【感想・ネタバレ】日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解くのレビュー

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Posted by ブクログ 2011年11月08日

日本にとっての大東亜戦争とは何だったのか、日本にとっての大義名分は何だったのかを考えさせてくれた良本。

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Posted by ブクログ 2015年05月01日

大川周明の”米英東亜侵略史”の解説をしながら、現在との類似性をたどり、日本の針路への提言をしている作品。変貌したアメリカという帝国の普遍主義と最終的には、対立せざるを得なかった日本の宿命と大東亜共栄圏構想の道義的な矛盾と妥当性が、淡々と描かれています。最後の第4章では、著者の持論が展開されています。...続きを読む性悪説の必要性と、東アジア共同体構想の持つ幻想と危険性が、的確に指摘されている。

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Posted by ブクログ 2014年03月08日

戦前日本のアジア主義の、後世の評価に耐えうる最良の部分を代表する一人であろう大川の歴史観に対する「ナショナリスト」佐藤のシンパシーはよく理解できる。そしてまた媒体によって鵺のようにアプローチを変える佐藤の言説もまた。そのスタイルが誰かに似ていると思ったら、司馬遼太郎だな。

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Posted by ブクログ 2011年10月29日

・ロンドン軍縮会議・・1930 補助艦 アメリカ10 日本6
・アメリカはメキシコでは門戸閉鎖主義、アジアでは解放主義
・帝国主義的資本主義・・強者のための理論。競争に強い国は自由貿易を唱える。駆け足で1番の者が全てをとるという平等なゲームのルールは、一位以外の物にとってはいつも負けが約束されている...続きを読むに過ぎない。

・不満をそらすためにはだれかを悪者に仕立て上げること 軍閥が対象となった。
・モンロー主義:大陸間干渉からの脱却。 アメリカは地政学から普遍主義(アジアの門戸開放政策)への転換
・戦争においての思想的な勝利。戦争は思想の衝突がどうしても一致しえない場合に生じる。
・東亜解放の対象であった中国と戦火を交えた日本の矛盾
守るためには力が必要という考えだった。
・植民地化が目的の場合は、やり過ぎると相手が疲弊して収奪できなくなという思想が働く。日本の目的は異なっていたため、歯止めがきかなかった。相手に対して痛みを自覚できなくなる。
・本当に重要なものは合理性で割り切れない。
・アヘン戦争ではイギリスの植民地であったインドの人々も戦った。
・民主主義であれ共産主義であれ、思想の背後にはそれを生み出してきた伝統と文化があり、それを無視して日本や中国に輸入することは難しい。
・国際連盟や軍縮会議→性悪説の克服を建前に他国に主権尊重や人権を強要しながら自国の国益を追求する場合には理想を放棄し、むき出しの性悪説で対応。所謂ダブルスタンダード

・建設の原理は、断じてこれを他国に求むべきにあらず、実にわがうちに求めねばならない。
・自国の善を持って自国の悪を討つこと
・政党がしっかりせず、社会の側から国家に対する効果的な働きができないと、国家の生き残りを考えた官僚が世直しを行う。これは結局不幸になる。社会の側から変えていかなければならない。
→2.26は軍内部、5.15は日本人としての反抗

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Posted by ブクログ 2012年03月22日

本書は、A級戦犯として裁かれた、大川周明の『米英東亜侵略史』
をそのまま掲載し、佐藤氏の解説を付けたものである。
筆者は、本書を通して、戦争へ行かざるを得ない大義名分があったという。そこには大川周明の主張が「論理的」「実証的」に説明されるという。

筆者によれば、ここには大川なりのリアリストかつ道義...続きを読む的な見方があるという。アメリカの中国での門戸開放、領土保全など普遍主義を掲げつつ帝国主義政策を講じ、あからさまに日本の権益に対する邪魔をするという偽善的振る舞いに対し、大川は東西で「棲み分けの論理」を適用しアジアでは日本が欧米植民地からの「解放」を通して、アジアという「小世界」を確立する為に「外科手術」(一時的な負担を負わせつつ、目的を達する)として戦わざるを得ない理由があったと言う。

この本を通して、大川の考えの一端が知れるこの事は意味がある。また、筆者の言う、冷戦後の世界における地政学的な問題に対処するべくインテリジェンスの力を強める必要にも同意でき、「国民が軍閥に騙されて…」という定説も、確かに戦後作られたフィクションという側面はある。A級戦犯に対する氏の見解にも同意できる点が多々ある。(尤も、長崎への原爆に見られるように、軍部を始めとする官僚の硬直的思考とセクショナリズムから、多くの救えた人命喪失を招いた事は犯罪的でもあったが…)

しかし、大川の『米英東亜侵略史』が「論理的」であるとは思えない。確かに米英には二重基準があり、偽善的な振る舞いであった。しかし、大川の主張は独善的である。米英の偽善には何が「善」であるのかに対する「共通理解」が生じその点で独善的よりもましだ。大西洋宣言など自由、自決などが米英の中に軋轢をもたらしつつも、一定の支持を集めた。(そしてこれに基づき、戦後植民地違法化の流れが進んだ点で英蘭仏などもツケを払った。)

国際連盟が仮に旧体制維持のための産物であっても、そこから生まれた集団安全保障の萌芽や戦争違法化の流れ、また事実として欧米の多くの国が参加し不十分ながら一定の支持を集めた。米英はこの機関を用い枢軸に対する「自由のための戦い」として、偽善であっても一定の「正当性」「共通の理解」を得る事が出来た。この意味は当時の欧米が多数の国際社会において無視できない。

「東亜発展は日本にとって死活存亡の問題」という大川の主張には自慰の慰めしかもたらさないのだ。当時の国際環境は第一次大戦の反省から道義的な側面も必要とされて来ていた。そこでは剥き出しの国益追求の手段としての武力行使は避けられつつあり、国際社会の客観性の判定者の不在を前に、自らの行為を(偽善的なそれでも)国際法に基づき国家利益に枠をはめることを外に示し、(偽善的ながらも)「国際理益」に結びつけ支持を調達する必要性がある。

大川の言説は自らの境遇に満足できないから戦うと言った独善性が感じられ、論理の飛躍があるのではないか。そこには外からの眼が感じられず、仮に、道義的な理由が存在しても、日本が中国でやっていた事は剥き出しの国益追求に見えたろう。大川の意図したやり方では無かったかもしれない真珠湾奇襲は、追い込まれるに足る情状酌量の事由があっても、先に手を出した加害者性を免れるものではない。

私の見解では、佐藤氏が指摘する、大川のリアリズムと道義性とを統合するという試みは、両者が極端に走りすぎ空中分解を起こし、結果的に論理の飛躍に繋がっている。国際社会で道義に訴えうる国際法などを全く顧みない日本の(特に中国での)行為は他との「調和」を求めない独善的行為に見えたろう。

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