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大黒屋光太夫を船頭とした17人を乗せた「神昌丸」は駿河沖で時化に会いロシアのアレウト列島(アリューシャン列島)のアムチトカ島に乗り付ける。母国日本へ帰りたい一心でロシアの厳しい生活に耐え、ロシア国内を大移動しながら本国送還を願い続け、10年後許しが出て既に死去した12人とロシア正教に帰依した2人を除いた3人が帰国する。
アリューシャン列島のアムチトカ島からカムチャツカ半島を経てオホーツクへ渡り、陸路ヤクーツク、イルクーツク、モスクワ、ペテルブルクとなんと10,000キロに及ぶ未知の国、風雪の中の流浪の旅は彼らにとってどんなに厳しかったことか。
地図と見比べながら彼らの姿を追えばその辛い旅がより思いやられる。
しかしあれほど帰ることを望んだ日本は、ロシアで艱難辛苦を乗り越えて、あるいはロシア政府やロシア人の助けを享受して生きながらえるうちに、今までの人生では見ることのなかった世界と人々を知った彼らにとって、旧弊な決まりにとらわれて身動きのままならない居心地の悪い他国のようになっていた。
さらに母国に帰ったにもかかわらず彼らは自国内を自由に移動することさえも許される事はなく定められた土地に一生住むことにされた。見聞きしたことは他言無用ということなのか。
人間にとって自分という者の居場所が確定して、自分の存在が周囲にとって有益な存在であるという事は生きていく上で欠くことのできないものであると思う。
彼ら漂流民はそれを求めて10年の長きを耐えたにもかかわらず、彼らが帰ってきた母国はそれらを取り上げてしまった。
帰国する前に「もしかしたらこのままロシアの地に留まった方が良いのかもしれない」と思った彼らにとってその仕打ちはあまりにも残酷だ。
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いや何とも面白くそして悲しい史実に基づいた物語だった。江戸時代に、商船が難破してロシアに流れ着いた船員たちが一人欠け、二人欠けしながら10年近くかけてようやく光太夫と磯吉の二人だけが日本に帰り着いたという話。
ところが話はそこでは終わらない。ようやく帰り着いた日本で、二人は故郷の伊勢に戻ることが許されず江戸で不自由な後半生を送ったという。日本に帰り着いた際の日本側の対処やその後の二人の半生を知るだに、この国って昔から狭量だったんだなあと思うばかり。ロシア正教に帰依してロシアに残ることになった庄蔵と新蔵のほうがある意味、思い切れて幸せに生きたかもしれない。
もともとは十数人だった船員たち。十人十色でこういう苦境に陥ったとき、どのようにとらえるかでその後が変わっていくものだと思う。うじうじ変えられずにいる人もいれば、あっけらかんと現状を受け入れられる人もいる。
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実際にあった出来事の、ロシア革命より更に前の18世紀。
江戸時代の伊勢から漂流した船に乗った人々が
ロシアという異国で10年どう生きたかどう感じたかをまとめた歴史小説。
極寒の異国地に漂流し、そこから更に色んな箇所へ移動され
亡くなる人やロシアに帰依する人や、それでも日本に戻る為に最善を尽くす人がいて
当時のロシア女帝エカチェリーナ2世との対面まで行ったのに
やっとの思いで、いざ日本に着けばなんかものすごく虚しい。
虚しさというより空虚、何だったのだろうか今までの体験はって思い知らされた。
全く通じない言葉とか身振り手振りだったり、それでも色んな仕事を手伝いたいとか
自分らは漂流したとはいえ、もう立派にロシアに馴染んでいたからこそ
当時の鎖国していた日本が非常に狭く見えたんだと思う
しかし終身里にも帰れず、ずっと幽閉の身とは
なんとも嘆かわしや。
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アムチトカ島を出るまでは他にもある漂流記と大きく違いは無いが、カムチャッカに渡りさらにヤクーツクさらにイルクーツクまで来るともはや漂流記を逸脱して異世界冒険譚となる。主人公が異世界を旅するフィクションは掃いて捨てるほどあるが、そのどれも物語としての迫真さにおいて本作には叶わない。これが江戸時代のシベリアの大地と帝政ロシアを舞台にした実話というところが驚き。
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海流の影響か、昔からロシアには日本の船が流れ着くことが珍しくなく、もちろん日本には帰れずに現地で一生を終える者がほとんどだった。そんな中、和歌山の商人である大黒屋光太夫は知恵とど根性で日本に帰ってくるのだ。帰りの船を出してもらうために当時の女帝エカテリーナに謁見するという歴史的な事実もあって、ロシアでは知られた人のようだ。ロシア人の気質なども垣間見られる貴重な調査記録だ。
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キリル・ラックスマンが好きすぎて、思わず手を出してしまった1冊。
両親の実家が三重県鈴鹿市白子なので、その影響もありました。
現代においても海外に行くにはそれなりの準備を要するのに、漂流と形で辿り着いた異国に対する恐怖と驚きが巧みに描写されています。
個人的には、江戸に帰ってきた光太夫と磯吉が、日本の窮屈さに嘆いてロシアを恋しく思うシーンが印象的でした。
広い世界を知ったからこそ感じる、鎖国日本の視界の狭さ。
日本の土を踏んでも自由は与えられず、思わずロシア語で会話する二人には涙しました。
なぜ日本に帰りたかったのか、という光太夫の問い掛けに
「ラックスマンがあまりにも日本の石や植物を見たいと言っていたから」
と答えた磯吉。
純粋に日本に訪れたかったラックスマンの思いを汲み取った一言だと思います。
鎖国の罪深さを表したシーンでした。
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読み終わった
みなもと太郎「風雲児たち」に大黒屋光太夫の話しがあってから、ずっと読みたかった一冊。異国の地に一人でいるってことがどういうことか。留学中の身には少しばかり彼の境遇が近く感じられる。本当は全然違うんだけどね。
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果てしない異国の地にいても故郷への思いはこんなにも強いのか‥人間にとって生まれ故郷は、こころの支えや拠り所となる場所なんだなと強く感じました。 その他にも、光太夫のリーダー性、船員それぞれがみせる適応力など学ぶべき人間の姿があります。
また、作中では日本が江戸時代で鎖国中の頃、ロシアではどんな様子だったか知ることができます。
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カフカの描く不条理を実際の人生において体験した話。
前半は、『城』を思わせる。
どこへ行っても実態のつかめないロシアという国。
そして、道が開かれたかと思いきや、そこに自分の居場所はない。
それは運命という言葉以外に、納得させるものはない。
人が見れないものを見たという幸運と、それに付随する代償。
その人生が幸せなものだったのか、不幸なものだったのか、それは他人には決してわからないと思った。
まだまだ自分の人生はこれからだな。
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人ってあっけなく死ぬもんなんだなと思った。光太夫たちが帰りついてからが特に面白く、そこにもっと照明を当ててほしかった。特に光太夫たちの空白のような晩年は気になる。
司馬さんの『菜の花の沖』を先に読んでおり、本作を読んで話がつながっていく感じが楽しかった。
靖さんの文章は田んぼの脇の溝を流れている水のようなどこか懐かしい透明感があって好き。
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まずは江戸時代に黒屋光太夫以前にも漂流してロシアで生を送った日本人が何人かいて,ロシアもいつか来る日の日本との交渉のために日本語学校を作っていたというのはおどろきだった.そしてほとんどの漂流日本人がロシアで生をまっとうしているところ,女王エカチェリーナ二世にまで直訴して帰国するまでの10年間の大黒屋光太夫の不屈な態度はすごかった.また大黒屋光太夫一行でロシアに残留するメンバとの別れは感動をさそった.そして何より,あれだけ帰国したかった日本に帰って逆に感じるようになるロシアへの故郷的な思いがとても切なかった.
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最初は16人いた一行のうち、最後まで生き残ったのが4人。うち2人はキリスト教に帰依し、10年の後日本に帰国したのは2人。18世紀のシベリアの過酷な自然環境や華麗なロシア文明を描いた作品です。
小説と史書の中間、どちらかと言えば丹念に調べた史実を忠実に再現しようとしています。主人公の感情とかの描写は少なく、事実が淡々と述べられていく。作家は皆さん古くなるとこうゆう傾向になるのでしょうか?司馬遼太郎も吉村昭も方向の違いはあれ、そんな感じがします。この作品についていえば吉村昭の最近の作品に近いように思います。もちろん井上靖の方が大先輩ですので、本当は井上さんに吉村さんが近いと言うべきでしょうが。
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久々に読んだが重い本だ。
飛行機なども一切なく、もちろんパソコンもなく、まだ日本が鎖国をしていた頃の話。
海外に対する情報が全くない日本人が漂流しロシアに流れ着き十年を経て日本に戻る。
過酷な運命だ。
そして日本に戻ってきた時に感じる疎外感。悲しい物語です。
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今年の夏は奥穂から涸沢を通り、徳沢園ロッジに初めて泊まった。
そういえばここは氷壁の宿。しかし井上靖の氷壁はつまらなかったなぁと思い出す。たまたま週間江戸に大黒屋光太夫のことがとても面白く書いてあったので読み出したもの。