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Posted by ブクログ
自分の気持ちより周りの評価が気になる人、ちょっとしたことでイラつく人、極度の恥ずかしがり屋や嫉妬心が強い人など、生きづらさを抱える人や周囲を困らせる人の根底には、甘えの欲求への強すぎる渇望があるという。自分のことをよく知り自分をいたわることが、幸せに生きるコツだそうだ。様々な対人関係のトラブルに対処できる手がかりがたくさんあった。また読み返したい。
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タブル不倫の末に両者離婚して、めでたく再婚。
しかし、その後に待ち受けていたのは神経症的な人間同士の恐ろしい傷つけあいであった、、、
本編には何ら関係ないことをかいてしまったが、私がこの本を読み、今まで何だか生きずらいと感じたことや、冒頭で記した悪い行動について、何かおかしなことをしていると思った個々の点が、全て一つの線となった。
神経症な人間とは?その原因とは?どう対処すべきか?
そんなことがかかれている。
何か原因が分からないが何となく生きずらさを感じている人が読んでみる価値がある本。
神経症的な人に当てはまるなら自分を変えることができる大きなチャンス。
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人の心を見つめてきた学者である著者の救いを求める(自分で意識していなくても)人の心の動きや仕組みを解説した本書。
読み進めていくうちに、自分や周りにも当てはまることが書いてあり、自分は本当は辛かったんだと認められるようになる。
この本を読むと、悪魔を倒すには悪魔の名前を知ること。ということが思い出される。
またおそらくこの本で言われていることは机上の空論ではなく、身の回りで起きていることに当てはまることばかりのように思う。
本書の中には珠玉の言葉が多数書かれているが、自分が読んでいてこれが重要かなと思うのは以下の一言。
幼年期・少年期に親に甘える(気兼ねなく自分のわがままを通すこと、またそれができる安心感)が出来なかった人は、成年しても人に甘えたい願望を残したまま成長する。しかし本人はそれを否認したいため、それは他人に対する攻撃、依存、恩を売るなどの行為として表出する。この状況を変えるには、まず自分の中に甘えの欲求があることを認め、自分の中に客観的に自分を見て、受け入れてくれる自分を作ることが肝要。
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子供なのに、精神的には親の役割をしてきた人、親の機嫌を伺う必要があった人、親に気を使う必要があった人、家族の空気を読んで行動を選んでいた人、将来の設計図に幼少期早々から親の介護が含まれてしまった人、未来を思う時どうしても跡継ぎを気にしなくちゃいけなかった人、、、そんな人におすすめです。
人生設計の中に、親の安全を確保することの多くを取り込まなければならなかったとしたら、どうしてその子は将来を楽しいと思えるだろうか、と言う普通の疑問を自分自身に問うことを許すと、本当の意味で自身自身の人生設計に取り組めると思いました。
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なんでこの人はこんなに私のことがわかるんだろう……その通りです、私は甘えることを禁止されて生きていた。結果、いま人間関係がこわい、他人の好意がこわい。そして愛に飢えてる。これから自分で自分を大事にしよう。本当に。
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不安症なところ、人の好意を信じれないところ。当てはまっているところが多くあった。その原因をたどることで自分を見直すきっかけにもなったし、周囲の人の心理的背景を考えるきっかけにもなった。
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自分とは何だろう?自分の欲することは?
…、自分について真剣に考えるきっかえを与えてくれる本。
依存、甘え、人を愛する、または愛される能力について。
何かに迷った時に、読むと方向を示してくれる気がした一冊。
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人間の心の働きについてより深い理解を得ることができた。自分を大切にすることを十分に意識していた。だが、自分を守ることに対する心の砦が不十分で傷つけられるたびに心深く歪みを感じていた。
そんな中、この本に出会い、"自分が自分に対して優しい母親のようになる事"という言葉に、何か自分の中に小さな光るものを感じた。
わかっていたようで分かっていなかったと思う。
"自分が何を求めているか"を考えたときに、一番に頭に思い浮かぶ言葉は、信頼、安心感、力(権力)、メンターだと思った。
自分のことを今まで以上に大切に、そして自分が自分で私のことを傷つける人間から守っていきたいと思った。
また、自分に優しい人を自分の周りに置いておきたい。自分に優しい人と言うのは、自分に対して甘い人と言うことではなく、自分自身のことを大切にできる。故に、相手に対しても優しくあれる人という意味。
この本を読んで、1番の驚きと思ったのは、"他人が自分のためにならない時、他人を責めながら、自分が自分でないような不確かさを感じる"と言う言葉。
そのような時、心の中を占めているのは、私自身ではなく、支配的な私の父親。他人に対して不満になり、支配的になった時、私は私ではなく、私が恐れた父親に私はなっていたと言う部分。
自分がどこにもいなくなってしまっている状態、神様、不在状態のようなものが感覚的に同じなのだろうと思った。
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幼少期に親から愛情をもらえなかった人は悲しい。自分のことを愛していないから、その感情が投影されて他人を愛せない。他人を疑う、憎む。まず、自分には幼児的な甘えが満たされておらず、それを他人に求めてしまうということを認める。そして、そんな幼児的な自分を知り、自分を大切にしよう。
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読み終えた愛蔵版のほうが見つからなかったので、ここに登録。
自分の神経症のルーツと自分の愛し方を学べる本。
自分に当てはまりすぎて、しんどかった。
これから本気で自分を可愛がろうと思う。
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大人になってもず~っと心の中に「幼児性」が息を潜めていて、時折なにかの拍子にダダをこねて暴れ出す。「千と千尋の神隠し」に登場する大きな赤ちゃん「坊」みたいな、僕の中にも棲んでいる「大きな子供」の存在である。
この「大きな子供」という概念に初めて出会ったのは「成長マインドセット」という本だった。その後、心理学や仏教の知識を広げるにつれ、モヤモヤしたり、イライラしてたり、沸騰に達して怒ったりした後に自問すると、この「坊」の後ろ姿や暴れた痕跡、気配を感じられるようになってきた。
人生の長さだけ居座り続けている大きな子供。
だけに駄々をこねるとやっかいなのだ。
この「大きな子供」の存在感の大きさと、それがどれだけやっかいであるかを知りさえすれば、なだめる方法もあれやこれやと考え、試す努力を支払うようになる。
この本はその試行錯誤(あるいは「大きな子供」との付き合い方)の大変さを思い知ることができる。一読では僕にはカオスにしか思えない。いまのところ、マインドフルネスのスキルを高めて「坊」に注がれているネガティブなエネルギーを中断し、手放そうと試みるくらいしか思いつかないが、加藤諦三さんの本をもっと読んで理解を深めたいと思った。
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心理学の真理がある
心理学の内面を詳しく事細かに書いてあります。
なぜかイライラしたり、だるかったりするのは心理的にも理由があるのだと分かりました。
読んでいて共感できることが多く、題名どうり自分に気づくことができました。
毎日自分にやさしく、いたわってあげたいと思います。また、他人にもやさしくしたいと思います。
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読みやすくデザインされた絵図が多い自己啓発本よりもこっちをおすすめしたいです。読みづらいところはあるけど、表面的なところで終わってない。少なくとも私は、この本に人生を変えられてしまった気がしました。
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自分を知るために必要な本であった
まさに自分はこの愛情が足りていないと感じる
自分のことであっても、ここまで奥深い深層心理のようなものだと
正直わからない
ただそういうことも頭にいれておくと、生きやすくなったりするんでは
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自分の気持ちを偽る事、本当の自分を見失う事がこんなにも簡単に、親、家族から影響を受けて作られるのかと衝撃を受けた。自分は違うと思っていたが、まるで当てはまり、目を覆いたくなるほどだった。しかし、この本のおかげで本当の自分や、本当の自分の気持ちに少し気づいた気がする。忘れないように時々読む本にしたい。
Posted by ブクログ
甘えることはみっともないことと、生真面目な人は思っている。甘えの欲求が激しいにもかかわらず、甘えを自らに禁じて生真面目に振舞っている人間には、人間としての魅力が無いのである。
相手が常に自分の期待通り動くということを求めているのが甘えである。
日常生活で単純な事実を言うと、それを自分に対する攻撃と受け取る人は多い。単純な事実に触れること、あるいは単純な希望を述べること、それらのことがその人には文句と感じられる。
人は自分の自然の感情で生きることができれば、そう心の空虚さに苦しむこともないであろう。自然の感情で生きられず、作られた感情で生きるから、生きていることに意味を感じられなくなるのである。自分がどこで自然の感情を見失ってしまったか、反省してみることである。あなたは自分の自然な感情に罪悪感を持っている。だからつくられた感情を脱することができないのである。いろいろな領域で次々に何かを達成することで生きようとするよりも、自分の自然の感情と、何とか接触しようと心がけることであろう。
私は白昼夢によって自分の満たされない甘えの欲求を間接的に満たしているのだ、ということを理解した。私の心の底にある満たされない愛情欲求が、私をあのような白昼夢にひたらせているのだと分かってから、白昼夢に浸ることもなくなった。食欲や性欲がどうしようもなく肉体にあるように、心理的にはどうしようもなく甘えの欲求がある。
そこにいるがゆえに不満なのではなく、その人の心の中に問題があるがゆえに、どこにいたとしても不満になっている人はほっておくほうがよいと書いたが、困ったことに気持ちのうえではほっておけないというのが幼児性を残した大人である。自分の気持ちがそのようにして近くの他人に絡んでいってしまう人は、まず自らの幼児性を反省することである。自分の気持ちが相手に絡んでいってしまうことを思いやりというような言葉で正当化していると、いつになっても思いやりのある人間にはなれない。思いやりを持つためにはまず相手を理解しなければならないであろう。しかし自分の気持ちが相手に絡んでいくときは、決して相手を理解しようというのではなく、自分の思うように相手の気持ちを支配しようということにしか過ぎない。
怒ったら罰せられる、この感じ方によって生きることが地獄になってしまった神経症の人のなんと多いことか。
心に葛藤のある人は他人の心を理解できないということは大切な点である。心の葛藤のない素直な人は、他人の心を理解できるということでもある。他人の心を理解できるということが心の健康な証拠でもある。
他人があなたを好きになった時、あなたは欠点まで好きになったということではない。その他人にとって好きなあなたの嫌いな点にしかすぎない。
自分が心の底で自分に満足していないということに気がつき、自分が自分に満足できるようになれば、他人もまた欠点のある自分に満足しているということが自然と感じられるようになる。
たとえば子供をきれいな景色を見せにどこかへ連れて行ってあげる。これは子供に表現された直接の愛である。しかしこのとき子供は別にきれいな景色を見に行きたくないかもしれない。いや行きたくないというより、おもちゃで遊んでいたいかもしれないし、友達とピンポンをしていたいのかもしれない。そんな子供の心を無視して、連れて行ってやることもできる。そして自分は子供のことを考えてやる良い親だと思うこともできる。しかし、例えば子供が欲しがっているノートがあったとする。そのノートはなかなか普通の文房具店ではみつからない。もうメーカーで生産をやめてしまっている。でもたまたま子供がそれを欲しがっている。その時、そのノートをさがすことに、陰でどれだけ努力をするかということが間接的な愛の表現である。あそこの店にいったらあるかもしれない。もしかしたらあの人に聞いたらどこにあるかわかるかもしれない等、いろいろさがすことである
それを忙しい中でも忘れないということが間接的な愛情表現である。
他人に対する自分の態度、他人に対する自分の感じ方、自分に対する自分の感じ方を変えることができてはじめて、心理的離乳は完成したといえるのではなかろうか。そうなって初めて本当の自分になれたと言える。
いつも自分を守ることを考えていないと不安になってしまうので、ついつい防衛的になってしまうが、他人のことを考えれば、他人がそれほど自分にとって脅威にはなっていないことがよく分かるであろう。他人を自分にとって脅威にしてしまうのは、ほかならぬ自分の防衛的な心の姿勢なのである。他人に対する思いやりができてくれば、他人はそれほど自分を傷つけはしないし、他人は自分を傷つけるだけの力を持っていないということもわかってくる。他人は他人でしかないのである。他人に心を開くと、そのことが分かってくる。他人の行為を感じることができるというのは要求ではない。他人が他人の自発性において自分に好意を持っているということが感じられるということである。
心理的に成長するには好意が必要なのに、好意の必要な人が、他人の好意を感じることが難しいのである。心理的に成長した人は他人の好意を感じることができる。それだけにある人々にとっては大変難しい心理的成長が、別の人々にとっては気付かないうちに達成できてしまう事なのである。
愛情欲求が満たされていれば、他人から良く思ってもらうなどということはそれほど重要なことではない。よく思ってもらえればもらえたで、それはありがとうということであって、それ以上の価値は自分にはない。
まず自分を大切にすることを心掛けることである。自分を大切にするということは、自分にやさしくするということである。自分が自分に対してやさしい母親のようになることである。自分が自分の理解者であり、自分の保護者になろうとすることである。決して自分に対して批判的になってはいけない。
他人の期待にこたえられないのが怖くてあなたは勤勉に頑張っている。それが何よりもあなたが愛情欲求不満である証拠だ。愛情欲求不満でない人も、他人の期待に応えようと勤勉に頑張る時がある。しかしそれは期待に応えられないことが怖いからではない。それはあくまで他人への愛情である。
情緒的に成熟した人は、ある人が自分に優しくするという行動をとった時それを許す(ここ一番重要!)
救ってくれと叫んでいる者は、どう生きてよいかわからないのである。「これ」で生きていけるという何かを求めているのである。心の満たされた者にとっては、「これ」で生きていけるというような「これ」を必要とはしない。
この本を読んで、自分の何が満たされていなかったのかということに気付いてくれればそれは十分である。
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いつの頃からか素直な気持ちを殺して心と頭がバラバラになる。口から出る言葉はどれとも違ったもの。
そんな深層心理がなぜ起こるのかを紐解く加藤諦三先生の著者。
目を背けたくなるような現実、不思議な感覚がなんで起こるのか、淡々と諭すような本でした。
子供の頃には戻れないとしても自分の根底を知ることでコントロールできるものを一つ二つ見つけて足掛かりにしたい。
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旅行に行って自分の思い通りにならなく、癇癪を起す父親。大人になってうまく甘えられないということだと記述があり、確かに、目からうろこでありました。
うまく甘えられるようになるといいんだなと。
内容自体はなんとなく理解できるのですが、読んでいてなぜか疲れる文章でした。ビシビシ、指摘(説教?)しているような文章に感じてしまった。
あと、幼少期の親との関係にすべて結びついてしまうところも、あまり実感はなかった。
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読んでいて、自分の心の奥底を切り開かれるようなつらさと、その先にある深層を見せられるような納得感がありました。自分の長く家族との確執・わだかまりを持っていて、この本を読んで自分の状態が少しわかった気がしました。
まだまだ克服までは行きませんが、どうしたらいいのか?どうしたいのか?という指針にはなりそうです。
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↓の本と同じく先に読んでしまいました。
これも、やっぱり自分のことが書かれてるとしか思えない内容でした。
そして、自分のことだけじゃなく、心理的に大人になりきれてる人はこうなんだ…こう考えること・感じることができるんだー…と、少し理解できるようになった気がした一冊でした。
自分が何かに怒ってしまった時に、本当に怒るようなことなのか、本当はどうして怒ってしまっているのか、ちょっと冷静になって考えて見ようと思いました。