【感想・ネタバレ】雨の島のレビュー

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Posted by ブクログ

私が今まで読んできた小説とは違う、新しいもの、知らない感覚に触れた、という読後感があった。これは読書において私がとても大切にしていることだったのでとても嬉しかった。

この作品だけでなく過去のさまざまな作品も、自分の内部や世界を見つめるために実験的に書いているのかもしれない。著者の後記を読んでそう思った。
全てを理解することなんて到底できない「自然」という大きな存在だけれど、個人の物語の中にどうにか落とし込んだときに、彼の場合はこういう物語になるのだろう。表紙や挿絵の神秘的な雰囲気も作用して、読んで見て色んなことを感じ取ることができた、素晴らしい読書体験だった。

ネイチャーライティング(・フィクション)という分野を初めて読んだが、これは新しいブームが私の中で始まるかもしれない。

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2022年07月16日

Posted by ブクログ

『「経験の中にないんだ。 前に読んだ哲学書に書いてあった」 阿賢は言った。 「人間は自分の経験の中でしか生きられない。でも今朝の俺たちは自分の経験の中にはいない」 小鉄は自分には永遠に阿賢のようなことは言えないと思った』―『// // アイスシールドの森』

六つ(プロローグも数えれば七つ)の、バラバラだが緩やかに符牒を通して繋がり合う短篇に共通するのは、「クラウドの裂け目」と呼ばれるコンピュータ・ウィルスによる厄介な現象と、そのウィルスから届く鍵を使って、他人の、だが近しい人の、内面にも似たアーカイブを覗くことで振り回される主人公たち。豊かな(複雑で乱雑な)自然の営みの傍らで、空想科学小説に出て来るようなテクノロジー(その架空の技術が現実となる日もそう遠くないのかも知れない)が、登場人物たちの生活に深く関与している社会が描かれる。だがそれは、例えばスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のように乾いた情景ではなく、むしろリドリー・スコットの「ブレード・ランナー」に登場する世界のように湿っている(と書き記して思うのだが、その湿度の違いはアーサー・C・クラークのノベライズされた「2001年宇宙の旅」とフィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の間に明確に存在する訳でもないと思う)。湿った世界は有機物の存在臭を強く放つ。

そう、呉明益が好んで描く未来と過去がないまぜとなった世界では何故か雨がよく降る。ひょっとするとそれはギルガメシュ叙事詩にも登場する古代の洪水の物語と同じ高温多雨の世界が再び訪れ得るということの暗示なのか。地質学者はその洪水の記憶を約六千年前をピークとする温暖期(いわゆる縄文海進の時期)に起こった海水準の上昇期の多雨(とその結果として河川の氾濫)の記憶と結びつくものではないかと解釈してみせる。そんな暗示だとしてもそこに作家の単純な環境保護のメッセージが潜んでいる訳ではないとも思う。そのことを裏付けるような呉明益の環境問題に対する中立的とも言える立ち位置について「後記」の中で作家が言及するところがある。作家は自身の作品を「ネイチャーライティング」と位置付け『いわゆるネイチャーライティングが打ち出すのは、ノンフィクションの自然体験や環境倫理をめぐる思弁、さらに作者自身の感情と環境との相互の関わりだ』と結論する。そしてその特質を越える試みが自身の作品作りの芯にあると説明する。目に映る事象を小さな視野の中に収まる世界の事象として解釈し何らかの思弁を語ることはしたくないが、ではその方法はとなると難しい。この作家の書く物語の登場人物は自然の中でしなやかに生きる術に長けた人物が多いが、自然の変化を(あるいは自然のもたらす脅威を)あるがままに受け止める達観も持ち合わせている。この作家の立ち位置もそのようなものなのだろうか。

人類の活動が地球環境に影響を与えることはあるだろうけれど、だからと言って自然を全て制御可能な物理現象と考えることもまた傲慢だろう。オーストラリアのディンゴ、沖縄のマングース、人が浅知恵で自然の複雑系を理解したと思う時、必ず痛いしっぺ返しを喰らう。もちろんそれは、「複眼人」に登場する超越した存在が決して起きつつある事象に手を差し伸べないように、擬人化された「自然」という存在の示威行為の結果という意味ではない。自然とはそのように擬人化された個の存在ではなく、生息数も生存周期も異なる生命群が際限なく繰り返す生存競争。そこに確定的な因果律は存在せず、一過性の事象が積み重なるだけ。しかし、しばしば人は、それを俯瞰し切り取った静止画として見てしまう。もちろん、静止画の中に自然の本質は存在しない。

そんな「複眼人」に連なる系譜の作品である「雨の島」だが、六つの目の「サシバ、ベンガル虎および七人の少年少女」には「歩道橋の魔術師」や「自転車泥棒」にも登場する中華商場が登場する。そこのことから小説の舞台となる時代を推し量って何かを探ろうとするのも野暮な話だけれど、その描かれ方からすればこの物語の時代は現在と余り時間差がないことになる。一方で、前時代的な生活様式にキメラ状に溶け込むガジェットなどは、どんなものかの想像はつきつつも現物として存在しない。ひょっとすると、やはりこれはずっと先の未来の話で、ここで描かれた中華商場は取り壊された筈の建物群を仮想空間世界の中に再構築したもので、全ての登場人物もまたその空間に巣食うアバターに過ぎないのか。そんな妄想をふと読み取って見たくなる。そこまで空想を膨らませずとも、本書には少なからず謎が残る。例えば、プロローグに登場する胖胖[パンパン]は、叔父さんことサラッサの買った鷹なのか。そして六つの物語を書いたのは作家の妻を亡くした男ではないのか。七人の少年少女たちが各々どうやって三千元を稼いだのか。しかし、それらも所詮、互いに関わり合いながらも、どちらが原因でどちらが結果とは言えない、混ざり合った色からなる物語なのだということを深々[しんしん]と理解する。

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2022年05月24日

Posted by ブクログ

短編に出てくる人々はそれぞれに欠けているものを抱えているが、それは身体的なものだったり、家族だったり。物語を経て、その欠損は埋まっていく訳でもないのだが、筆者の描くそれぞれの答えは、自然や人間がその欠損に向き合い辿るひとつの姿だと思えた。

しかし、挿絵も作者、裏表紙の写真も作者撮影。どんだけ才能あるんだ…

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2022年02月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『伊与原新 + 恒川光太郎 = 呉明益:えっ、マジ!!』

ミミズ、野鳥、森、雲豹、クロマグロ、鷹などを題材としたネイチャーライティング小説。自然科学に根ざした細かな描写と独特な世界観は、まるで、台湾版 伊与原新+恒川光太郎 かと思いました!

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2021年12月26日

Posted by ブクログ

自然や生き物に触れたとき、心が沸き立つ感覚がある。
“Sense of Wonder”

今振り返れば、あの時の経験が自分をこの道に進ませた、自分をまた生きることに戻らせた、そう感じる瞬間と、様々な物語が出会い、入り組み、紡がれる短編6編。

コーマックマッカーシーから言葉を一部引用した著者曰く、“すべてはいたましさから生まれ出るが冷え切った灰ではない”。

この本の一編一編はまるで慈雨のよう、読み終えたとき心に何かが湧き上がる。そんな日はちょうど雨でした。

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2021年11月09日

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明晰で硬質な言葉によって書き留められた自然描写のなんと素晴らしいことだろう。
自然は、うちに秘めた合理性と、完璧な精緻さによって僕等をいつだって驚嘆させる。

それを柔らかく滲ませて、水彩絵の具を何層も重ねていったかのように透かして見える奥行きを与えるのは、ひっそりと降る雨ではない。

季節や天候の移ろいに、動植物の営みに、人は意味や徴しを見いだし、記憶や自己を重ねてゆく。つまりそれは、物語りを付与するということ。
そうやって人は、目に映るあるがままの自然から、己のためだけに差し出された特別な美しさを受け取ることになるのだ。

それはまた、己が歩む道標を見つけるということ。
泥土を喰む雨虫に導かれて辿りついた西の果ての地で、ルーツである台湾の山々に想いを馳せる。
かつては唯一の言葉だった鳥のさえずりを、聴力を失ったのちの世界で手話という新しく獲得した言語 ー それは発せられることも書かれることもない詩のようだ ー で伝える。
欠落を抱えて人々は自然の中へと深く足を踏み入れてゆく。揺れる巨樹の樹冠。雲海が湧き上がる高山。煌めく陽光が瞬く間に暴風雨へと変わる海洋。
“昨日は過ぎ去ったが、明日がくるとは限らない”場所で、失ったものを探し求めるかのように。

“クラウドの裂け目”が本当に意味するところは、僕にはわからない。美しくあれ醜くあれ、受け取ったkeyで開けられるのは他者の記憶であり、他者の目に映った自分だ。
keyは旅の始まりの扉を開けるに過ぎない。扉を抜けて人は、自然の中に自分自身で己を見つけるのだろう。

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2024年05月18日

Posted by ブクログ

草や木、海や山、鳥や獣や昆虫に混じって、人が物語を奏でる。
背景ではなく物語のkeyとして……
六つの中短編と挿し絵が一冊の物語としてまとまる。
これは、「ネイチャーライディング(自然書写)とフィクションの融合」だそうです。

でてくる自然は台湾由来のものを示すが、登場人物の名前は一様に漢字表記ではない。これも台湾という土地の歴史が物語ること。

少し現実に引き戻される事柄として「クラウドの裂け目」「鍵」がどの物語にも登場する。
主人公をもう一つ不思議な事へ誘うkeyとなる。
……正直、なんだか安易で、よくわからないかな〜

お気に入りの作者だけに、やや不満。

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2024年02月07日

Posted by ブクログ

雨が降らなくなってしまったために、餌となる虫を食べられなくなってしまった知り合いの鳥「胖胖」のために語った、とされる六つの物語が入った長編小説。
人とうまくコミュニケーションを取れないミミズ研究者と鳥類行動学者。恋人を失ったツリークライマーと、無差別殺人で妻を失った弁護士。絶滅したクロマグロを探す男と、囚われた虎を解放しようとした青年。それぞれの物語では、対になる似た傷を負った人たちの傷が癒されるまでが語られる。

プロローグでは、雨が多かった島に、雨が降らなくなってしまったことで、畑が死にかけていることが語られる。そのため、この物語において雨は、命を救う恵みの雨として描かれる。
「雲は高度二千メートルに」では、妻を失った弁護士が、妻の書きかけた小説の続きを自ら書くことを決意する。「それは雲の上の雨で、雨の上の雨、往時が化した雨だった」という小説の終わりは、どことなく未来へと繋がる明るさを持っていて、好きだった。

一番印象的だったのは「アイスシールドの森」だった。ツリークライマーだった恋人が、木から転落したことで植物人間になってしまったことに負い目を感じる主人公は、高所恐怖症でありながら、自分も恋人と同じツリークライマーとなる。植物人間となってしまった恋人を、再び木の上に吊り上げ、一緒に過ごすラストが、とても印象的だった。

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2023年09月25日

Posted by ブクログ

「自転車泥棒」「歩道橋の魔術師」を読んで惹き付けられた呉明益
6の中短編はどれも愛するひととの関わりを自然の中でふたたび探ろうとする
登場人物たちは幸福そうではないが幸福感を得ている
この小説はネイチャーライティングというらしい
メルヴィルの「白鯨」が引用されてる
著者はあとがきで「小説家の責任は…生命の本質的な意義がどこにあるかという点から消滅を考えることにあると思う。」と書いている
台湾の自然に深く興味をひかれた
引用される作品、バルザック「あら皮」コーマック・マッカーシー「ザ ロード」も読みたい

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2022年06月20日

Posted by ブクログ

近未来の台湾。ミミズ研究に没頭する女、鳥の生態を手話で表そうとする男、恋人がフィールドワーク中の事故で植物状態になった女、亡き妻が書き残した小説を読んでウンピョウに取り憑かれた男など、マジョリティの世界から逸れざるをえなかった人たちが、オブセッションに駆られて山や海にのめりこんでいく。未来のフィールドワークのありようを描いた連作短篇集。


今年は英米以外の海外文学を積極的に読もうと意気込んで手に取った本作が早速の当たり!著者はもともと蝶に関するネイチャーライティングで名を知られ、その後フィクションを発表するようになったという経歴の持ち主。そこから期待される〈自然と文明〉というテーマと、随想と虚構のあわいに揺れる文章のスタイルがドンピシャで好みだった。本人の手による台湾固有種の博物画も各話の扉に挿し込まれ、ユーディット・シャランスキー『失われたいくつかの物の目録』にコンセプトは近い。
だが、シャランスキーの本が幻想怪奇小説の作風で過去を向いているのに対し、本作はSF的な想像力を働かせて未来を語る。繰り返しでてくるコンピュータウイルス〈クラウドの裂け目〉をはじめとして、トラウマを抱えた人の記憶を別の物語に置き換えて癒すカプセル型の装置だとか、安全対策バッチリだけど傍目には本物そっくりに見えるクライミング用人工林など、世界をひっくり返すような大きいガジェットではないものの近未来の暮らしに根付いたテクノロジーのあり方が描かれている。
マグロが絶滅危惧種になった世界でクロマグロを探す旅に出る「とこしえに受胎する女性」は、日本人には耳の痛い話もありつつ、五十嵐大介漫画のノベライズかと思うような雄大な航海のさなかに突如〈アンドロイドクロマグロ〉という不穏な存在が現れ、海と人類の未来を思って呆然とするしかないラストが印象的だ。
また「人はいかにして言語を学ぶか」は、手話のことばが生まれでる瞬間を描く。鳥の鳴き声や生態から、既存の("聞こえる人たち"の)ことばに拠らない新たな呼び名を考案し、ある鳥の種類を示すものとして「水草が渓流で緩やかに揺れている」という手話が誕生する。この物語は手話が詩のことばになる瞬間のこと、そしてことばは元々すべて詩だったのだということを教えてくれる。詩は人の心を表現するためのテクノロジーなのだ。
そして、親が遺したものと向き合う、というのも本作のテーマの一つだと思う。〈クラウドの裂け目〉によって通底するのは親と子の物語。だが、各話の主人公たちは作中時間で誰も子をなしていない。生殖について考えることが精神的苦痛になる人だろうと思う人もいる。彼ら/彼女らの姿は希少になってしまった生き物たちと重ね合わされてもいるんだろうか。アンドロイドクロマグロのように、外見はそっくりでも中身は全く異なるシステムによって殖えていくようになるのだろうか。最後に置かれた「サシバ、ベンガル虎および七人の少年少女」は収録されたなかで唯一過去を向いたノスタルジックな作品だが、後味は苦い。
読み味はまったく異なるのだが、人との関わりではなく自然との交わりに取り憑かれていく人びとを描いた点で古川日出男『ロックンロール七部作』に近しいものを感じた。他にも管啓次郎のエッセイや、ネイチャーライターであるロバート・マクファーレンの『アンダーランド』で学んだ〈ソラノスタルジア〉という概念のこと、人の記憶とテクノロジーの関係を描いたジョン・クロウリーの短篇「雪」も思いだした。
ただ、上に挙げたどの作品よりも本作はわざとらしさがなく穏やかで、近未来のテクノロジーも主人公たちの生活に自然に馴染んでいる。まるでこの小説自体が〈クラウドの裂け目〉を通って近未来から現在へ送られてきた手記であるかのように。その静けさが心落ち着くようでもあり、慌てたところでもう取り返しはつかないと言われているようでもある。

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2022年01月14日

Posted by ブクログ

ネイチャーライティング、という分野があるらしい。初めて知った初めての作家、呉明益。
科学、自然、森。成長、恋、後悔、別れ。
美しい景色が眼前に浮かぶような筆致。
そして美しい物語。
深い原生林を漂うような感覚で読んだ。
口絵もすばらしい。

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2021年11月23日

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