【感想・ネタバレ】江戸衣装図絵 武士と町人のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

・菊地ひと美「江戸衣装図絵」(ちくま文庫)は「武士と町人」「奥方と町娘たち」の2巻からなる。つまり男女別であるが、ごく一部の色名や小袖については共通の内容となつてゐる。男子の最初には「衣服の歴史」があり、ここで江戸以前の衣服の歴史がごく簡単に述べられてゐる。貫頭衣以前の獣衣の男女の絵がある。「古代は狩猟や漁労の生活で、縄文時代には、上半身の衣や、下半身の腰を覆うものがみられます。弥生時代の男子は横幅の布を肩掛けにして結び、女子は貫頭衣に麻の細い帯紐云々」(男12頁)と説明されてゐる。 弥生時代には布があつた。「大和朝廷の時代になると、大陸の北方民族の着衣が伝わり」(同前)、ここでやつと衣服らしくなる。この段階で「男子は筒袖で腰丈の短衣を用い、下はズボン姿。女子も同様で、下衣はスカート形でし た。」(同前)とあるから、下衣は現代人と同じやうなものであつたらしい。このことは様々な絵画やアニメでも見られるので一応は私も知つてゐるのだが、この差が曖昧になるのはいつかといふと、これはよく分からない。平安朝あたりまでは一般庶民の服装にはほとんど触れてゐない。上層階級が官服としては袴をはいてゐたすると、15頁の 「平安時代の民衆」の絵では、男は袴をはいてゐたらしいのに対し、女は袴をはいてゐないやうである。ただ、左下の収穫をしてゐるらしき女性は袴である。これも髪形から私が女と判断しただけだし、はくのは半ズボンのやうなものだから、これを袴と言ふのかどうかは分からない。しかし、これだけ見てゐると、一般庶民の服装は江戸とそれほ ど違はないのではと思つてしまふ。両者の違ひは、たぶん、普段着には男も袴をはかないといふことではないか。鎌倉時代の男は烏帽子、素襖の上着、括り袴が多かつた(男17頁)とか。ところが室町になると「烏帽子や袴を省 き、着物のみの姿も広が」(同前)つたといふから、この頃に庶民の男は普段着として袴をはかなくなつていつたらしい。安土桃山になると男は烏帽子をかぶらなくなり、女も「”小袖(上等な着物)のみで成立”した服装とな」(同前)り、より江戸に近づいていくのである。
・その江戸時代の衣装である。老若男女、貴賤上下の差がある。本書では初期(慶長〜貞享)、中期(元禄〜天明)、後期(寛政〜慶応)の3期に分けてある(男20頁)から、時代的な差異もある。この中で所謂江戸文化が成 立していくのだが、その後期に至る過程は、ごく大雑把に言へば、下げ髪から結ひ髪へ(女137頁)といふことに なる。単純から複雑へである。衣服、いや着物でも同じで、幅広で短かつたのが細身で丈長になる(男26頁)のである。ただし、幕府の改革のために、柄にはそれだけではない変化があつたらしい。歌舞伎の華美な衣装への言及は 全くないが、あれも役者の髪形同様に様々な制約の中でできたものであらう。劇場が近代的な光で明るくなる前は暗 かつた。その頃はどんな衣装であつたのか。浮世絵を見ると結構華美であつたりする。しかし、観客はさうはいかない。武家であれ、大店であれ、長屋であれ、それらの人々の着物は大体本書で分かる。江島生島はどんな着物で密会 をしたのか。舞台上の生島はいかに華美であらうとも、芝居を離れれば単なる役者である。上質の着物や小物を使つてゐたのかもしれない。それはどんなものであつたか。華美にもほどがあらう。本書を見ながらいろいろ想像してみる。ただ、冬の庶民は寒さに耐へるために重ね着をどのくらゐしてゐたのかなどといふことは書いてない。資料的裏付けが少ないのかもしれないが、この下層、最下層に弱いところが本書の残念な点であつた。

0
2022年01月29日

「雑学・エンタメ」ランキング