【感想・ネタバレ】知られざる「吉田松陰伝」 『宝島』のスティーヴンスンがなぜ?のレビュー

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Posted by ブクログ

宝島を書いたスティーブンスンは、ジキル博士とハイド氏の作者でもあった
そのスティーブンスンが、吉田松陰の伝記を残していたというお話です。

スティーブンスンの思いとしては、故国スコットランドがグレートブリテンに併合され、その圧迫下に置かれてきたことと関係があるようだ。
日本において、列国からの干渉から日本を守りえた吉田松陰を特別な人として映ったのではないか。

エジンバラにいたころ、松下村塾の出身者であった留学中の、正木退蔵から、吉田松陰の人となりを聞いて感激の中で、本に著したと聞く。

いっしょに学びましょうという吉田松陰の姿勢、日本をすくうために、欧米の文化を積極的に取得しようとした松陰に、スティーブンスンは何を見たのであろうか。

また、スティーブンスンは体が弱く、療養先のサモアでなくなっている。そのことは、米国のジャック・ロンドンや、中島敦にも影響を与えている。

国内で、吉田松陰の伝記をのこそうと、旧長州藩や、水戸学のメンバーが右往左往しているうちに、スティーブンスンが、世界で初めて吉田松陰の伝記である、「ヨシダ・トラジロウ」を出版してしまうのである。

目次
まえがき
序章 なぜ、世界最初の吉田松陰伝が英国で
第1章 スティーヴンスン作『ヨシダ・トラジロウ』全訳
第2章 誰が文豪に松陰のことを教えたのか
第3章 どうして伝記は密封されていたのか
第4章 松陰伝がサンフランシスコで執筆された理由
終章 スティーヴンスンが日本に残したもの
主要参考文献

ISBN:9784396111731
出版社:祥伝社
判型:新書
ページ数:224ページ
定価:760円(本体)
発売日:2009年09月05日 初版第1刷発行

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2023年09月29日

Posted by ブクログ

スティーヴンスンは世界的名作『宝島』『ジキル博士とハイド氏』を書いた英国の文豪であるが、研究家よしだみどり氏は文豪が「吉田松陰伝」(英題「ヨシダトラジロウ」)を書いたと知る。それは、世界で1番早い松陰の評伝だった。

第一章には、その全訳が載っている(32頁の短い文)。

わたしは、山口大学で日本思想史を学び松陰については一通り授業で聞き、萩の松下村塾も尋ねた。ただ長年松陰の真価がわからなかった。彼は「この危機的な時代にあっては狂うしかない」と述べた。先ずそれが受け入れ難かった(それが長州人のテロを招いたのではないか?)。司馬遼は「時代の転換点には思想家・革命家・技術者が登場するが、いずれも新時代を見ることなく世を去ってしまう」と述べ、「花神」の大河ドラマ化の時には、何度もその理論を耳にした。松陰は最初に世を去る「思想家」ではあるが、どう見ても明治時代の緻密なグランドデザインを立てていたとは思えなかった。果ては狂うしかない、とまで言うのである。

13歳の松下村塾生の正木退蔵は、半年だけ松陰の薫陶を受けたあと、明治維新成り、英国に留学している時に若いスティーヴンスンに会う。そしてひととき退蔵からスティーヴンスンへ、1人の日本のサムライの生涯について話すのである。聞書きなので、正確ではない所もある。文豪は未だ作家でもなかったので、評伝を書いたのは暫くあとなのだが、勿論松陰など、英国は元より日本でも評価されていなかった時期だ。

文豪は、英国を含む外国からの侵略の危機にあった時に、「ヨシダは愛国心でもって夷人を追い払おうとした」と功績を述べた。文豪はスコットランド人である。多分そのことに大いに共感したのだろう。その時にヨシダが選んだ方法は、外国を学ぶことだ。「他国の悪い所を除いて良いところだけを取り入れ、夷人たちの知識を得て日本を利し、しかも、日本の芸術や美徳が他国から侵されないようにと願った」と述べ、そのあと、行動力、高潔さ、権力の理不尽な断罪が語られる。

基本的に、ここまで簡潔に、吉田松陰の功績を述べた文章をわたしは知らない。実は加藤周一の山口での講演パンフを読み、わたしは松陰の印象を18年前に大きく変えたばかりだった。

「日本文学史序説」の著者、加藤周一は講演でこう言っている(「吉田松陰と現代」かもがわブックレット)。「松陰の立場は下層武士の思想で、幕府を倒してでも能率的な政府を作り、外からの脅威に対抗しようということだったと思います。」「これは水戸学派の観念論的なイデオロギーからは遠い立場です。また幕府の要人の暗殺や外国人の襲撃を内容とするテロリズムからも遠い考え方です。彼らと比べて松陰ははるかに現実的でした。」
現在グローバリゼーションという言葉で「開国」を迫られている日本に今こそ松陰の精神を、と加藤はいうわけです。「まずは「主権の独立」を図れ、松陰の時代でいうと「譲夷」ですね。そしてそのためにはまず個人の独立が必要だという。松陰の時代でいうと「尊王」です。あの時代にあつては「尊王」は革新的な個人の精神の表現だったのです。松陰の思想はそれだけ現実を直視ししていた」と加藤は評価しています。

加藤周一は、人の思想・信条を変えるには「理論」ではダメで、「文学」が必要だと述べた思想家です。それで言えば、「狂え」と述べた松陰のそれは、理論ではなく、実質ともに正しく「詩」であった。

みどり氏は、スティーヴンスンと正木退蔵の生涯と絡めながら、ヨシダトラジロウを解説しました。残念ながら、スティーヴンスンの松陰伝は短文であり、聞書きであり、間違いが散見されることから専門家から評価されていないらしい。この新書も、横さんのレビューで発見したのだが、画期的な視点を持った論文であるのにも関わらず、発行より15年、やはりほとんど注目されていないようです。

ただし、誠実を貫けば、いつか思想の種は遠くまで飛ぶ。松陰の声が遠く英国スティーヴンスンまで届いたように。

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2024年06月02日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
スティーヴンスン研究家である著者は、ある時、文豪の書いた一行に目が釘付けになった。
そこには、彼がヨシダトラジロウの伝記を書いたと記されてあったからである。
だとすると、それは国内の誰よりも早く、世界で初めて書かれた松陰伝ということになる。
だがそれにしても、彼はいつ、どこの誰から松陰のことを知ったのだろうか。
そしてその内容とは。
またイギリス人の彼をして松陰伝を書かしめた動機とは何か。
そこに込めようとしたメッセージとは。
アメリカ、スコットランド、日本―著者の謎解きの旅が始まる。

[ 目次 ]
序章 なぜ、世界最初の吉田松陰伝が英国で―日本より十一年も早く業績が評価された理由
第1章 スティーヴンスン作『ヨシダ・トラジロウ』全訳―それは感動に満ちた内容であった
第2章 誰が文豪に松陰のことを教えたのか―維新の群像たちが求めていたもの
第3章 どうして伝記は密封されていたのか―松下村塾の秘密を解くカギはここにある
第4章 松陰伝がサンフランシスコで執筆された理由―文豪にとって、松陰は「勇気」であった
終章 スティーヴンスンが日本に残したもの―われわれに誇りを取り戻させてくれた

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年06月05日

Posted by ブクログ

セルフサービスのおでん!を食べながら。(感想)吉田松陰のイメージが変わった。面白く読めた。でも、・・・と思うという著者の書き方が気になった。

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2018年11月28日

Posted by ブクログ

『宝島』で有名なスティーブンソンが、吉田松陰について綴ったことについて記述した一冊。

日本で吉田松陰伝が書かれるよりも早かったというのも興味深いが、何より彼が海外の文豪にまで届く偉大な人物であったということが誇らしい。

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2014年09月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」を書いたあのイギリスの文豪スティーヴンスンが、それらの名著を書く前にその著書の中で「吉田松陰=ヨシダ トラジロウ」について書いている文章があった。 その背景をしらべた内容を書いた一冊。 面白い視点に立っています。

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2012年08月12日

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