【感想・ネタバレ】悲しみの歌(新潮文庫)のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

重くて深みが凄く、後々まで考えてしまいそうな小説だった。
春に読んだ「海と毒薬」の続編で、事件の30年後が描かれている。

正義って何だろう?と改めて考えた。
善と悪ってすっぱり二つに割り切れるものではなく、両方つながっていて、当然グレーゾーンというものもあって、人は立たされた立場やその時の世情によって、簡単にその善と悪を行き来するような生き物なのだと思う。
「海と毒薬」は戦時中の物語で、この小説は戦後の物語。米兵捕虜の生体解剖事件の戦犯となった勝呂医師は刑期を終えて新宿で開業医をしているが、彼にはその過去から来る陰鬱な影が常につきまとっている。
戦時中の倫理観の狂いから起きた事件が、戦後の彼を苦しめ続ける。
深い事情や彼の心理を知らない者たちは、その事件の表面だけを見て彼を糾弾する。若い新聞記者である折戸も。
折戸の正義感は、きっとその時代の倫理観からすると正しい見方なのだろうけど、善と悪はすっぱり二つに割り切れると信じている青さが、人生経験の少なさと若さを象徴しているのだと思う。
人の奥深い心理を無視しすぎている直球な言葉は、色んな人を傷つけてしまう刃になりかねない。

私もどちらかというと直球なタイプで、もう少し若い時は今よりも善と悪の感覚が違っていたように思う。それこそ折戸のように、グレーゾーンなんて認めない、悪いものは悪い、というような感じで。
でも人間ってそんな簡単には分けられないし、何かに流されて悪い方に行ってしまうこともある。
そのこと自体は悪だとしても、過ぎ去ったあとその事柄をどんな風に受け止めて生きていくか。
人の悪さを糾弾するのは簡単だけど、そもそも人が人を裁くなんて出来ないのではないか?って。

遠藤周作さんはキリスト教を主題にした作品を多数残されているそうで、この小説にもその要素は垣間見える。
人を裁くことは神にしか出来ない(神が存在するとして)。
この小説のある意味主役とも言えるフランス人のガストンは、無償の愛を他人に注げる嘘みたいにお人好しな人間で、彼の存在はイエス・キリストのメタファーになっていることが分かる。
人のために喜んだり泣いたりすることがガストンにとっての幸せで、針のむしろ状態の勝呂医師の側に常に彼がいたことは、勝呂医師にとって大きな救いになったように思う。

そして、人の死をコントロールするという罪悪についても描かれている。
法律上安楽死は許されないのに、妊娠中絶は許されているという事実を、改めて考えさせられる。
両方とも、その本人が望むのだとしたら?どうして妊娠中絶は良くて安楽死は駄目なのか?
そしてそれに手をかけた医師は、再び深く苦悩することになる。

とても悲しい物語だった。
まさに悲しみの歌が、物語中にずっと流れているような。

倫理的には悪者である勝呂医師と、その対比として登場するたくさんの人物たち。読者にとってどちらがより悪いか、憎々しく映るか。
人の噂や単純すぎる倫理観で人を見てしまうことは現実にも山ほどある。だからこそそういうものだけに惑わされないで、自分の目で見て感じる力を身につけたい。そんなことを思った。

2
2015年11月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『海と毒薬』の勝呂医師が登場する、ということで読んだ。彼が主人公の続編というよりは、群像劇の中のもっとも重要な一人というような立ち位置である。
事前に読んだ人たちからの感想を聞いていたので、かなり身構えつつ読んだのだが、本当に悲しい結末だった。しかし、その救いのなさのために、私は遠藤周作に感謝した。

なんて人は悲しくどうしようもないのだろう。なぜ善人が傷つけられ、痛めつけられ、苦しみ悲しむのに、しょうもない人間がのうのうと生きてえらい顔をしているのだろう。
この作品に出てくる勝呂医師やガストンに比べて、若手記者や大学教授、そして学生たちは本当に愚かでしょうもない。彼らは深く考えず自分のために人を踏みつけにする。そして、踏みつけにしても知らん顔ができる。それどころか、彼らは自分が人を踏みつけたことを正当化さえできるだろう。
それに比べて、勝呂医師は苦しむ人を助けてあげながら過去の罪に問われる。ガストンは人を助けるために懸命に働いて、人に馬鹿にされる。
どうしてこの世界では、こんなにひどいことが許されるのだろう。どうして神様は、こんなに優しい善人たちを助けてくださらないのだろう?

勝呂医師は誰にも許されずに死んでしまう。彼の名誉は、おそらく死後も回復することはない。彼は社会的に悪人のままなのだ、彼の名誉を取り戻してくれる人はいないのだ……。
しかし、一方で彼は絶対的な許しを与えられる。それがガストン≒キリストの存在である。
ガストンは彼の人間としての尊厳を守ってくれる。先生はいい人、優しい人だと言って、それを理解してくれているのだ。それは全く社会的な許しではない。また、彼の生命をも救ってくれない。
しかし、勝呂医師の人としての尊厳を守ってくれる。ガストンは無力であるが、その許しは神の赦しにも等しい。それが読者にはわかる。私にはわかる。それが悲しくてたまらない。

その赦しがあまりに優しく、そして無力であるゆえに、私はそれを信じることができた。とても悲しいけれど。社会に受け入れられない人間でも、神様には赦してもらえる。泣くしかない。

1
2019年03月17日

Posted by ブクログ

暗い小説です。

太平洋戦争末期に九州医大で行われた捕虜の生体解剖実験を元にした『海と毒薬』の実質的な続編である本作。
その前作も暗い小説でしたが、その「暗さ」のイメージが異なるように感じます。
例えるならば、『海と毒薬』は夕闇のような限りなく闇に近い暗さ、『悲しみの歌』はどんよりとした曇り空でその上霧雨の降るような薄暗さ、という感じでしょうか。
その「暗さ」の違いは、それぞれの作品で遠藤周作が書きたかったもののオマージュとなっています。
『海と毒薬』では戦争末期の絶望的な状況の中で起きた非人道的な実験への倫理的な問いかけ、そして『悲しみの歌』では勝呂の抱える罪の意識と悲しみ。
この違いが、私が両者の「暗さ」の違いとして感じた正体であるように思います。

…とかなんとか書いてるうちにだんだん何言ってるか自分でもよく分からなくなってきました。
とにかく暗いですが面白い小説だったことは間違いありません。乱文終わり。

1
2015年09月29日

Posted by ブクログ

この世は「悲しみ」でできている。本書を読み終えてまず思った感想は、こうだ。本書は複数の文学賞を受賞し、映画化もされた著名な『海と毒薬』の続篇にあたり、同作に登場した勝呂医師がふたたび登場する。『海と毒薬』の内容をもう1度おさらいしておくと、第2次世界大戦の末期、九州帝國大學において、捕虜になった米兵が、生きたまま解剖された史実をもとにした小説で、戦時中とはいえもちろんそんな行為は立派な犯罪である。ひるがえって本作の勝呂も、刑期を終えたことが物語中に描かれており、生体解剖がちゃんと断罪されたことがわかる。しかし、ほんとうに勝呂医師だけが悪かったのだろうか。あるいは、ほんとうに断罪されるべきであったのだろうか。むろん、行為じたいが褒められるべきではなく、むしろ責められるべき性質をもつことはわかる。しかし、いちいちネタバレをするほどのことでもないので詳述は避けるが、勝呂医師の「最期」をみるに、この断罪によってはたして救われた人はいるだろうか。言いようのない「悲しみ」を増幅させただけではないか。勝呂医師は現在は新宿で開業医をしていて、やがて新聞記者に過去のことを嗅ぎつけられ、断罪される。しかしその新聞記者もまた、真実を追求するいっぽうで、互いに惹かれあってたはずの恋人からは別れを切り出されてしまう。正義とはなにか。これもまた、悲しみの一種なのではないか。べつの記者である野口のセリフの端端には、こういった無力感のようなものも垣間見える。そして、勝呂医師のまわりに集まる患者や、その見舞客たち。それぞれがさまざまな事情を抱えていて、とても幸福そうには見えない。生きることの本質は、悲しみではないであろうか。末期癌の患者は、やがて勝呂医師に「安楽死」させられる。しかし、それこそがほんとうの救いなのではないか。生きるとは。死ぬとは。幸福とは。悲しみとは。この行為ひとつとってみても、世の中がそう単純には割り切れないことだらけであると知る。著者はキリスト教の熱心な信者であることで有名で、本作の作中にも聖書の一節が引用されている。しかし、著者はそのキリスト教の救済に対してさえも、なにか本質的な疑問を感じているように思える。救済とはいったいなんなのか。あまりにも重すぎるテーマばかりで考え込んでしまうが、それだけに読む価値はじゅうぶんすぎるほどある。

1
2015年07月06日

Posted by ブクログ

登場人物が、あちこちで関係を持つのがフィクションならではだが、勝呂医師には共感できる。勝呂を糾弾する記者折戸に対する同僚野口の言葉。「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後のおかげで、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限界を超えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか。君があの記事を書く。それは君にとって正しいかもしれない。しかし、君はそのためにあの医者がこの新宿の人々からどんな眼で今後、見られるか考えたかい」折戸や常に世間体を気にする矢野教授のような人は、悲しいかな、この社会には多い。2015.5.6

1
2015年05月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

一つの時間に起こった出来事について、登場人物それぞれのシーンに時折切り替えながら物語が展開していくのですが、切り替えリズムが斬新で、独特の世界観が感じられました。登場人物一人一人の心情の動きの描写について、綺麗事だけでない苦しみや醜さの塊の部分も描かれている点が、尚心惹かれました。また、絶対の“正義”を人に安易に振りかざすことで生まれる一つの悲劇をも、この作品の中で目にしたように思います。

1
2014年09月26日

Posted by ブクログ

海と毒薬の後日端らしい。売ろうかと思ったが思いとどまり、読み出して止まらなくなった良作。落ち着いたときに、もういちど読み返してみたいものだと思う。

1
2014年03月29日

Posted by ブクログ

悲しかった。
苦しい時代を生きてきた人、病気で苦しんでいる人、そういった人たちの悲しみを、私達みたいな若造には理解しきれないことが悲しかった。
若造は色んなことに対して勝手な思い込みを持つことが多くて、さらに妙な自信があることが多い。自分も、まさにその若造なんだろうなぁと思った。

勝呂さんのおもいとか、癌のお爺ちゃんの気持ちとか、わかったつもりでいるけど、22歳の自分には伝わりきってないのかな、やっぱり。
50何歳かのときに遠藤周作が書いたらしいから、同じくらいの歳になったらまた読みたい。

----------------------------
p.330
ガストンは哀しそうな微笑を浮かべてうなずいた。彼はさっきから前に歩いている勝呂の背中がひどく孤独なのに気づいていた。顔はどんなに笑っていても、人間の無防備な背中はその人の心をそのまま現すものなのだ。

1
2013年03月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 生体解剖という医学の暴力と無反省を糾弾する折戸が、記事の暴力により人を殺し、その現実を受け入れようとしていないという構造が、冒頭の「泥棒が泥棒をつかまえ」たことに似て滑稽に思えた。

 遠藤が、彼を含めた若い世代の人間に「距離を置いて対している」[427頁]ことも相まって、私は彼らに対して愛着を持って接することができず、正直に言えば「救いようのない」と思えてならなかった。

 ただ、幸運なことに、折戸には野口という気づきの種となる人物がいる。勝呂に後日談があったように折戸にも後日談があるならば、野口は「救い主」になれたのだろうかと想像した。

0
2024年04月02日

Posted by ブクログ

人が人を裁く資格なんてない。40年経った今も、当然それは変わらない。
追い求める正義は、果たして誰にとっても正義なのか。自分がその立場に立った時、絶対に起こらないと断言できるのか。
生きることに付随する悲しみが、あまりに多すぎる。もう苦しまなくていい、もう辛いことはない。誰もが死に向かう中で、死を求めることが「良くない」ことだと断言ができなくなる。
人間の悲しみを知らないように振る舞う人間は、眩しい。し、暴力的だ。

0
2024年02月04日

Posted by ブクログ

大晦日に読破。良かった。もう一度読みたい。
人間はやがて死ぬ。早いか遅いか。今していることは、だからなんなん、と自問するとに戸惑うことばかり。どう生きようか。

0
2023年12月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

一貫して哀しみの歌がこの小説には流れている。

奉仕の心が大切なのは間違いないが、それが実際に他人への救いとなることがいかに困難かを知らされる。

救われることへの諦念に僕は息を止めたくなった。

0
2023年11月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

中学生の時に読んだときの衝撃が忘れられない。
悲しさとは違う哀しさを知った本。
やるせなくて、悔しくて、でもその感情をぶつける矛先が無くて、哀しい。
海と毒薬でも沈黙でもなくこの本を教室に置いたあの国語の先生はたくさん本を読む人だったんだなあと思う。
今年の夏に読み返したい。

0
2023年07月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

新宿を舞台にした群像劇。
「海と毒薬」に登場した医師の勝呂が、あの後どんな人生を過ごしてきたのかが分かる作品となっていた。
それとガストンも。ガストンはここではイエス的な役割を担っていて、かなりの重要人物。彼の言動は突拍子もないように見え、自分も暮らしが立ち行かないのに人助けばかりして、破滅的すぎて時には滑稽ですらある。他人のためになぜここまで出来るのかと不思議でならないのだが、ラストでガストンの他人への気持ちや、心の声が聞こえた瞬間に号泣してしまった。
その前の、勝呂の自殺でもすごく苦しんだ。そんな道を選ばず、最後の最後まで生きてほしかったのだ。
癌の末期患者のケアを無償でやっていたのだって、人間性が表れているなと思う。病人に優しい言葉しかかけなかったところも切なかった。
他人の苦しみは受け止めても、自分の真の苦しみは誰にも共有できなかったのかもしれないなと思うと、涙が止まらない。

0
2023年02月25日

Posted by ブクログ

ガストン良い奴過ぎる。勝呂医師は天国で涙を流しているんだろうか。
自分の中にも折戸がいるのかもしれない。

0
2023年01月18日

Posted by ブクログ

『海と毒薬』の続編的な位置付け。これを読むことで「海と毒薬』への理解も深まったような気がする。誰しも不安、迷い、弱さ、後悔、孤独を抱えている。一見、交わることのなさそうな登場人物たちが何かしら勝呂医院と繋がりながら交錯し、すれ違っていく。虚栄や欲望に飲み込まれていく中で、頼りなくもピュアで無償の優しさを持ったガストンの存在が微笑ましく救いになっているような気がする。勝呂も彼にだけは心を開こうとしていた。人を救うために医者になったのに、結局人の命を奪ってばかりいると自らを省みる勝呂。罪の意識がありながらも救いや許しを求めている訳ではない。理解されない寂しさ、悲しさ、諦めによる辛い結末。牧師や聖書の言葉に耳を傾けていたら少しは救われていたのだろうか。神を信じることで救われる部分もあれば、やっぱりそれだけで全てが解決する訳ではなくて、心のしこりのような負の感情は簡単には消せないということを表したかったのかな。80年代初頭の作品だけど描かれる人間の内面は今でも変わらない。何でもバッサリと善悪や明暗で切り分けられがちな今こそ、改めて考えされられる作品。

0
2021年08月17日

Posted by ブクログ

『海と毒薬』の続編のような小説。
生きることに付き纏う悲しみ。
弱さと強さの境界でもがいてもがいている人々。
正義感をふりかざす自己満足。
無償の愛。
薄闇と霧にまみれた世界で、生きるとは何か?を激しく問われる。
多くの登場人物が少しずつリンクしながら繋がってゆく様は、新宿の雑踏を思わせつつも惑うことなく描き分けられ、その描写や緩やかに流れる時間軸が凄まじい悲壮感を極だたせている。
素晴らしい筆力。
愚直なゆえ力強く生きる若者たちが光なのか?
ガストンだけが光だったのか?
そしてやはりそこに正解を見出せないまま、物語は終わる。
くるしい。
悲しい。
悲しみの歌。

0
2021年06月02日

Posted by ブクログ

「正義とは何か?」
この問いにぶち当たる度に、私はこの本を読んでいる。

先日、居眠り運転をして交通事故を起こしてしまった。
その時に正義感に満ちた警察官は「事故を起こした悪人」である私に対して威圧的で、とても苦しかった。そして、この本が無性に読み返したくなった。最近読んだ中で最高に面白い、改めて大好きな本。

同じ遠藤周作の著書『海と毒薬』の続編で、戦時中外国人捕虜の人体実験に関わった勝呂医師のその後の話だ。この小説の中で「正義」という単語が8回でてくる(数えた)。正義という名のもとで悪を糾弾する若手の新聞記者が、勝呂医師を追いつめていく。白か黒か。正義を信じて疑わない人は、自分がそちら側の立場に立つ姿を想像できないのだろう。

世の中には、グレーがたくさん存在する。一見、悪に見えたとしても、その人の事情があることもある。
そのことに気づけただけでも、かつて血気盛んにこの本を読んでいた頃より私は随分と大人になったと思う。

助産師になったからか、昔読んだときとはまた違った味わいがあった。人工妊娠中絶の描写が多く出てくるからだ。

夕暮れ、新宿の裏通りにある医院にそっとやってくる女性たちに、勝呂医師は「それが彼女たちの生活をさし当り救うただ一つの方法だとして、その女たちの体から生れてくる命を、数えきれぬほど殺して」きた。そのことに対する自責の念にも苛まれながら。

私の職場でも、毎日のように行われる子宮内搔爬術。流産の場合もあるが、希望も多い。理由があるにしろ、私たちがしていることは、いのちを殺めることには違いない。

今当たり前に行っていることも、時代が変われば人殺しと呼ばれることもあるのかもしれない。でも、その行為で確かに救われる人もいるのも事実だ。あくまでも、白でも黒でもなく、グレーの行為。そういうもの、で割り切ってはいけないのだなあと思う。

先日、うちで家で飼っているメス猫の避妊の話をしていた時に、「手術自体は1万円で、もしお腹を開けてみて妊娠していたら、さらに1万円かかる」という話をしていたら、職場の先輩助産師さんに「お金の問題じゃないでしょ!妊娠していたら、育てなきゃ!」と怖い顔で言われた。そこで初めて、自分が猫のいのちを軽く扱っていたことに気づいた。ヒトならばだめで、猫ならばいいのか。それは人間のエゴだ。

時代の悪戯だとしても、過去に罪を犯したものは、一生糾弾されなければいけないのか。そもそも、誰が誰を裁いてよいものか。相模原の事件を思い出す。文中で記者が言う「腐った果実は捨てた方がいい」ということばは、背筋がぞくりとした。

前は感じなかったが、最近自分が短歌を始めたことで、遠藤周作氏の描写の豊かさにも改めて感心した。

「手の切れるような一万円札」
「待合室から奇妙な笛のような音が聞えたからだった。奇妙な笛。いや、そうではなかった。それは二人の会話を聞いたガストンが泣いている声だった…」

何気ない言葉だが、その情景がスッと想像できる描写。最近、若い人の口語体の文章を読むことが多かったが、文豪の迫力と表現力を改めて感じた。遠藤周作作品をもっと読みたい。
−−−−−−−−−−−−−−
「絶対的な正義なんてこの社会にないということさ。戦争と戦後とのおかげで、ぼくたちは、どんな正しい考えも、限界を越えると悪になることを、たっぷり知らされたじゃないか。君があの記事を書く。それは君にとって正しいかもしれない。しかし、君はそのためにあの医者がこの新宿の人々からどんな眼で今後、見られるか考えたかい」(358)

0
2019年04月07日

Posted by ブクログ

昭和32年に発表された海と毒薬からほぼ20年後に書かれた後日談。読んだのは、昭和56年発行の7刷。
読後、涙が。悲しすぎる。おバカさんで読んだガストンがキリストの再来かのような立ち位置で描かれている。勝呂医師の悲しみが若い新聞記者の折戸にはわからない。わかるはずもない。大学教授の矢野の表裏の顔。人間はひとつの偶然に、のればあるいは置かれた状況しだいでどんな悪をもやれる存在だ。それは水が低きにつくようなものでいかんともしがたい。そんなやんわりとした意図が悲哀とともに書かれてる。つらい。

1
2019年02月18日

Posted by ブクログ

凄まじい本でした。学生時代に「海と毒薬」を読み、衝撃を受け、勢いでこの本を買いましたが、何となく本棚の奥で眠らせたままでした。今回、何気なく手にとり読んでみましたが、生きることの染み込んでいくような悲しみの存在を感じさせられました。勝呂の罪を背負い、傷ついてきたからこそ発揮できる優しさは世間には認められず、折戸の正論が持ちうる暴力が正当化される世界。よく考えるとこの社会は自分が持ちうる優しさや繊細さを誤魔化せない人が迷い苦しみ、何でも自分に都合がよい正論で白黒をつけて、周囲に構わず突き進むタイプの人間がどんどん地位を築いていく。今も昔も何も変わってない。
勝呂が死を選ぶのは彼の生涯を考えると、至極当然のことなんだけど、その権利はなくても幸せになって欲しかった。ガストンが勝呂が天国に行くと言ってくれたのがせめてもの救い。そして折戸が貴和子に結婚を断られたのも、まだこの世界を信じさせてくれる。ただ、それらのこともこの社会の仕組みの不条理の前では何の意味もなさない気がして、本当に無力感を感じさせられました。最後、ガストンが無償の優しさを与える描写があったり、噴水に当たる光の描写があったり、この世界の希望を匂わせるのですが、自分には何が希望になるのか結局この小説からは掴めなかった。その分、この小説が描く社会にリアリティーを感じました。
作者の遠藤さんはキリスト教信者みたいですが、同じく信者のsunny day real estateの音楽が奏でる世界観にやはり近いです。人間の汚れや穢れを表現し、その裏にある人間の真の美しさや希望に迫ろうとしている気がします。しかし、結局何が美しさ、希望になるのか、自分にはまだ分かりません。

1
2016年10月15日

Posted by ブクログ

なんとも沈鬱な物語。予備知識なく読み始めて「海と毒薬」の続編であることが分かりとても興味深く読め進めるが、物語は悪い方向にどんどん進み、とてもやるせない。「沈黙」のテイストに近いですね。
大学教授は結局のところどうなっていくのかが気になるが、一番救われない気がする。
作者が持つテーマである、神の無慈悲、沈黙が綴られるが、救いは基督の使徒のようなガストンの存在か。
ともあれ人生は深く、辛く、また罪深い。

1
2015年03月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いつか評価をもう一つ上げたくなるかも知れない。人が人を傲慢に裁くことは、現代の炎上なども同様で、全く古びていない。
海と毒薬の勝呂が、尊厳死にも手を貸し、最終的に自殺する。ガストンという主の代弁者が出てくるも、彼を救うことはできない。誰かを救える神などいないのでは?一方で、神は弱き者が自らの命を消そうとする時にすら、共におられる。どのような時にも、ただ共にあられる優しき主の姿。

1
2014年01月03日

Posted by ブクログ

名作『海と毒薬』と『お馬鹿さん』を絡めた続編と言ってもいい作品。
私はそのどちらの作品も感銘を受けたけど、絡めているからこそ更に響くものがあり。
正義は時に人を苦しめるし、素直さが自分を苦しめる。
悲しい歌だ。

0
2023年04月01日

Posted by ブクログ


やるせない哀しみに満ちた作品。
後期の遠藤周作はとにかく読み易い。が、だからこそ簡易な表現や作中の一節に引力がある。
本作のイエス的人物であるガストン・ボナパルトの優しさ、暖かさから来る発言は特に印象的。
読まなくても通読に支障は無いと感じたが、やはり『海と毒薬』は通った方が、主題の理解に深みを与えると思う。

0
2023年01月19日

Posted by ブクログ

「海と毒薬」から20年の時間を経た1977年の
「悲しみの歌」新人医師だった勝呂医師はそれと同様に年齢を重ねている。
戦時中 米兵捕虜の生体解剖事件に関与し、戦犯となり罪を償った後、新宿でひっそりと開業していた。彼は過去の罪に縛られて虚無の中生きていた。
一人の若き新聞記者が彼の過去を掘り下げ、正義の記事として発表する。
そのような時、貧困の末期癌患者を受け入れ手当を続け、患者の安楽死の希望を受け入れる。

勝呂医師の背負い続ける罪の意識に対して、当時の自堕落な若者、社会的地位に固執する男、それに反発する娘、平然と生きている様子がおりこまれる。
そして、作者のイエスのイメージと思われるフランス人の青年が献身的で無条件な優しさで、登場する。彼は、悲しみに寄り添う。

ストーリーはわかりやすいですが、罪とは、悪意とは、贖罪とは、答えを得られるものではない。
勝呂医師の罪意識の持ち方や葛藤、あるいは無意識の行動は、日本人の典型に近いかもしれない。

0
2022年05月08日

Posted by ブクログ

"正義"とはなんだろう・・・?

言論の自由が保障されていて、何を考えていても、誰かに処罰されることなどない世界。一方で、世間の考えに反する意見を持つ者は、暴力をふるわれ、白い目を向けられる世界。

両者は同じ世界でも、そこで発言することの重みは違うと思う。殴られたり、家族に危害を加えられたり、職を失う可能性があったりすることがある場所で、その一線を踏み越えてはいけないと抵抗できる人はどれだけいるのだろう・・・。

「そんなこと、普通だったらしない。」口で言うのは簡単。ましてや、その状況にいなかった人ならなおさら。

同じ命を奪うことに対して、葛藤し、背負った重さを胸に秘め続けて生きていく人もいれば、自分の地位が脅かされることを恐れ、命の芽を潰し、その事を忘れて、同じ過ちを繰り返して生きている人もいる。

他者の心の中なんて、誰にも分からない。自分の中の"正義"を振りかざして、苦しみ、もがいている誰かを追いつめることだけはしたくないし、してはいけない。そんなことを感じた。

0
2021年06月06日

Posted by ブクログ

ネタバレ

もう一回読み直したら、また違う感覚を覚えそう。すごく深い作品でした。
最後までガストンか助けてくれることを祈っていましたが、良くも悪くもキリストの思想。助けるというよりは寄り添う姿勢でした。
読後悲しい気持ちが残りました。
正しいだけでは生きていけない。それぞれの事情もわからないまま自分の正しさを相手に押し付けてはいけない。
どこかで勝呂とガストンとキミちゃん、そしておじいちゃんが救われることを祈っています。

1
2017年11月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『海と毒薬』の続編とも言える作品、
ということで『海と毒薬』も読みたくなりました。

テーマはとても共感できるし
いい作品だと思うんだけれど★3なのは、
ちょっと人物描写と設定が安易な気がしたのと、
勧善懲悪感がしたから。
人物描写はもしかしたら意図的に戯画化したのかもしれないけれど、
それにしてはストーリーがシリアスかな。
それから新宿という都会でそんなに人はタイミング良く出会わないだろう、
と思わずにはいられないくらいの人の重なりあい。
遠藤周作は『深い河』『沈黙』と過去二作品を読んでいるけど、
この作品は二つに比べ単純過ぎるように思う。

テーマとストーリーは素晴らしく、
私が遠藤周作に求めるそのままでした。
ま、陰気なんだけど。
人間ってそんなにできていないんだぞ、とか、
この世の中って不平等なんだぞ、とか。
でもその中でも救いがあって、
それは遠藤周作にとってはキリスト教で、
この作品ではそれを象徴しているのがガストンで
(ところでガストンは『深い河』にも出てきた?)
そして普通のまっとうな人も存在する。
本藤喜和子とか、野口とか、他何人かね。

とか考えると、うーん、考え始めてしまう。
やっぱりこの作品は素晴らしいのかもなー。
私はガストンにはなれないけれど、
せめて野口くらいの見識は持つ人でいたい。

1
2013年04月12日

Posted by ブクログ

どうしようもなく暗いテーマで、憂鬱のきわみになった。

『海と毒薬』の後日談。『おバカさん』のガストン・ボナパルト再登場。ストーリーはさほど変化に富んではいない、だけど読まずにおれず、最後まで引っぱっていかれるすごさ。

人間、生きていくのにどうしょうもない矛盾をかかえているというのは、夏目漱石の作品を読み継いで来ても強く思うことだけど、そこに文学の楽しみもあるからなんだかおかしい。

しみじみしたり、癒されたり、「わっははは」と愉快になったり、スリルとサスペンスもいいけど、深く深く考える動作も必要なのだ。

時には暗く憂鬱になって、考えに考え、闇の中の燭光のようなもが仄見えはしないかと、いつも期待しているのも読書である。

0
2021年08月29日

Posted by ブクログ

時代背景、作者の思想など色々あるとは思うけれど。個人的な意見を書くならば、キリスト教色をもっと抑えた方が良い作品になったと思う。
特に「ささやき」(?)のシーンはホント余計。
それ以外は、最近の世の中を見ながらなんとなく感じていたことに重なる点もあり、基本暗く沈んだ物語だけど沁みる作品でした。

0
2018年01月04日

「小説」ランキング