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Posted by ブクログ
当時福音館の雑誌「子どもの館」に連載され、「児童書」に分類されているのだが、 実際に読むのは児童ではなく親だろうけれど、 これを子供が読んだらなんと贅沢な読書体験だろうと思う。
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不知火に住むみっちんは、海と山に囲まれた村に住んでいる。
村の人々たちは人間以外の海や山の”あのひとたち”の気配を感じている。
あのひとたちは八千万憶の世から来らいました方々。
あのひとたちの歌が聞こえてくる、 山のものと海のものが入れ替わる時は喧騒が起きる、人々を助けてくれることも、悪さをすることもある。
山というのはなんと多くものを養っているのか、山と海とは入り混じりあい、山が海のものを養っているのか、海が山のものを養っているのか分からないくらいだ。
そしてみっちんの側には”半分神に近い人たち”がいる。
祖母おもかさまは盲目で気狂い。三歳の子と八十のめくらさまとの魂とは確かに交じり合っている。
一本足の仙造じいさまは、”山のあのひとたち”の使い人だと言われている。
火葬場の隠亡(おんぼう)の岩殿は一人で死人さんを火葬して弔っている。
海や川を流れてきた赤子の死人さんの葬儀をしながらみっちんにいう。
「この世に来るのは、おたがい、難儀なこっちゃ、大仕事じゃ」
犬の仔 (いんのこ) せっちゃんは、懐に犬の子を入れての山を流離っている。ある時その懐に人間の赤子を抱いていた。産めたのは龍神様とそのおつかいが手伝ってくれたからだという。
大男のヒロム兄やん(あんやん)は、大きすぎる体に小さすぎる着物を巻きつけて、会う人会うものに丁寧挨拶をする。挨拶を忘れられた者は、自分はヒロム兄さんに見えないものになってしまったのではないかと思う。
みっちんはあのひとたちの気配を感じて歌を聞くと、まるで魂が半分天の方に行ってしまったような、自分が魂だけになってしまったような気持ちになる。
そして本当に魂だけになりたいと思うことがある。
村の子供たちがおもかさまや犬の仔せっちんに石を投げつけてくるのを見るのはつらい、そしてあのひとたちが酷い歌を歌ってくるのを聞くのは怒りを感じる。
みっちんはたとえあのひとたちであっても、間違いは間違いだと思っているのだ。
Posted by ブクログ
幼いみっちんとものたち、あのひとたち、狐さんや死人さん、山の神さま、気のふれた人々、社会の最底辺に追いやられた人々の歌、散文、言葉の交歓。取り囲んでいる自然、海、大木、川、風、光などのやわらかく、繊細な描写。短編を読み進めていくうちに、自分の中にある原風景が重なり合っていく。
読み終えたとき、吉川英治の言葉を思い出した。
「本当の人生の苦労らしい、苦労を舐めたに違いない人は、そんな惨苦と闘ってきたととても見えないほど、明るくて、温和に、そしてどこか風雨に洗われた花の淡々たる姿のようにさりげない人柄をもつに至るのである。なぜならば、正しく苦労をうけとって、正しく打ち克ってきた生命には、当然、そういうゆかしい底光りと香がその人に身に付いているはずのものだからである。」
燃えろ 燃えろ
ひがん花 燃えろ
とん とん