【感想・ネタバレ】雪の練習生のレビュー

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Posted by ブクログ

 人間社会で「普通にクマらしく」ホッキョクグマが生活する話(意味不明)。それも、人間社会にやってきたホッキョクグマが、色々ドタバタ冒険して人間と仲良くなりました系の話ではなく、人間社会で暮らしているクマが、日常生活の中で色々自分自身のことについて考えたり、今後のことに悩んだりするだけの話。ただそれだけの話。何も起こりません!
 人間社会にクマを登場させると、何となく冒険して人間と和解させなきゃいけないような気分になる(パディントン病)けど、この作品はそうではない。
 超大作。分厚いという意味ではなく、感動の濃度がとても高い。作者の想像力、思考力の高さにびっくりした。
 人間以外の動物の哲学的思考を、人間的になりすぎず、非人間的にもなりすぎず、ギリギリのバランスと曖昧さで描いている。作者は、自分以外の感覚を想像し、説明するのが上手で、一つ一つ説得力がある。
 あまり共感ができない部分も多いが、人間の思考でない以上それが当たり前。敢えて伝え残すように書いている感じがする。
 全体的に野生動物の思考らしく取り留めがないのだが、決して散らかることがなく、丁寧。イメージとしては安部公房の「箱男」みたいな内向的な感覚。

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2016年05月29日

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2012.03.26. おもしろいです、ホッキョクグマの3代記。変に擬人化もされていなくて、ストレートなクマ視点(というのも、おかしいけど)で語られる奇妙な社会。オットセイが編集者だったり、現実との境界は曖昧で、不思議な世界に連れて行かれるような感じです。なにやら興味深い理屈屋さんで、亡命しながら自伝を書き綴る「祖母の退化論」が、1番興味深かった。ちょっと、人間の作家である多和田さんが書いたってこと、忘れそうになりました。

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2012年03月29日

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ホッキョクグマの一人称で書かれた美しい小説。第三章『北極を想う日』のクヌートとMJの亡霊(?)の交流は胸に突き刺さる。

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2012年02月18日

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生涯最高の一冊。

読書が趣味と言いながら、この本で初めて多和田さんの文章を読みました。今まで体験したことの無いような日本語。どうにもならない20代後半の日常に、しなやかで楽しい光が射して、帰宅してから寝るまでの短い時間に夢中になりました。

書く、ということそのものを書いた作品はたくさんありますが、この本はその最高峰です。全ページ素晴らしい上に、誰もが知っている彼が登場するラストは震えました。クヌートが地球の脳天に向かって飛んでいった時、私の頭の中では She's out of my life が流れていたよ、ホー!

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2012年02月03日

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まさか新年早々星五つをつけることになるとは。

サーカスと関わり合いを持ちながら生き続けるホッキョクグマの三代記。最後のクヌートだけやや例外であるものの、観客を楽しませようというこころは前の二世代とあい通じる所がある。

現実のような描写がある一方、「祖母の退化論」ではオットセイが出版社に勤めていたり、「死の接吻」では労働組合を結成しているなど人間との境目がぼやかされ、初めの章では人間とほとんど同様に生活していたホッキョクグマが、章が下るに連れて人間と話す事が難しくなり、最終章では人間の言葉は判るもののホッキョクグマから人間に向かって話が通じないなど、ファンタジーからだんだん現実に近づいている(それでもファンタジーであるものの)ところも、長い夢から覚めてゆくようで秀逸。

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2012年01月06日

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この作品に出てくるホッキョクグマ達が言葉を持ち、人間社会の境界線上を軽々と越えていく。色々なものがホッキョクグマを通して(時にはその周辺の人間を通して)異化されていき、既存の束縛から解放され切ったような、とても思いきりの良い価値観が作られていく。三代続くホッキョクグマの系図(最終章の主役はあのクヌートである)は、新しい価値が生まれていく過程のように思えた。束縛から逃れたところで、束縛のない価値などはこの世に存在し得ないことは、このホッキョクグマ達が一番よく分かっているはずだ。言葉をめぐる様々なイメージが奔放なまでに飛び交う小説世界の中で、このホッキョクグマ達の言葉が、じんわりと染み入るようにして心に入ってきた。納得の野間文芸賞受賞だと思った。

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2012年01月03日

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環境運動で有名な実在のホッキョクグマ、クヌートとその母トスカ、祖母の話をオムニバス方式で綴った物語。
祖母とクヌートの話はクマの一人称で綴られるが、哲学的なのに驚かされた。
空想と現実がない交ぜになり、3話それぞれに独特な雰囲気を醸し出す、不思議な物語。

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2023年02月01日

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ホッキョクグマ親子三代の物語。多和田ワールドにすっかり翻弄されたが、ラストまで読むことを諦めないで良かった。熊の目を通して見ると、人間社会って奇妙で、不条理で・・ベルリン在住の著者ならではの鋭い視線に圧倒された。
1章「祖母の退化論」
冒頭の調教シーンからゾクリとさせられる。
「ある日、彼が変なものをわたしの後ろ足に縛り付けた。・・床に触れた左手が焼けるように痛い。あわてて床を突き放つ。何度か繰り返しているうちに、いつの間にかわたしは二本脚で立っていた。」モスクワで生まれた熊が、サーカス引退後に自伝を書き、作家になって亡命する。この奇抜な発想はなに。
2章「死の接吻」
旧東ドイツのサーカスで、娘のトスカは女曲芸師と伝説的な芸を編み出した。ウルズラの口の中にある角砂糖をトスカが舌で絡め取るシーン。舌の感触や匂いまで感じさせる文章力の高さに驚いた。
3章「北極を想う日」
1、2章を読んだ時の文体への違和感が消え、言葉が滑らかに落ちてくる。母親トスカの育児放棄により、飼育員のマティアスに育ててもらったクヌートが主役の章。愛らしい熊の子も成長すると「散歩は勉強になるが、ショーは仕事。どうすれば観客が退屈しないか」を考えるようになる。見せる自分を意識するクヌートが切ない。雪の舞い散る日に、彼を地球の脳天に向かって飛ばせたのは、せめて物語の中だけでも外に出してあげたいと著者が願ったからだろうか。クヌートの話が実話で、本の出版後に亡くなったことを知った後は、ラストの数行がなお心に響く。「その日は空気が重く湿っていて・・」で始まる詩的な文章が哀しい。





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2023年01月26日

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以前によんだ著者の「言葉と歩く日記」で、この本を自身でドイツ語に翻訳する話しがあったので、読んでみた。

ホッキョクグマの視点からみた世界。

3部構成になっていて、母→娘→孫と3代にわたる話し。(ホッキョクグマの寿命は短いので、この3代は実は象徴で何世代にもわたって繰り返された物語が折重なっているものとされる)

最初の初代のホッキョクグマは、ソ連、東ドイツがあったときの時代設定のなかで、ホッキョクグマや他の動物が人間と自然に話し合うというシュールな状況が描かれる。初代のホッキョクグマの「私」は、国が主催するさまざまな会議に出席したり、自伝を書いて、有名になったりする。そうしたなかで、西ドイツに亡命したり、そこからさらにカナダに亡命?を考えたりする。

2代目の物語は、女性猛獣使いとの交流を中心にしつつ、サーカスで曲芸をして、有名になって、世界公演をしたりする。ここも東西冷戦下の時代背景が描かれていて、面白い。

3代目の物語は、だいぶ現代になってきて(クヌートという実在したホッキョクグマがモデル)、動物園でスターになって、環境保全活動のシンボルとなる。

いづれも荒唐無稽の話しなのだけど、東西冷戦時代の描写やホッキョクグマの視点にしっかり入り込んだ書き方が妙にリアリティを感じさせる。

現象学における「主観」みたいな感じがあって、先入観なしに自分が体験しているものをそのまま記述しているようなナマナマしさが、なんともすごい。ぐっと身体の内側に入っていくようでなんだか切ない感覚がある。

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2023年01月07日

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ネタバレ

クヌートが育つ過程を見ていると、どうしても、母を知らず友達もいなくなったという寂しさが胸に入ってきてしまう。
誰が人間で誰が動物なのか、動物と人間の境界線が曖昧になった世界で、幼年期の思い出や自分のルーツ、鎖のような生の繋がりが感じられる。
言葉を知った段階で、矛盾が発生するのかもしれない。そうなったとき、人間と動物に差があるのか?
あとから静かに奥行きや幅が出てくるような本だった。

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2019年06月19日

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ホッキョクグマの祖母、娘トスカ、孫クヌートのそれぞれの代を描いた3話から成る小説。
クマ?クマなんだよね?って感じの、何とも不思議でユニークな味わい。
人語を理解し文字を読み書きしながら、あくまでホッキョクグマであるところの彼等を主役にして、人間社会に生きるストレンジャーであることのユーモアとペーソスを溢れさせていて、微笑ましいのに同時にこの上なく切なくやるせない。
時代を経るに連れ、祖母、トスカ、クヌートとより束縛され閉塞していくように感じるのは何故だろう。
クヌートが舞い落ちる雪を見上げる小説の最後が、切なくも美しく胸に迫る。

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2019年02月13日

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食べるというのは惨めなこと。
シニカル。そして、真実味のある言葉遣い。
自分について書くことの意味。
擬人化ではない手法。
資本主義も社会主義もヒューマニズムも皮肉る。それも淡々と。
環境保護の象徴クヌート。サーカスのヒロイン・トスカ。現代的に会議に参加し、発言しまくる祖母。
不思議でシュールで実験的だけれど、真実味があった。

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2016年11月06日

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難解な小説か?といえば、けっしてそうではない。寓話か?といえば、これもまた違う。では、何故ホッキョクグマが主人公の3代記なのか?といえば、この問いに答えるのはきわめて難しい。熊が選ばれたのは、単にベルリンのシンボルだから、なのかもしれない。そして、ホッキョクグマというのは、我々の対極に位置する哺乳類であるからなのだろう…おそらくは。この物語が小説としての醍醐味に溢れているのは、熊と人間の、そして作家と読者の、意思疎通をあえて分断した中で作品世界を成立させている点だろう。小説はそれ自身の力で自立しうるのだ。

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2014年05月03日

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おもしろかった。
いしいしんじさんにちょっと近いように感じる。

シロクマが人間のように生活していると言うと、かなりファンタジーになってしまうはずなのに、絶妙なバランスで構成されていてファンタジー作品にしていない。ものすごく計算されて考えられて作られていると思う。
多和田葉子さん、読んだことなかったけどすごい作家さんだ。

シロクマ3代の話と言っても、3つの話の書き方(シロクマの在り方)はそれぞれ異なっている。
初代「わたし」は作家として、人間と同じように生活している書き方で、これだけがファンタジーっぽい。
しかし娘「トスカ」と孫「クヌート」はご存知の通り実在のシロクマで事実に沿った物語になっている。

サーカスにいた「トスカ」の話は実際トスカとサーカスで一緒だった調教師の女性ウルズラが語る形をとる。『死の接吻』という芸も実際にふたりで行なっている。

「クヌート」の話はシロクマとしてクヌートの目線で描かれている。
クヌートの飼育員だったトーマスさんが2008年に急逝したことでこの話が浮かんだんだろうか?(初出は2010年10月〜12月の「新潮」)クヌートがトーマスさん(作中はマティアスさん)に最大の愛と感謝と尊敬を表している。
実際のトーマスさんとクヌートふたりのあの仲の良い姿を見ていれば、物語はリアルでありながらそうあって欲しいという願いの空想でもある。
トーマスさんがいなくなった淋しさでクヌートは死んでしまったんじゃないかと思えてくる。

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 そのことも新聞で知った。マティアスが心臓発作で死んだ。死んだと言うことの意味が初めはぴんと来なかったが、何度も読んでいるうちに、もう絶対に逢えないという岩の塊が脳天に落ちてきた。もちろん、もし生きていても、もう二度と逢えないのかもしれない。でもひょっとしたら逢えたかもしれない。ひょっとしたらと思いながら生きていくことを人間は希望と呼んでいる。その希望が死んだ。(「北極を想う日」p231より)

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2013年09月17日

Posted by ブクログ

物語として読むのではなく、想像力のシャボンのようなふくらみをさらっと撫でるように読むのが好き。
読み終わって何か残るというわけじゃなくて、読んでる間の浮遊感を楽しむ作家さん。

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2014年01月07日

Posted by ブクログ

ホッキョクグマ3代の物語。ファンタジーのようでうっとり感はなく、実話のように切実な声が聞こえる気がしました。

「祖母の退化論」(クヌートの祖母)「死の接吻」(クヌートの母、トスカ)「北極を想う日」(クヌート)の3章で構成されている。

自伝を書く祖母はやがて未来を描き、その未来にサーカスの花形になる娘、トスカが描かれる。トスカの息子で人間の手で育てられたのがクヌートだ。
本を途中で置いてから読むと誰が人間で動物なのか混乱してしまいました。2度読みをお勧めします。
クヌートの話を読むとそれ以前の話の繋がりが見えてきました。

ソビエト、東ドイツ、西ドイツ、カナダと舞台が政治体勢の要素を含みます。(特に祖母の進化論で)

他の方のレビューによると、クヌートは実在するようですね。
その辺りの解説を文庫本になったら読めるでしょうか。それを知るのと知らないのとでは作品の感想に随分差が出そうです。

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2012年10月10日

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まず、装丁とタイトルが良いと思う。
ホッキョクグマ視点の物語でも、人間視点でも、文体が妙になまめかしくて、実際大した描写もないのになんだかエロティックな雰囲気の小説だと思った。

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2012年06月03日

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サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書く「わたし」。その娘で、女曲芸師と伝説の「死の接吻」を演じた「トスカ」。さらに、ベルリン動物園で飼育係の愛情に育まれ、世界的アイドルとなった孫息子の「クヌート」。人と動物との境を自在に行き来しつつ語られる、美しい逞しいホッキョクグマ三代の物語。

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2012年05月14日

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サーカスに立てなくなってからロシア、西ドイツ、カナダへと亡命しながら自伝を書くことで、自分とその子孫を生み出してゆくシロクマ。舞台で光を浴び続けることを望み、同じくサーカスに取り憑かれた女猛獣使いと「死の接吻」という芸を生涯続ける、その子供トスカ。トスカに育児放棄されたため、人間に育てられることになったクヌートは、ベルリンの壁崩壊後のドイツで、存在そのものが温暖化ストップの象徴となる。シロクマの三代記。

最高に面白かった。
物語は揺れ動いてゆく時代と言語と視点を自由に行き来するが、登場人(?)物たちは自分の場所や立場から動くことが出来ない、生きることの哀しさと豊穣に溢れている。

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2012年05月08日

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日本人が書いたとは思えない独特の空気感。ロシア文学にも通じる不条理さや複雑さがあると思いました。世の中変わっていくことばかりです。そして変化は望んでいなくても訪れる。その中でただ翻弄されつつ生きていくことのはかなさや難しさを感じました。

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2012年04月27日

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三代に渡るホッキョクグマの物語。
祖母の退化論‥オットセイに腹を立てる作家のわたし
死の接吻‥サーカスを舞台にウルズラの舌の角砂糖を舐めとるトスカ
北極を思う日‥トスカから育児放棄されたクヌート
この不思議な味わいのある小説は、夢か現かということだけでなく、熊が語るのか人間が考えるのか私が思うのか境界線が曖昧になり、それでいて文章は明晰で情景がくっきりと浮かび上がる。歴史への言及や人間への鋭い分析、文明批判も含めて非常に面白い。
クヌートのかわいい姿もオーバーラップし、実話?というようなところも、、、で、私は『祖母の進化論』が一番良かったです。

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2012年01月30日

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ネタバレ

初めての多和田さん。
簡単に言うとシロクマの三代記なのですが、不思議な読み心地でした。今までに出会ったことのない作家さんです。
人間の言語を解し、話すどころか自伝まで書いてしまったり、かと思えば言葉は通じ合わないのに新聞が読めたりするシロクマたち。
シロクマが神話から歴史になって現代まで降りてくるというか・・・なんとなく『もののけ姫』を思い出したりしました。
物語を読むうちに、種族や言語の境界が曖昧になっていくような感覚を覚えました。
ベルリン動物園のクヌートのことを調べてみたら、精神疾患だったかもしれないと知りました。これはホモサピエンスから偉大なシロクマに捧げる、祈りと贖罪の物語なのかもしれません。

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2022年01月18日

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 多和田葉子の、なんといえばいいのか、そっち側の世界。奇想というのだろうか、不条理というのだろうか、面白がれる時と、はてなと思う時と、まあ、二通りあって、作品の出来と関係ないかもしれない読者の好みかもしれないが、今回はシロクマ。旅する北極熊。
 
 残念ながら、イマイチ面白くない。何故だか考えるのも、すこしめんどくさい。まあ、ぼくには、北極熊の生活に関心がないからかもしれないし。なんか、乗り物に乗ってて、隣に座られても困るし。サーカスとか見たことないし・・・。

 こういうことがあります。この人に関しては。まあ、しようがない。また読めば変わるかもしれない。

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2019年02月10日

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ベルリン動物園で人気だった白クマの名前がクヌートだったことは知っている。
その子に至る三世代の白クマのお話なの??
とにかく、三世代の白クマの不思議な話。

文章をアザラシが社長を務める雑誌社に寄稿したり、たまに人間になる。
祖母の代はロシアで生まれて、カナダに亡命し、さらに東ベルリンを終の住処とするなど若干の政治色を入れ込んでくるお話。

少し、著者の伝えたいことは分からないけど、不思議なトーンのお話。

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2016年05月09日

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三世代のホッキョクグマの話。最後はベルリン、いや、ドイツの環境運動のシンボルとなった有名なクマ、クヌートの物語となる。全編を通し、人前に出て人を楽しませる事を、自らの意思ではないのに義務付けられた、知性高きクマ達の心の動きが、ほぼ本作を占めている。単に人が動物を見て、その動物の心中を想像して書いた物語とは思えない。人間の親・子・孫の物語の様だ。著者がどうやって本作を編み出したのだろう、本作のアイディアを掴んだのだろうと考えると、非常に興味深かった。全体として、それほど心に響くところは多くなかったが、作品全体に流れる雰囲気が好きだ。

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2012年11月09日

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サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書く「わたし」。その娘で、女曲芸師と伝説の「死の接吻」を演じた「トスカ」。さらに、ベルリン動物園で飼育係の愛情に育まれ、世界的アイドルとなった孫息子の「クヌート」。人と動物との境を自在に行き来しつつ語られる、美しい逞しいホッキョクグマ三代の物語(「BOOK」データベースより)

ベルリン動物園に実在したホッキョクグマのクヌート。
ニュースなどで彼の愛らしい姿を見かけたことがありましたが、実際ホントにこんな母や祖母がいたと言われても「あ、そんなご先祖がいらっしゃったんですか、なるほどなるほど」と納得してしまうくらいのめり込んで読んでしまいました。
実は多和田さんの作品をちゃんと読んだのは初めてなのですが(短編をどこかで一つくらい読んだかも・・・)、リアルと虚構の混ぜ具合が絶妙でちょっとクセになるかも。
祖母の退化論(祖母)・死の接吻(娘のトスカ)・北極を想う日(孫のクヌート)の3編からなる作品ですが、私は祖母の物語が一番好みでしたね。
彼女がオレンジの木を植えに行かなくてよかったわぁ。

クヌートの回で、ミヒャエルという男性と出会うのですが、彼の正体がわかるとびっくり。
ちょうどこの間、桜庭一樹さんの『傷跡』を読んだばかりだったので、ちょっとシンクロ。
本の神様の、こういう楽しいいたずらはウェルカムです。

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2012年06月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 現実と空想が入り交じった話。人間の社会の中で動物たちが人間と同等の存在になっているかと思ったら、動物園で見世物になっていたり、サーカスの動物になっていたり。
 これは三代のシロクマの話だ。一代目と二代目の「わたし」とトスカは始終生き生きとしているように思う。しかしながら、三代目のクヌートは、最初は生き生きとしていたのだけれど、人と関わらなくなっていくうちに、そうではなくなっていくような気がした。母親が育児放棄をしてしまい、人間に育てられた。だから普通のシロクマとはちょっと違う。でも、人間ではない。クヌートは曖昧な存在だ。シロクマの世界と人間の世界、ぴったりと合う世界はクヌートに存在しないのではないか、と思ったほどだ。だから、クヌートは孤独だと思った。子どもの頃はマティアスがいたから良かったし、自分を理解してくれる人がいた。でも、成長していくにつれて、周りには誰もいなくなってしまう。シロクマも大変だと思った。
 私が一番気に入った話は『祖母の退化論』だった。ソ連が舞台になっていたところや、これぞ社会主義国家!と思うような生活の雰囲気を味わえたのが良かった。(それは『死の接吻』にも言えるけれど)
 『祖母の退化論』の主人公である「わたし」は恋愛に興味があったり読書をしたりと、普通の人間の牝と同じようなことをしていたため、シロクマであるにも関わらず、なんだか親近感が湧いたような気がする。それから、「サーカス」という場から抜けて自由になっても、社会や周囲の者たちに拘束されて、本当の自由は全く得られていないといった印象を持った。「わたし」がひねって書いた作品の中でだけ、彼女は自由なのではないかと思った。

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2012年06月13日

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これもくま。くまづいている。装丁がかっこいい。
3本収められた中編のうち、前2作はすこし難解なのだけど、最後の「北極を想う日」がとてもいい。
クヌートがかわいくてしかたがない。我々は指延長類である。
でも読後感は、ひっそりと静かで寂しい。

ところでわたしはいつも文章を読むときは脳内で音声再生されているのだけど、この本はそれがすごく難しかった。
村上春樹の小説を読むときのような、一度外国語で書いたものを日本語に翻訳したような印象ともすこし違う。
文章から、国籍のにおいがしない。
あるいは、男性の声、女性の声、どちらとも断じることができない。
文章から、性別の声がしない。
そして主体は熊である。熊が語る。
文章から、種族すらもすっぽりと抜け落ちている。
あらゆる境界がゆるやかに溶解しているのだ。
すごくすごく、不思議な、はじめての読書体験だった。
これだから、読むことはやめられない。

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2012年05月25日

Posted by ブクログ

内容はよく分かんなかった^^;
けど不思議な雰囲気の話だった。描写が独特で綺麗だし、まるで本当にクマの気持ちが解るみたいだった。

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2012年03月04日

Posted by ブクログ

わたし、と話している人が、時々変わっているけど、あんまり、気にならずに読み進めいける。で、今誰が話してるんだっけ?と思ったり。滑らかな語り口が、気持ちいい。

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2012年03月03日

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