海音寺潮五郎のレビュー一覧

  • 加藤清正(下)
    地方でも中央でもうまいことやってのけた人で人格も橋本市長なんかよりずっと出来ていたらしい。あくまで小説の話。
  • 新装版 孫子(上)
    孫子の兵法で有名な孫武を描いた一冊。一介の軍略家がどうやって呉を代表する大軍師まで上り詰めたかが記されている。おなじみの呉王の愛妾を軍事訓練で処刑して、軍事においては国王の命令に背かなければいけない時もあると、軍規の絶対性を説くエピソードもあった。特に、呉子杵との身の振り方のコントラストも痛烈だった...続きを読む
  • 新装版 孫子(下)
    今度は孫武の子孫、孫賓の物語。未来を嘱望されていた孫賓が友人であった法健(魏)に嵌められてしまい、足を失い、額に入れ墨を入れられ幽閉されてしまう。孫賓は自分の不明を責め、法健に復讐を誓い、脱出して斉の軍師となって追い詰めていく。ある意味、復讐活劇。もう一つは、復讐活劇の中に孫賓と紅奴の恋愛もちりばめ...続きを読む
  • 加藤清正(上)
    加藤清正の生涯を綴った作品。清正の魅力が全面に出ている分、やや美化されすぎなのではと思うところも少々あり。
  • 加藤清正(下)
     一体、名君加藤清正はどうできあがったのか。これが後半の読みどころだ。

     質実剛健にして誠実無比ということはすごく伝わってきた。さらに南無妙法蓮華経を唱える宗教心が清正を律している。それがそのまま民を慈しむことに繋がり豊臣家を安泰ならしむよう誠実に徳川家に向かい合う姿勢にも繋がっている。

     関ヶ...続きを読む
  • 加藤清正(上)
     蒙古来たる、戦国風流武士を読んでいる。3冊目。豊富な資料の読み込みと著者の史観がはっきりしているおかげで清正像が非常に明確になっている。

     前半の本書は少年時代から朝鮮出兵までであるがちょうど秀吉に可愛がられている時期にあたり秀吉の人柄が主に描かれている。清正が如何に秀吉に影響を受けていたかを丁...続きを読む
  • 天と地と(五)
    京で将軍義輝に会い、朝廷から従四位下近衛少将に任ぜられて春日山に帰国した景虎は、翌永禄3年(1560)7月、房州の里見氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の大軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固...続きを読む
  • 天と地と(四)
    天文22年(1553)、長尾晴景が府中で病死した。その葬儀を済ませた景虎に、信州からもどった諜者が、武田晴信の北信進攻を知らせた。そして8月、景虎は柿崎和泉守を主将とする軍を川中島に出動させたが、晴信の攻撃でさんざんに撃破された。戦さを始めて、初の不覚だった。憤りと恥辱に体を火のようにさせながら、景...続きを読む
  • 天と地と(二)
    天文12年(1543)、長尾晴景の家老昭田常陸介は三条の長尾俊景に内通、晴景に反旗をひるがえし、14歳の景虎は春日山城での防戦に初陣を飾った。そして、城を脱出して身を寄せた琵琶島の宇佐美定行の許で、その娘乃美を知った。翌年、景虎は近国の形勢視察のため旅に出、甲州御坂峠で、狩装束で馬をうたせるりりしい...続きを読む
  • 天と地と(三)
    晴景の女藤紫の弟源三郎と、新発田城主尾張守長敦の内室が不義を犯し、長敦が晴景に背いて景虎に帰服を申し出たことから、兄弟の仲はいちだんと悪化していた。景虎はついに兄との戦いを決意、その軍を破り、兄に代って春日山に入城、天文18年(1549)、20歳で長尾家当主となった。その年の5月、越後守護上杉定実が...続きを読む
  • 天と地と(一)
    生まれた赤ん坊は、血色のよい肌と、輝きの強い眼を持つ男の子で、虎千代と名づけられた。のちの謙信である。虎千代は、父に疎んじられる不満を幼い胸に抱きつつ、百姓出の娘松江、忠臣金津新兵衛らに守られて育ち、天文5年(1536)元服、喜平二景虎と名乗った。越中・越後の争乱は、絶え間無く、やがて父為景は、越中...続きを読む
  • 加藤清正(上)
    読みやすく、清正の描写も只管に律義者、気宇も広く、好感が持てます。この小説では小西と最初は仲悪くなく、朝鮮出兵で一気に険悪に(笑)後半になるにつれ、処々で筆者の個人的見解・批評が増え、小説らしさがやや薄れているのが残念かもしれないです。
  • 加藤清正(上)
    全2巻。

    海音寺先生の加藤清正。
    やっぱ九州だし凄いんだろうと。
    期待して読んだものの。

    や。
    いろいろ正しいと思うんす。
    へーってなるし。
    読みやすいし。
    男っぽいし。

    ただ。
    やっぱ後期は好みじゃない。
    海音寺先生がしゃべってんだもの。

    ただ清政は好き。
    もっとお話っぽいので読みたかった...続きを読む
  • 加藤清正(上)
    人物伝のような感じ。できるだけ史実をもとに脚色を押さえた書き方は、加藤清正本人を知りたいと思って手に取ったワタシにはちょうど良かったです。朝鮮出兵のくだりは「島津奔る」と併せて読むと良いかと。熊本城を見に行きたくなりました。
  • 加藤清正(下)
    とても理性的で、感情の理由までも文章できちんと説明している。清正の本にしては小西がマシでよかったです(笑)清正は…もっと人間らしく書いてくれたらさらに好感持てたかな。素敵なんだけど、あまりに良い人で。彼と仲良しな正則と幸長がお気に入り。
  • 新太閤記(一)
    全4巻。

    太閤記は後半が悲しい。
    これはその後半を勘弁してくれって作者が言っちゃう。
    気持ちが凄いわかるので、
    途中で終わってても割と好印象。

    というかうちに2セットあった。
    ショック。
  • 加藤清正(上)
    十五歳で木下藤吉郎(のちの秀吉)に仕えた虎之助(清正)は、股肱と頼む肉親の少い秀吉の重用に応えて、山崎、賎ケ嶽はじめ数々の合戦に名をあげ、ついに肥後の太守となった。小田原城を陥した秀吉を出迎えて、清正はともに故郷中村に錦を飾る。翌天正19年、太閣となった秀吉は朝鮮出兵を決意し、清正と小西行長に先鋒を...続きを読む
  • 加藤清正(下)
    秀吉の死によって朝鮮出兵は不毛のうちに終る。清正・行長の間に根深い対立を残しただけだった。武断派と文治派を代表するその対立は、関ヶ原の勝敗を分ける決め手ともなり、世は徳川氏のものとなった。慶長16年、家康と秀頼の対面が無事終るのを見届けた清正は領国熊本でその生を終える。大阪夏の陣はその僅か4年後だっ...続きを読む
  • 加藤清正(上)
    熊本に来たので,熊本の人が大好きな清正公について知りたいので,上下巻を古本屋で買い揃えて一気に読んだ.清正が生きた時代背景は把握できがあ,もう少し知りたいことが増えてしまった...
  • 新装版 孫子(上)

    怜悧で知悉な描き方

    海音寺先生の歴史ものは実に人物の人間性を現代人にも理解できるように描いており怜悧で知悉さを矯激に感じる。