしまうのだ。歌人というより、歌そのものだといってもいい。
だから、彼にはランボーのように筆を折ることができなかった。命続く限り彼は書き続けることで、書くことに反抗し、跳び出そうともがく。彼の歌に流れる息詰まるような感覚は、どこにも行くことのできぬそんな自分へのいら立ち、諦め、そういうものでできあがっている。

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Posted by ブクログ 2011年01月20日

啄木の詩は美しい。そこには感じることしかない。
貧しいこと、哀愁を感じること。そういったものをいとおしいと思ってしまう。
運命への無抵抗な態度。そこにこそ啄木のうつくしさがあるのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2010年12月19日

啄木の歌は、国語の教科書なんかで、みなさん一度は目にしたことがあると思います。

不来方(こずかた)の お城の草に
寝ころびて
空に吸はれし 十五の心

これは青春の爽やかさを歌った名首ですよね。心までもが空の青さのように染まっていくような、清涼感。ちなみに啄木は、この不来方のお城へ、ちょくちょく授...続きを読む業を抜け出しては寝転んでいたそうな。なんだか明治の尾崎豊みたいな感じですね。



たはむれに 母を背負ひて
そのあまり 軽きに泣きて
三歩あゆまず

これは切ない歌です。冗談半分で母親をおんぶしてみたら、その体重のあまりの軽さに、病の重さを悟り、涙が出て歩みを止めざるを得なかった…。啄木の人柄がうかがえる歌で
す。



はたらけど はたらけど猶
わが生活(くらし)
楽にならざり ぢつと手を見る

これも有名な作品ですね。啄木といえば、苦労人という印象がありますが、まさにそれを切実に歌ったものです。実際、貧困と闘いながら、肺結核により、26歳という若さで、啄木は世を去ります。26歳…。今の僕より若いのか。うーん。

ところで、啄木といえばここまで見てきたような、苦労人、貧困、悲哀、そんなイメージがありませんか。僕も今回、この文庫本を読むまでは、そう思っていたのですが、実際には相当、波瀾万丈な人生を歩んできたのが分かる作品が多々あります。



尋常の おどけならむや
ナイフ持ち
死ぬまねをする その顔その顔



どんよりと
くもれる空を 見ていしに
人を殺したく なりにけるかな



一度でも 我に頭を 下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと



誰そ我に
ピストルにても 撃てよかし
伊藤のごとく 死にて見せなむ



なんと言えばいいのか。まずは、確実に教科書には載せられない歌ばかりですよね。死ぬ真似をしたり、人を殺したくなったり、みんな死んでしまえと祈ったり、伊藤(博文)のようにピストルで殺されたいと言ったり…。

苦労や貧困を通り越して、もはや絶望、虚無感しか感じられない、そんな、生に対する投げやりな印象を受けます。デカダンといっても、何の障りもない…。

正直、(え?石川啄木って、こんな短歌も書いているの?)と驚かざるを得ませんでした。何が啄木をここまで追い詰めていたのか…。そう思うと、自分の心情をありのままに吐露している啄木に、自然と涙が出てきました。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

哀しい時に読むと、
余計に哀しくなります。

けれど、鼻にツンとくるような
哀しさの気持ちよさに注意。

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Posted by ブクログ 2009年11月11日

やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心もー
近づく日のあり。

啄木の歌って、ほとんど暴力的でそれなのに繊細だ。

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Posted by ブクログ 2020年10月18日

歌は明治においても、明星にしてもアララギにしても、文化人のものという感じだが、啄木のそれは生活に根差す。
何となく、とか、心情をストレートに書きすぎるところは、表現として弛みがあると思う。が、人口に膾炙するのも歌の役割か。
俳句で言うと、山頭火・放哉などの独自路線。だが、彼ら以上に国民的な文学者とし...続きを読むての地位があるのは、その魂の叫びが熾烈で、また今でも分かりやすい、普遍性を有するからだろう。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

書道用に買いましたが、よいです。

書道用にはそこまでよくなくても歌は良いからいいのです。

時々ぱぁっと明るい歌がある、その抜け方が抜群によいのです。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

で有名な石川啄木。初めて歌集を手にしてみたけど、短歌の力はすごいな。
適当に開いたページを読んでるだけでもおもしろい。


P.47
あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日もさまよひて来(き)ぬ

これ誰のこと?...続きを読む

P.60
石ひとつ
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に至り着きたる

うんそんなもんかも

P.159
遊びに出て子供かへらず、
取り出して
走らせて見る玩具(おもちゃ)の機関車。

どゆこと?笑

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

北海道の旅を通じて味わえた啄木。
26年という短い生涯で彼が残したもの。小さなものであっても、確かに残り続け、それを受け取る人間が、存在しているということ。
啄木の紡ぎ出す儚さや孤独に、どうしようもない切なさを覚える。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。

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