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仏陀の教えと、日本の仏教が大きく違うことがわかりやすく解説されています。雑学的に知っていましたが、きちんと理解したのは初めてでした。巻末の参考図書を読んでみようと思い
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原始仏教の第一人者、佐々木閑さんがわかりやすく「釈迦の仏教」を語ってくれます。変化し過ぎて仏教本来のエッセンスがなくなっている日本仏教、そこに違和感を感じている人は新鮮な気持ちで読めると思います。
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良い本でした。お釈迦様の言葉の紹介だけではちょっと意味が分からなかったり、厳しすぎたり聞こえるのですが、佐々木先生の解説でよく理解できました。瞑想というのは、自転車を乗るがごとく、瞑想すればできるようになるものだ、という佐々木先生の経験談がもっとも印象的だったな...ここから、私の仏教探索が本格的にスタートしました。
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仏教の奥深さと面白さに触れられる良書でした。
『自灯明、法灯明、涅槃、無明輪廻』など、言葉として見聞きした程度の初心者のわたしでも分かりやすく優しく導いてくれます。
ブッダの仏教と日本の限り無い宗派の仏教では、想像以上に大きな違いがあることを知りました。
現代にこそ、二千五百年前のブッダの教えが必要なのだと感じました。
そして、神のような神秘的な存在としてではなく、1人の人間・悟りを得た人間としてブッダが位置づけられていることに、感銘を受けました。
とても興味深い "本来の「ブッダの仏教」" を学んでみたいと想いました。
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どうも読む順番を間違えたかもしれない。本来なら、これを最初に読んで、「般若心経」「涅槃経」という形で読むべきだったような気がします。ダンマパダ=真理のことば=法句経ですが、ブッダの時代に近い古い段階のお経(ニカーヤ=阿含経)の一部ですね。
最初の方はブッダの教えと大乗仏教の話。流石に三回目なので良く判りました。
で、真理のことば。ブッダによれば、この世の真理には「苦諦」「集諦」「滅諦」「道諦」という四つの局面がある。苦諦とはこの世はひたすら苦しみであるという「一切皆苦」の真理。集諦はその苦しみを生み出す原因が心の中の煩悩だと知ること。滅諦とは、その煩悩を消滅させることで苦が消えるという真理。そして、道諦は煩悩を消滅させるための具体的な八つの道(八正道)を実践することである。そして、八正道とは正見(正しいものの見方)、正思惟(正しい考え)、正語(正しい言葉)、正業(正しい行い)、正命(正しい生活)、正精進(正しい努力)、正念(正しい自覚)、正定(正しい瞑想)の八つなる。
さて、煩悩のうち一番大本となる煩悩は「無明」、つまり物事を正しく、合理的に考える力が欠如しているという本質的な暗愚だと指摘している。苦は、それを生じる根本のスタート地点として「無明」があり、以下、「行」→「識」→「名色」→「六処」→「触」→「受」→「愛」→「取」→「有」→「生」→「老死」の順番で展開しているという。これを流転門といい、このプロセスを理解した上で心の修練を繰り返し、最初の無明を滅することができれば、各段階が消えていき、最後に老死の苦しみも消えるという流れ。これを還滅門というらしい。
それから執着。執着は、自分中心の世界観から発生するもので、自分中心の考え方に立つ限り、欲望は消せない。この世の一切の事物は自分のものではないと自覚して、自我の虚しい主張と縁を切った時、執着とも縁が切れ、初めて苦しみのない状態を達成できると説いている(諸法無我)。
最後に、認知脳学者の藤田一郎先生との対談が載っていて、科学と仏教の接点が見えたような気がした。錯視の例が出ていたけど、網膜に写った像を認知の力で補正する見方を脳は持っている。正しく見るということはどういうことなのか。佐々木先生は「科学というのは、その集中した精神を使って、外界の法則を知ること。そして仏教というのはその集中した精神を使って、自分の心を観察して、それを変えようとするもの」と整理している。そして、最後に「苦しみや悲しみの感情に溺れてしまったとき、人は正しい判断ができなくなったり、自分を追い詰めてしまうことがある。そんな時こそ、自分の状況を客観的に把握し、生き方を変える勇気が大切で、ブッダは苦しみから逃れるためには強い意思が必要だと説いたのだと思います」と結んでいる。少しずつ分かったような気がしている。
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仏教について基本的な事を学びたくて読んでみました。
文章が非常に平易な内容で書かれており、仏教についての考え方がとてもよく分かって良い本でした。また、科学者との対談集もとても興味深い内容でした。また、巻末にある仏教本のオススメについても充実しており、非常に良い本だと感じました。
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ブッダの言葉を短い詩の形にして423句に集めたのが「バンマパダ」で、日本では「真理のことば」と言われてるとのこと。その説明の書。
『愚かなひとは、「私には息子がいる」「私には財産がある」などといってそれで思い悩むが、自分自身がそもそも自分のものではない。ましてやどうして、息子が自分のものであろうか。財産が自分のものであつたりしようか。』『子どもを自分の所有物だと思うから執着が湧き、自分の思うとおりに動かしたいという欲求が生まれてくるのです。親の思惑と現実が食い違った時、「ああ、つらい」と苦しい気持ちが生じます。「お前はどうして、私の言うことを聞かないんだ」と怒りの心も起こります。執着することでどんどん膨らんでいく苦悩の連鎖です。しかし「子は子、親は親。それぞれ別個」という現実の状況が理解できていれば、そのような苦悩ははじめから起こりません。「授かった大切な子どもだから、しっかり育てて、あとは本人の人生だ」と思っていれば余計な悩みなど起こらないのです。』
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科学者的視点から原初仏教が解説されていて、興味深く読んだ。印象的だったのは大乗仏教との違いに触れたところで、「どちらが良い悪いと言う話ではない」と教義や宗派の違いを肯定的に捉えていた事。なるほど仏教では宗教対立が起こりにくい筈だ。また仏教は自分を見つめる宗教であり、積極的に布教する動機に乏しいと言うのも納得。一部の仏教系新興宗教がこれらに逆行する活動をしているようだが、本来の仏の教えと離れすぎているように思われる。
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自分を救済できるのは自分だけ。「一切皆苦」の世の中で自己鍛練により心のありようを変えることが苦しみから解放される唯一の道である。
読みやすく、釈迦の仏教の入門書として良い。
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おすすめ度:80点
ブッダの考えは極めて論理的で科学的であることが解る。
この世はすべて苦しみであるという「一切皆苦」。
有為:因果によって生まれ出るすべてのもの
無為:因果を離れた不変不滅のもの
諸行無常:(有為に対して=行)この世の中に常であるものはなにもなく絶えず変化している
諸法無我:(有為にも無為にも対して=法)本来、「これが私だ」と言えるような究極の自己などどこにも存在しない
この二種類の真理を念頭に置きながらものごとを考えることで、私たちは無明の束縛を断ち切り、世の在りようを正しく見られるようになる。それがひいては、誤った世界観から生まれでるさまざまな苦しみを消し去ってくれる。
人を要素の集合体と見るなら、その人が死ねば、その集合体は雲散霧消して消滅する。だが、その人が存在していたことの意味は消えない。なぜなら、その人が生きていた時にまわりの無数の人たちに与えた影響は、そのままそういった人たちの集合要素の中に残っているからである。その人の存在によって、まわりの人びとは別の状態へ変化させたかからである。
死んだ人はいまも一緒に生きているということになる。人はさまざまな要素の集合体だと理解すれば、結論はそのようになる。これがブッダの教えから導かれる、「死んだ人が今も生きている」という言葉の意味である。この考え方は、存在物そのものよりも、それを受け入れる私たちの心にこそ真実がある、という思想になる。
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ダンマパダの要所を引用し、ブッダの教えが簡潔に説明されている。ブッダの教えのあらましを理解できた。本文中や対談のなかで、「瞑想は精神を集中するもの、感覚を遮断するもの」と述べられているが、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネスの一般的な理解とは少し違うのかなと思う。確かに集中は必要だが、感覚は遮断するのではなく、むしろオープンに受容していくものが瞑想だと、自分は理解している。