【感想・ネタバレ】三浦綾子 電子全集 光あるうちに ―道ありき 第三部 信仰入門編のレビュー

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Posted by ブクログ

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生きる意欲がうしなわれているのは、人のために動く気持ちが失われているため。働くとは、人のために心を使うことである。原罪宗教用語で原義は「的外れ」であり、普段は良くともいざとなれば冷酷さを胸に秘めている。罪を罪と感じないことが罪である。自分が正しいとする自己中心な気持ちは、自分より正しい人間を嫌う。自由な人とはいつも死の覚悟が出来ている人である(ディオゲネス)。高ぶらない・驕らないのは、愛の性質である。いかなる罪を犯しても悔い改めれば神は受け入れてくれ、神を信じるとき虚無から克服される。人にはできないことも神にはできる。

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2019年06月19日

Posted by ブクログ

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 三浦綾子氏の自伝の第3部である。

 自伝というよりは、題名が示すように、キリスト教のすすめ的な読み物である。牧師ではない彼女だからこそ、そして、非常に苦しい思いをし、キリスト教など誰が信じるか、といっていた彼女だからこそ書けること、説得力がある信仰入門が書けるだろうとということで、書いてみたということだ。確かに、あいまいな部分は多いように感じるが、読者が少しでもキリスト教に興味を持ってくれればよいという彼女の思いは十分に伝わっているのではないかと思う。

 泥棒と悪口を言うのと、どちらが罪深いか。という問題がある。教会の牧師は、悪口の方が罪深いと言った。大事にしていたネックレスが盗られたとしても、それは、高価なものだ、惜しいことをした。記念に彼にもらったものなのに、残念だ。という、痛み程度に留まるだろう。泥棒に入られたため自殺した、という話は聞いたことが無い。だが、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時々聞く。私たちが何気なく言う悪口は、人を死に追いやる力があるのだ。泥棒などのような単純な罪とは違う。もっとドロドロとした黒い罪だ。人を悪く言う心の中に渦巻いているものは何か。敵意、ねたみ、憎しみ、優越感、軽薄、その他もろもろの思いが、悪口、陰口となって現れるのだ。この世に、人の悪口を言った事がない人はいないに違いない。それほど私たちは一人残らず罪深い人間なのだ。私たちはその罪深さに胸を痛めることは甚だ少ない。罪を罪と感じないことが罪なのだ。

 偉大な科学者ほど、神を信じると昔から言われているが、それは科学を究めるに従って、人間の有限性を知り、人間には知りえぬ世界の多いことを知るからであろう。

 罪とは、ゆるしてもらうより仕方の無いものだと思う。一体どうしたら神は許してくださるのか。多少その罪に見合うだけの捧げ物をしたら許して下さるのだろうか。だが、人間の命が地球より重いように、人間の罪もまた地球よりも重い。私たちはいったいいかなるささげ物をして神に謝るべきなのか。私たちが死んで詫びたとしたら許されるだろうか。が、人間の命をもってしても帳消しにならないほど罪は重いことを聖書では示している。ここにきて、私たち人間は、罪の前に全くの無力であり、人間自身ではどうにもならないことを知らされる。しかし、それ故にこそ神は神の子をこの世に使わされたのだ。神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。と聖書は宣言する。つまり、神の子は十字架にかけられて、全人類の罪を、神の前に詫びるために、この世に来られたのだ。これがキリストへの信仰なのだ。神の子イエスは、全く潔い方であられたからこそ、私たちの罪をあがなうことが出来たのだ。これが豚や犬の命では罪は許されない。犬畜生にも劣る人間の世界では、人間の命をもってしても罪は許されない。どうしても神の子でなくてはならなかったのだ。

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2018年01月22日

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