感情タグBEST3
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植物人間という言葉の響きは、若い頃はとても忌避的に感じていた。植物が人間よりも遥かに尊い生き物のように思える今では、この小説で描写される植物人間への畏敬も朧げには理解できる気がする。慣れてないと良くも悪くも特別視してしまうけど、本書の主人公の場合は物心がつく前から植物人間との触れ合いがむしろ日常だった。元に戻って欲しいという意識にとらわれない母娘の関係は、普通に五体満足で健康な両親を持つ自分よりも遥かに自然体で人間らしいと感じた。
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三島由紀夫賞受賞作品。自分が産まれてからずっと母が植物人間だったら?母にどんな感情を抱くだろうか。一度も外にでられずとも、ただそこで生きているのはどんな気持ちなんだろう。知らない世界をまた一つ知ることができた。
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久々に衝撃を受けた。作者が医師なのも納得。ベジ患者の生きる意義を考察してたら、逆にお前の存在意義はよ?と鼻であしらわれたカンジ。過去も未来もみず他人と比べたり自分を見つめ直したりもせず、今この瞬間を存在する充実感。ヨガの境地かな。主人公の、母との距離感の変遷も興味深かった。
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はじめて、植物人間という言葉を知った時、とても怖い印象があった。子供の頃。
生きるとは。何か。子どもは成長するが、母は変わらず。しかし、亡くなってしまった。
単なるストーリーを読ませるものではなく、何感じたか。
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現役医師だからこそかける植物状態の方の有様が細かく描写されていると思う。
とても壮大なものを読んだ気がする。
植物状態の母をまるでかつての思い出を引き出すフロッピーように接する周りの大人と、ありのままの母を愛す娘のお話。
だれも可哀想じゃない。そんな強い気持ちを感じました。
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静かな物語。
植物状態でも口からご飯を食べられたり、目を開けたりすることができるとは恥ずかしながら知らなかった。
植物状態で長く生きていて、本人、家族はどうなんだろうなんて思っていたけれど、毎日毎日呼吸をして生き続けているってすごいこと。芯がある。
呼吸を土台にしているところが上手。
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非常に重たいテーマで、中々読み進めるのに
時間がかかりました。眠り続ける人たちと、その
周りで目を覚ますことをずっと願い続ける人たちの物語で、希望を持ち続けることが、いかに難しいのかと、改めて実感しました。植物状態という
言葉をニュースとかで、聞いたことがあり、ざっくり言えば脳の病気で脳が壊死して、寝たきりになってしまう。そういったテーマで、寝たきりの方の周りの方たちが、どんな苦労をしているのか、こういった言い方はあまり良くないが、終わりのない眠りからどうやって救えるのか。医者でもある著者の想いもいっぱい伝わってきました。
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設定そのものが異色。母親が植物状態であるが故に、ある意味濃厚な母娘関係。呼吸して生きているだけのようでも、やはり身近な人にとっては十分に「生きている」のだとわかった。
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読んでる時も読んだ後も時間がゆったりと流れていった感じがした
テレビの音や趣味の曲の音、端末の音を全部消して今この瞬間を感じたときに気づく
あ、腰曲がってたな
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読み終えて検索して、著者が現役の男性医師であることを知って納得。
さまざまな理由でいわゆる植物状態になってしまった患者たちが集まる病棟の物語。
主人公・美桜の母・深雪は、美桜を出産するときに脳出血を起こし植物状態になってしまったため、美桜は母と言葉を交わしたことがない。
だけど産まれたときから母はその状態なので、美桜は当たり前にそれを受け容れ、植物状態の母、そして父や祖母のもとで成長した。
病棟での、美桜を取り巻く患者たちとの描写がとても生々しく、時にグロテスク。
母の病室に集う4人の患者は状態がまちまちなのだけど、植物人間という共通点があり、食事や排泄や死に向かう様子などが本当に生々しくて、これはやはり医師ならではの目線なのだろうと思った。そこには厳しい現実が描かれている。
幼い頃から病室は美桜の遊び場で、病棟の看護師などとも友だちのようになり、そこで過ごすことが当たり前の環境で大人になる。
だけど時折母に過激に接する場面もあり、その描写もまた生々しい。
凄いものを読んでしまった…というのが率直な感想。淡々と描かれている分、状況描写に凄みを感じると言うか。
感情ではなく事実が優先されるところがリアルで、男性作家だからこそ書ける物語なのかもと思った。
そして私は、「植物状態」のことを誤解していたのだと分かった。
ベッドに横たわり意識のない状態なのかと思っていたが、実際は人の介助があれば咀嚼して食事をするし、ベッドに腰掛けることも出来る。
人によって状態はまったく違うのだということを知った。
その環境を当たり前に受け止めて過ごす美桜と、かつての元気だった深雪との過去を追いながら1枚フィルターを噛ませたような状態で接する周りの大人たちの対比。
植物状態になっても食事はするし排泄もする。そして徐々に老いてまた別の病を得たりする。
途中向かいのベッドにやってくる少年、あっ君の存在感も大きい。髭が生えたり声変わりしたり、意思がないように見えても身体は成長していくという事実。
それは確かに身体は生きているということだから、尚更切ない。「生きているとはどういうことか」ということを、問いかけてくるような作品。三島由紀夫賞受賞作。
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自分の出産時に植物状態になった母との交流を娘視点で描く。
元気だった状態を知っている人達と、植物状態しか知らない娘の受け止め方の違い、母という存在をどう感じるのか、その交流の様子が、今まで私の発想の中には無い視点で興味深い。
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生きること、寿命が終わることを装飾なしにありのまま表現されたような、とても新鮮な描写のお話でした。
家族が病気になり長く闘病生活を送らなくてはならない中で、親として出来ること、子として出来ること、病人の家族に対する思い、この先の不安をどう対処するかなんて、綺麗事で語れるものではないし、感情の表裏で言わなくてもいい事をぶちまけてしまったりすることもあるでしょう。
何となくそう遠くない将来の自分の家族の姿を想像して、切ない気持ちになりました。
作中の「生きることは耐えること」というフレーズがいつまでも頭から離れない重みのある作品でした。
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[こんな人におすすめ]
*静寂を好む人
淡々と進みます。言葉数も多すぎず、静寂を感じる本です。しかし、静けさの中に人の感情がにじみ出て、私たちに生きるとはどういうことかを問い続けてくるため、読者の頭の中は騒々しくなりフル回転で働くことになります。
町田その子さんの本の帯がネタバレなしですべてを伝えてきます。本の帯って最高ですね。
[こんな人は次の機会に]
*花が好きな人、植物が好きな人
想像しているものと全く違うストーリーだと思います。表紙の真っ白な花が自分の好きな花かどうかをよく見てから読むことをお勧めします。
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書かれてあることはすごく心の奥に迫ってきた。
でも『私の盲端』もそうで感想が書けなかったんだけど、朝比奈さんは医師だから平気で書けるのか、主人公たちのやってることがえげつなくて、痛々しくて見ていられない。私は注射も直視できないので、内臓になにかするのとか本当にムリ…
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よかった。子どもの目は フラットで 時に残酷。だけど、その分 やさしくて ふかい。変わらぬ母と 変わっていく自分。生きるって どういうことなんだろう。十五夜の日に 一気読み。読後に見た満月。とてもきれいだった。
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生きるって何だろう。
植物状態が日常のお母さんのもとに通う娘。
回診の時に顔を背ける医師。
欲のなくなった看護師。
生きているだけの状態でいるのは難しい。
石の作者だから描ける作品だと思った。
一気に読んだ。
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美桜の誕生日は、母が植物状態になった日。
それを祖母と父は辛い思い出が始まる日だと思い、娘はベット居る母を母だと思う。
植物状態になった人を見守る家族にはそれぞれの思いがあるんだと思う。植物人間と呼ばれる人だけではなく、人間どうしの繋がりは切れたり、くっついたりしながら、その人が生きている間に変化していくのかもしれない。
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意識のある母と一度も会うことなく病室の母と過ごす日々の、何と哀しく何と満たされていることか。生きるということ生きているということを考えさせられる。
何の意図もなく手を包み込むように、母は手を握るのが上手な人。と主人公が思うその母への憧憬がたまらなく心に響いてきた。
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内容的には重いお話なんだけど、
みおの自然な母親への接し方でサラッとした気持ちで読めた。
自分を生んですぐ脳出血で植物人間になってしまったみゆき。
みゆきの母と、夫、そして病室の中の患者達。
病院のスタッフ。
少ない登場人物とのやり取りの中、みおは子供から大人に成長していく。
他の本も読んでみたいと思える作家さんでした。
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眠り続ける人たち。
ただ座って息をして、食べて、眠る。
途方もない長い時間。
その人生の一端に触れ
心がシンとなるような
なんだか少し羨ましいような。
それと同時に母と娘の濃密な関係に
胸が痛い。
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自分を産むのと引き換えに植物状態になった母親深雪を持つ美桜、その周りの人達の、深雪を愛する気持ちがどれもヒリヒリと痛くて胸が苦しくなりました。
美桜は、深雪の無と凪を愛していました。母に手を握られて居る間は、人間として生きることの苦しさや複雑さからつかの間解放されたのかもしれません。
でもそれは母親を愛していると同時に、母親を一人の人間であるとは認められないジレンマに満ちた時間だったのではないかと思いました。
母の最期を迎え、生き生きした彼女のエピソードを人々の口から聞いた美桜が、ようやく泣いて笑って母親の生を感じられたことにとても安堵しました。
これから美桜は、正しく母の死を悼み、自分や娘の人生をが明るく実り多いものとなるよう懸命に生きていくことでしょう。
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さらさらどろり
陳腐な言葉になるけど、私たちが生きてる意味ってなんだろう、私たちが普段見下したり馬鹿にしたりして線引きしている人たちと私たちは何が違うんだろうと考えたりした
少女ならではの無垢な心の痛み
意外とさらっと読みやすい文章
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淡々としているようで、ちょっと不思議な小説。
特異な環境に育つ少女の目線から描かれた世界。
意識のないいわゆる植物状態の母。動いていた母を知らない少女の感性はちょっと特別。答えのない母へ吐き出すことでバランスを保ってきた日常生活が、細やかに綴られていく。隣のベッドにいるのもやはり植物状態の患者。看護師とのふれあい、父と祖母との微妙なずれ。答えのない問題を延々と解かされてるような奇妙な小説。
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生きるということのしんどさや意味や切なさのようなものが、静かに漠然とただよっている。
そんな作品だった。
植物状態の母親と娘の交流が、私には初めての感覚で、とても興味深く、心に響いた。
存在とぬくもりが心を支え温める。
そんな様子に、生き物の優しさのようなものを感じた。
それと同時に、苦しみや足かせとなることも多い気もするけれど。
植物状態の人は重荷になる、と今まで思って着たし、現実はそういう面も強いと思うが、この作品は心の部分をめいいっぱいクローズアップしているな、という印象を受けた。
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読んでいてドキドキしてしまう。もちろん悪い意味で心臓に良くない笑
植物人間というとまったくの無意識で息さえ機械につないでいないと生命維持が出来ないと思われがちだが、実際にはこの物語のように”無機質に生存維持”はする場合もある。ちなみに妹の旦那の兄弟さんは事故で脳挫傷して植物人間になり、機械によって生命維持するも5年で亡くなったが。
植物人間となった母をもう人形のように弄ぶかのように扱い主人公、そしてそうした環境によって成長していく少女が生々しく描かれており、ちょっと言い方悪くなるが気持ち悪い。植物人間となった息子にいつまでも寄り添う母親も少女の真逆の立場として登場するが健気で痛々しく、なんともやるせない気持ちになる。さらっと読めたが後味はドロッとしている。
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第36回(2023)三島由紀夫賞受賞作。
美桜の母、深雪は、我が子と話したことがない。
それは、深雪が、娘を産むときに脳出血を起こし、いわゆる植物状態になったからだ。
まだ幼い美桜は母がどういう状態なのかもわからず、離乳期を過ぎてもまだなお、自ら母乳を吸っていた。
傾いた体勢の深雪はまるで「我が子に授乳する母親」のように。
時が経ち、美桜は小学生になり、中学生になり、社会人になり、出産した。
生きている、それは同じなのに世界が違う。
緩やかで、変わらない静かな世界と、忙しなく雑音だらけで目まぐるしい世界と。
こんな全く違う世界で、美桜は生きている。
深雪はなにを感じていたのだろう。
本書には、病気になる前の深雪の描写が少し出てくるだけで、彼女の言葉や感じたことは出てこない。
身体的な痛みや苦しみには反応するだけ。
人の心はどこから来てどこにあるのか?
支えの欲しい父や静かに見守る後年の父の恋人。
娘と孫を心配する祖母。
誰もが静かな世界で「生」と向き合い、命と生きている。
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6/16高橋源一郎の飛ぶ教室(NHK)にゲスト出演されてました。貴重なお話しを聞き、もう少し他の本も読んでみたいと思いました。
大人のずるこさ、子供のやるせなさが表現されてます。
思いやりとは、何なんだろう?
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プロローグは主人が亡くなった時を思い出させた。主人公である美桜を出産後、母深雪は植物状態で病院のベッドで寝たきり、美桜は健康な状態の母親は想像もつかない。しかし毎日その母に会いに行きその日の出来事一方的に話し、口に食べ物を近づけると反射的にかぶりつく様子をつぶさに観察して人間を生き物として感じとる。父 母かとの祖母と3人で暮らしているが友人たちには母親のことは一緒に暮らしてないとだけ言っているので彼らは本当のことは知らない。母親の病室にはみな似たような状態で動けずただ毎日を生きている。そこで働いている医者 看護師たち、病人の家族との交流にホッとする。人間の生といううものを考えさせられ、植物人間に対する見方が、少し違った観点から見られるきっかけとなりました。人生に残された時間のリミットが見えている自分の身に置き換えたことでした。
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作者ならではの医療現場や患者、家族の様子の一部分を描いてくれているのだろうと思いつつ読み進めた。お話は淡々とすすむが、「生きる」ということは何かを改めて考える作品。
反応に乏しく、会話もままならなくなった人を前に、過去の姿を知っていたら、やるせなさを感じてしまうだろうし、主人公の美桜(みお)の母は自力で呼吸が出来たり、母乳が出たり、痛みに反応して手で払い除ける。咀嚼が出来たらいつか意識も戻るかも、いつか奇跡がと願いたいのも自然なことだ。
自分を産んだ際に脳出血を起こし、植物状態となった母親の病室に通いながら、母の側で成長していく。
時に自分の苛立ちや思いを言葉や母の身体にあたったりする。それでも、把握反射とはいえ母はいつも手を優しく握ってくれる。黙って愚痴や言葉を受け止めてくれる。息をしているだけの存在ながら、生きていること、人間としてそこに在ることの尊さ。
母は美桜が無事に出産(孫が生まれる)し、自身の母(主人公にとっての祖母)が亡くなってから、癌が進行し息をひきとる。言葉を交わすことはなかった母だけれど、美桜は母の側で時間を過ごすことができている。母のその生き方は、これからの美桜の支えとなってくれるに違いないと思えた。
医療現場、患者、患者の家族、親子関係など本文は淡々とすすむのに読み手としていろいろ思いを巡らした作品だった。