感情タグBEST3
Posted by ブクログ
(10.09.2016)
三浦綾子氏の強い語調、自分の過去を全てさらけ出す強さ、同じ女性としてカッコいいなと思う。クリスチャンとしても、自分の弱さを認めながらも神様を信じ抜こうと努力する生き方は尊敬に値する。この本の最終章、最終頁の言葉に彼女の読者に対する思いが込められているのではないか、と感じた。心に響く素晴らしい本だった。
「かけがえのない、そして繰り返すことのできない一生を、キリストを信じてあなたも歩んでみませんか。今までの生活が、どんなに疲れきった、あるいは人に言えない恥ずかしい生活であっても、または言いがたいほどに苦しく悲しい毎日であったにしても、今、あなたの前に、まだあなたの足跡が一つも印されていない純白の布のような道があるのです。過去はどんな歩み方であったにせよ、自分の目の前に、足跡ひとつない道があり、そこにどんな足跡を残して行くかは、自分の自由だということ、そんなすばらしいことはないと思います。
過去はいいのです。今からの一歩を、あなたもキリストの愛の手に導かれて歩みたいとお思いにはなりませんか。そしてあなたの人生を喜びに溢れた人生に変えたいとは、お思いになりませんか。
そのことが、あなた自身にどんなにむずかしく見えても、神が助けてくださるのです。キリストはこう言っておられます。
〈人にはできないことも、神にはできる〉と」
光あるうちに光の中を歩もうではないか。
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中高では毎朝礼拝をし、讃美歌を歌い、聖書の一節を読み、授業にも聖書の時間があったのにそこから何も感じなかったあの頃の自分。。。
こうやって三浦綾子さんの文章に触れてみて初めて、その奥深さに気づかされる。
常にベッドに臥せっている病人でありながら、多くの人を慰め、力づけた睦子さんの話、見ず知らずの異国の人を助けるために自らの救命道具を譲り、亡くなっていった外国人宣教師たちの話、事故を食い止めるため自らの体をクッションにし、列車の暴走を止めて亡くなった「塩狩峠」のモデル:長野青年の話、女手一つで育て上げたひとり息子を殺され、長い苦悩の末その犯人を許した津田さんの話。
信仰によって人を許し、愛し、自らも救われた人々のお話は衝撃ですらある。
久しぶりに讃美歌歌いたいなぁ。
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自伝最終章。
僕は信仰とは縁のない人間だけど、信仰に対する考え方はこれらの本を通じてガラリと変わりました。
『自分の子供を殺されたクリスチャンの母親がいた。その母親は「許せない、絶対に許さない、でも許さなければ」という心の葛藤を何年も何年も繰り返し、ついに犯人を許した。そして刑務所で文通をするようになり、出所して3年経てその犯人が洗礼(クリスチャンになる儀式)を受けた。その時に母親生まれた感情は、ただただ溢れんばかりの嬉しさだった』
…どうやったらそんな境地になれるのか。他にも普通に生きているだけでは信じられないようなエピソードがたくさんあり、「信仰」というものについてもっと知りたいなと強く感じました。
この人の本はもっともっと読みたい。
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三浦綾子氏の自叙伝三部作の第三作。著者のキリスト教についての考え方や想いが綴られる。『道ありき』『この土の器をも』は著者の人生と出会い(それらは人から見ればまさに奇跡であったが)が述べられていたのに対して、本作品では著者の信仰と聖書について語られている。
本作品を読むと病床での生活と三浦光世氏との結婚が彼女を作り、信仰が彼女の軸としてしっかり根付いているからこそ、必然として数々の名作を生み出せたのだなと感じさせられる。
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生きる意欲がうしなわれているのは、人のために動く気持ちが失われているため。働くとは、人のために心を使うことである。原罪宗教用語で原義は「的外れ」であり、普段は良くともいざとなれば冷酷さを胸に秘めている。罪を罪と感じないことが罪である。自分が正しいとする自己中心な気持ちは、自分より正しい人間を嫌う。自由な人とはいつも死の覚悟が出来ている人である(ディオゲネス)。高ぶらない・驕らないのは、愛の性質である。いかなる罪を犯しても悔い改めれば神は受け入れてくれ、神を信じるとき虚無から克服される。人にはできないことも神にはできる。
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三浦綾子さんの三部作、久しぶりに読み返してみた。私には神を信じる勇気が今はないけれど、三浦さんの作品を通して、キリストに大いに興味を引かれるようになった。聖書を読んでみようと思って手元においてあるけど、もう一回開いてみようかな。
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三浦綾子さんによる信仰入門エッセイ。
すごくわかりやすい。
これが、一般の雑誌にエッセイとして載ってたなんてすごいなと思った。親しみやすく、わかりやすく、力強いあかし。
信仰入門ということでキリスト教をよく知らない人に焦点を置いて書かれたと思うんだけど、とても励まされた。
特に罪や祈りについて書かれた章は、本当にそうだなぁ、と。改めて教えられました。
三浦綾子さんのすごさ、そのことばの影響力、改めて思い知らされています。
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キリスト教とはいったい何なのか?
を分かりやすくかいてある。
単なる説明書ではなく、筆者の体験に基づいているので、
キリスト教を知りたい人には納得できるおススメの一冊。
クリスチャンが読んでも学べる点が多い書である。
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後半は完全に宗教書。
しかし考えさせられることは多い。
自分の行動への倫理観と、他人へのそれは違う。
いかに自分を正当化しようとしているかを思い知らされる。
自己愛のなにものでもない。原罪だ。
常に相手の視点で。
それが愛に繋がる。
そして、弱い自分に克っていかに自由を増やせるか。
一日も無駄にはしない。
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本作を読んでみた理由は、詩人である星野富弘さんがエッセイの中で三浦さんのことを語っていて興味を感じたから。
人間の生きること、罪、本当の優しさなど、考えさせられることが多かった。
普通に生活していれば、自分たちは罪を犯していないと思っている。
だが、泥棒に入られて自殺する人は多くはないのに、誰かに悪口を言われて自殺してしまう人はたくさんいる。
つまり、悪口を言っている時点で、僕らはみんな罪人なのだ。法律上で罪はなくても、誰かに精神的ダメージを与えることで罪をうんでいる。
本作の中盤以降は、キリスト教についてのことが多く書かれている。少しマニアックで難しいなと感じたため、気になるところだけ読んだ。
この本を読んで、宗教を信仰したいとは思わないけれど、宗教も一つの価値観なんだなと思った。
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三浦綾子氏の自伝の第3部である。
自伝というよりは、題名が示すように、キリスト教のすすめ的な読み物である。牧師ではない彼女だからこそ、そして、非常に苦しい思いをし、キリスト教など誰が信じるか、といっていた彼女だからこそ書けること、説得力がある信仰入門が書けるだろうとということで、書いてみたということだ。確かに、あいまいな部分は多いように感じるが、読者が少しでもキリスト教に興味を持ってくれればよいという彼女の思いは十分に伝わっているのではないかと思う。
泥棒と悪口を言うのと、どちらが罪深いか。という問題がある。教会の牧師は、悪口の方が罪深いと言った。大事にしていたネックレスが盗られたとしても、それは、高価なものだ、惜しいことをした。記念に彼にもらったものなのに、残念だ。という、痛み程度に留まるだろう。泥棒に入られたため自殺した、という話は聞いたことが無い。だが、人に悪口を言われて死んだ老人の話や少年少女の話は時々聞く。私たちが何気なく言う悪口は、人を死に追いやる力があるのだ。泥棒などのような単純な罪とは違う。もっとドロドロとした黒い罪だ。人を悪く言う心の中に渦巻いているものは何か。敵意、ねたみ、憎しみ、優越感、軽薄、その他もろもろの思いが、悪口、陰口となって現れるのだ。この世に、人の悪口を言った事がない人はいないに違いない。それほど私たちは一人残らず罪深い人間なのだ。私たちはその罪深さに胸を痛めることは甚だ少ない。罪を罪と感じないことが罪なのだ。
偉大な科学者ほど、神を信じると昔から言われているが、それは科学を究めるに従って、人間の有限性を知り、人間には知りえぬ世界の多いことを知るからであろう。
罪とは、ゆるしてもらうより仕方の無いものだと思う。一体どうしたら神は許してくださるのか。多少その罪に見合うだけの捧げ物をしたら許して下さるのだろうか。だが、人間の命が地球より重いように、人間の罪もまた地球よりも重い。私たちはいったいいかなるささげ物をして神に謝るべきなのか。私たちが死んで詫びたとしたら許されるだろうか。が、人間の命をもってしても帳消しにならないほど罪は重いことを聖書では示している。ここにきて、私たち人間は、罪の前に全くの無力であり、人間自身ではどうにもならないことを知らされる。しかし、それ故にこそ神は神の子をこの世に使わされたのだ。神はその一人子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。と聖書は宣言する。つまり、神の子は十字架にかけられて、全人類の罪を、神の前に詫びるために、この世に来られたのだ。これがキリストへの信仰なのだ。神の子イエスは、全く潔い方であられたからこそ、私たちの罪をあがなうことが出来たのだ。これが豚や犬の命では罪は許されない。犬畜生にも劣る人間の世界では、人間の命をもってしても罪は許されない。どうしても神の子でなくてはならなかったのだ。
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道ありき第三部 信仰入門編。神への祈り、教会を訪れること、イエスの復活を信じること。筆者の経験からわかりやすく解く。「本当の自由の意味」については考えさせられた。14.3.20
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3部作の最後である以上、三浦綾子さんの半生が描かれていると勝手に思いこんでいました。
しかし第3部は前2部とは違い、副題にある通りの「信仰入門」を勧めるための書でした。
ですので、自分が期待した内容とは違いました。
どうしても受け入れがたい考え方がある……ので、部分的に取り入れて今後の人生に生かしたいと思います
Posted by ブクログ
道ありきシリーズ第三部…と言われれば当然続きと思いますよね?
が、この三部目は一転。一言で『キリスト教のすすめ』みたいな作品です
ここまで読むからには多少キリスト教に興味持ってるのでまぁいいんですが、見方かえると他愛もない話を何10分してから急にセールスしだす営業さんみたいな気がせんでもない…
それはさておき、聖書の中身をかいつまんでですがとても分かりやすい比喩を交えながら説明してくれてますので興味ある方は是非読んでみてはいかがかと
僕も聖書勉強しよかなぁと思いました
Posted by ブクログ
作家は口からマユを身の回りに形成してゆく蚕に似ていると言った人がいる。もし、そうだとするならば、三浦綾子が、身の回りに形成してゆくマユは、信仰と愛に彩られている。その穏やかな眼差しと、あたたかい声音は、何よりも、神と人間への深い愛に満ちている。