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Posted by ブクログ
人間性を問われたり、人に嫌われたりなどを考えると「怒り」を表現することが悪いことのように感じられてしまうことがある。だから「怒り」を表現しない人が多が、多くの「怒り」は受け止めかたを変えても、表現しない限り消えることはない。
そして、この本にあるような「受動的攻撃」という形で、「怒り」を表現してしまうことが多いのではないだろうか。
「しない」「忘れる」「遅れる」「黙る」「正論を吐く」
自分を責めたり、謝ったりしながら、実は相手に「あなたのせいよ」と思わせたい気持ちが隠れている。「怒り」を表現していないから「攻撃」ではないと思われるが、受け取った側には強烈な「攻撃」となり、そして相互に受動的な攻撃が繰り返されていく。
この本を読んだ後、ふと自分の決断を考えると、実は相手に「こう思わせたい」など、伝えたい思いが別にあることに気づかされることが多かった。
それに気づいたら、立ち止まり、ストレートに表現することをこころがけたい。そして考えた結果、同じ決断になっても、その意志は能動的なものでありたい。
Posted by ブクログ
日本においては、聖徳太子の時代から「和を以て貴し」が美徳とされ、怒りの感情を表現することは「美しくない」という風潮で、しつけのなかで親や先生が子供に怒りを表出させずに抑圧してきた結果として、「怒り恐怖症」や、怒りが爆発して「キレる」こと、そして怒りを偽装する「受動的攻撃」など、複雑な形で抑圧された怒りが表出されていることが繰り返し述べられている。この怒りを醸成するのは「依存」「支配」「競争」という人間関係における形であり、そこから抜け出すためには抑圧的な「怒らない技術」ではなく、健全に「怒る技術」を身に着けることだという処方箋を示す。
書いてあることは平易だが、これほどまでに複雑な精神病理が「怒り」を中心としたネガティブな感情と絡んでいることに驚いた。寺山修司の「怒りは排泄物のようなものなんだから、一日一怒」って慧眼だな。
あとは、キュブラー・ロスの「喪失の受容」過程にも、実は怒りが重要な位置を占めるというのも改めて実感。死だけでなく、別離、失敗、挫折などの人生のいくつかの場面でも「否認」や「怒り」でとどまってしまっている人は実はとても多いのではないか?
同調圧力や親からの道徳の押しつけに代表される「子供を取り巻く環境(しつけ)の劣悪さ」を思うと、子供の時から自分の感情と向き合い、それを言語化する経験の重要性と、親子関係に焦点を当てた「カウンセラー」の役割の重大さを改めて痛感した。
結局、当事者同士では、言語化することも憚れてしまう。「信頼できる第三者」が大きな意味を占めるのではないか、とこの本を読んでますますそう思った。