【感想・ネタバレ】強迫症を治す 不安とこだわりからの解放のレビュー

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Posted by ブクログ

構成がすごく良くて、内容もわかりやすい。後書を読んで、専門家だけに書かれたものでないということで、納得。
自閉症の人の行動を、強迫症という面から考えてみることも、よい視点だなって思った。

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2023年08月29日

Posted by ブクログ

強迫症。50~100人にひとりは発症する、ごく一般的な病気だそうです。男女差はありますが、多くは20歳までには発病し、そのうちの1/4は10歳までに発病する。特徴は、強迫観念と強迫行動。不安や落ち着きのなさのような「何か」が意識に強く迫り、思考を支配する。この思念を「強迫観念」といい、不安や落ち着きのない感じを解消しようという行動が「強迫行動」です。ただ、正常な心理にも不安や強迫はあり、どこで病気と線引きをするかというポイントはあります。

主に強迫には3種類あります。
確認系:カギの確認やコンセントの隙間がないかの確認。(うちの親父の場合は加えて、蛇口がしまっているか、トイレの照明が消えているかなどがある)
汚染/洗浄系:手を洗うのがやめられない。
ピッタリ系:書棚の本の高さが揃っていないと何時間もかけて並べ直す。
(僕の親父は、強弱はあれども、これら三つすべてが当てはまっていました。)

治療は、うつ病に使う薬を用いる薬剤療法と、薬剤によって不安が収まってきてから働きかける認知行動療法の二本柱になります。

本書は、強迫症の疾患概念からはじまり、精神病理へと続き、治療戦略をへて、実際の強迫症例に立ち入っていきます。そして、終盤に強迫症の背景としてどのようにこの病気は分類されるに至ってきたかなどを解説し、患者と家族への(それまでのロジカルな指南とは異なり)精神論的な構えからの指南で終わります。

強迫症の患者は、強迫観念を正当化するために、いろいろ理屈をこねるのが特徴でもあります。また、家族や周囲を「巻き込む」のがこの病気の困ったところの大きなひとつでもあります。

巻き込みのパターンはこうです。
保証の要求:「大丈夫かな?」と訊いたりして保証を求める。
行為の強要:他人にも清潔を強要するなど、自分のルールに従わせる。
行為の代行:カギの確認などの強迫行為を自分の代わりにやらせる。
これらにはキリがなく、周囲は時間もエネルギーも無駄に使わせられてしまいます。そしていつかは破綻して、患者自身は絶望を感じることになる。それどころか、まず巻き込みに家族が従うと、患者本人の強迫症が強くなっていきます。

醜形恐怖症、ためこみ症、抜毛症、皮膚むしり症、そして、チック症、トゥレット症、不安症、社交不安症、パニック症、広場恐怖症、全般不安症、うつ病、自閉スペクトラム症、などが関連した疾患や合併することのある疾患でした。

そのなかで、たとえばチック症。肩を回すなど、どうしてもやらずにいては気持ちが悪いためにする動作がある症状です。うちの親父の場合、ぎゃーぎゃーと声を出して何度も痰を吐く、というのがそれにあたるのではないか、と僕は疑いの気持ちをもちました。

また、社交不安症。人前で話をする、歌う、会食するなど、他人から注視されるような社交的場面に著しい不安を感じるという症候群。「他人から否定的な評価を受けることや恥をかくこと」への恐れがあり、回避することで余計に不安が高まっていく悪循環が特徴だとありました。僕にはこれがけっこうあるほうです。結婚式で歌ったことはあるけれど、二度とやりたくないくらいだし、緊張感がすごかった。

それと、強迫症患者は例外なく努力家で、努力家の人がなる病気だとありました。ここはたとえばサイコパスと見分けるポイントです。強迫症で暴力をふるう場合はありますが、サイコパスじゃないだろうかとそのとき思ってしまうことがあると思います。しかし、サイコパスはほぼ努力をしません。これは『良心をもたない人たち』との照らし合わせの知識でした。

規律に則った生活に追い立てられることが、不安の入り込む隙間をなくす効果がある。強迫症患者には、そのような生活があっていたりするそうです。また、ストレスコントロールも大切で、ストレスによる精神的疲労は不安を増大させ、増大した不安はストレスを生む。もっとも優先すべきは睡眠。睡眠不足が、不安の悪化や洞察の不良化(自身の症状について客観的に把握できなくなること)をもたらします。

そして、「二分思考」もでてきました。
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二分思考。0か100かで考える。そこにグラデーションや割合は認めず、白か黒かの完璧性にこだわる。たとえば、「直ちに健康へ影響はない」「ほとんど感染性はない」などは、まったくの白ではないので黒と同じだと考える思考。 (p142)
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これは、こういう二分思考を強いる会社も多くあると思うんですよ。監査でひっかかるじゃないか、とかって。責任の所在をはっきりさせるという名目で、強迫症的な思考を強要されることってあります。

あと、これですね。以下の一文に「そうなんだよ……」と肩の力が抜けたのです。
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強迫症に支配された患者や家族は、喩えるなら暗い森の迷子のようでもあります。(p284)
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本書を読むと、やっぱりうちの親父は正真正銘の強迫症だとわかりました。僕はずいぶん巻き込まれているし、強迫観念はルール化されて家庭内の文化と化している部分が少なからずあるように感じますし、そのあたりの僕はがんじがらめにされていて、生活がデフォルトで疲労のかさむものとなっているみたいです。そういった立場から、気になったたくさんの中身から、ここは書き留めないとと思った内容を抜き出して終わりにします。

患者本人があたかも王様のように君臨し、家族を「巻き込み」つつ意のままにコントロールしているケースが少なからずあるということです。この場合、患者本人の苦労は少ない。

なぜ家族がそこまで言いなりになって(されて)本人を支えてしまうのか。理由は二つ。患者本人が強迫症状に苦しんでいるのは、自分たちが何か失敗してしまったからではないかと患者を不憫にそして自責の念を感じるがため、よかれと思って本人の生活を支えてしまう。もうひとつは恐怖。患者の言うことを聞かないと、嫌がらせをされたり暴力を受けたりするからです。渋々言うことを聞かされる。しかし、この構造を維持することは、患者本人のためにはならない。自分が犠牲となって患者本人に快適に過ごしてもらうことではなく、あくまで治療に持っていくことが目標じゃないといけない。

また、大切なところですが、完璧主義などは強迫症の症状であって本人の性格ではないことをしっかりわかっておくべきだとありました。これを性格のせいにしてしまうのは、医師であっても陥りやすい罠だそうです。

というところでしたが、新書でありながら内容が濃くて論理的に整理されているし、かつ文体も平易で意欲的に読ませるものがあります。良書です。2021年に出たばかりですが、買って読んでほんとうによかったです。何もてがかりがなく強迫症の父親と付き合う、それも、「強迫症なのだろうか」とはっきりせずに付き合うのはほんとうに苦労するからです。まあ、うちは母親の介護も重なっていますから今後も苦労は尽きないでしょうが、それでも、なにかしら地図のようなものを手に入れることができたような感覚があります。

著者の方々、グッジョブです。読んで感謝の気持ちでいっぱいです。

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2022年11月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

本書の「強迫症」とは、以前「強迫性障害」と呼ばれていたが、現在はこの呼称で整理されている。メディカルノートというサイトで、著者の松永寿人氏が行っている解説では、次のように書かれている。

「アメリカ精神医学会の最新の診断基準よれば、次のような場合を強迫性障害と診断するとしています。

・強迫観念または強迫行為もしくはその両方が存在する

・不適切な強迫観念を和らげるために強迫行為をしようと試みる

・強迫行為は状況に対して現実的・有効的でなく明らかに過剰なものである

・強迫観念や強迫行為のために時間を浪費し、社会生活や日常生活に支障をきたしている

本書のもう一人の著者・亀井士郎氏は精神科医だが、自らが精神科医になってしばらくしてこの強迫症となり、本書の帯に書かれていた表現を借りれば「不安の炎に支配された地獄の日々」を送ることとなった。

そしてその治療のため亀井氏の主治医であったのが、松永寿人氏である。亀井氏は、松永氏の治療により、その地獄の日々から復活を遂げたのである。

いわば本書は、患者と医師とがタッグを組んで戦った成功体験記であり、それを患者の視点と医師の視点の両方から記した共同作品なのである。

その苦しみを自ら体験し、そこから脱出することができた亀井氏は、同じ苦しみと戦っている人たちを救いたいという気持ちが強く、また精神科医でもある亀井氏は、この病気を研究対象としても強い思いを持っている。彼は本書のどこかで、この病気に対する復讐心をもやしているとさえ言っていた。

そうであるだけに、執筆内容に誠実さが感じられ、なおかつ実践的な内容となっている。

本書での治療のアプローチは、認知行動療法(CBT:Cognitive Behavioral Therapy)である。

自分が本書に興味をもったのは、同じ病で療養中の家族がいるからであるが、自身の家族はこのアプローチではなくユング派の心理療法によるものである。

アプローチの違いはあるものの、例えば病の症状などの記述は、まったく目の当たりにしている現象、思い当たる現象が克明に記載されているのであり、本書の記述内容の信ぴょう性の高さを物語っている。従って、ここで扱われているCBTは、この病を克服できる治療法としても有効であると信じることができる。

本書では、心理療法については触れられていないが、本書の治療法(CBT)が、脳科学的なアプローチであるのに対し、心理療法はまさに心理的なアプローチである。頭の病ととらえるか心の病ととらえるかという観点の違いなのかもしれない。

個人的な見解としては、CBT(認知行動療法)が現象面に対する治療であるのに対し、心理療法は原因にまで遡って行う治療法であるように思う。

CBT(認知行動療法)は、認知の歪みや行動の異常に対する治療であるが、なぜその認知の歪みが生じ行動異常が発生しているかの追究は行わないのに対し、認知療法はそこに影響を及ぼす心の傷の修復にまで焦点を当てているように思う。より根本的なのは心理療法であると思う。

しかしながら、その認知の部分(強迫観念)とか、その行動の部分(強迫行為)の症状に強烈な苦痛を伴うのであり、そこからの脱出が極めて困難な病であるのだから、それをCBT(認知行動療法)により克服するということは、まさに地獄から救出することであると言える。

第七章には「患者と家族のための指南」というページが設けられており、家族としてのかかわり方が記載されているが、その内容は治療のアプローチがどのようなものであれ、家族にとって非常に有効な情報が記されていると思う。

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2021年11月10日

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