【読書レビュー 580】
石森プロ『マンガ三国志Ⅹー諸葛孔明』飛鳥新社、2021年
ⅠとⅡとは別に諸葛亮を主人公に少し別の視点から描かれています。
以下は巻末の渡邊義浩氏(早稲田大学文学学術院教授)の解説の抜粋です。
正史『三国志』は非常に簡潔で有名な本で、全37万字。
約200年後に裴松之(
...続きを読むはいしょうし)という人が付けた注釈の書が36万字。
この注釈は異同のあるものはすべて集めるという方針だったので『三国志演義』の基になったような小説的な話をたくさん拾ってきている。
私は三国志学会という学会を主宰している。
専門家や大学院生が発表や報告をする会だが、一般の方にも門戸を開いている。
その会員の約7割が一般の方。
皆さん自分なりの『三国志』観を持っていて、史実の検証や考察などを楽しんでいる。
三国志学会はもちろん、日本の三国志ファンのレベルは異常なほど高く、早稲田の院生もタジタジという事もよくある。
私は諸葛孔明と呼ぶより、本名の諸葛亮という事がほとんど。
本名の亮は明らかという意味。
孔明は字(あざな)になるが、孔がベリーの意味、明は明らか。
つまり甚だ明らかという意味。
基本的に字は本名を忌む人たちが口にするもの。
名というものはその人とイコールなので、亡くなってしまったりした時に、それと同じ音や同じ名前を言われてしまうと、悲しくて子孫が生きていられないような気持ちになる。だから忌む。
それを言わないために、同じ意味を付けた別の名が字。
だから、礼のもの。
そこに子孫がいる訳でもなく、会った事もない人を字で呼ぶ必要性は本来ない。
ただ『三国志演義』では孔明を採用していて、それが定着したのだろう。
今では圧倒的に孔明が有名だが、それでも構わないだろう。
字をあえて呼ぶ事で敬意を示す事になるから、愛されてきた証拠と言えるだろう。
私自身の『三国志』との出会いは中学生。
それ以来、三国志に入れこんでいる。
推しは諸葛亮。
惹かれたのは彼が悲運の人だから。
マンガで五丈原(ごじょうげん)に星が落ちてくるシーンを中学生の時に読んでから、ずっと現地に行ってみたいと思っていた。
大人になって実際に五丈原に行ったら、落ちてきた星が残っている。
『晋書』という司馬懿(しばい)のほうの正史にも、諸葛亮の陣の五丈原に星が落ちたと書かれているが、実際に星は落ちている。
星占いだと陣に星が落ちるのは、主将を欠く、つまり一番上の人が死ぬ事を意味する。
その時に落ちた隕石だと書かれたものが普通に壁の一部に埋め込まれていて、しかも触る事ができる。
諸葛亮ファンにとっては、五丈原に行ってその隕石に触るのはたまらなく嬉しい。
曹操のお墓にも行った。
発掘した人と知り合いなので、曹操の頭蓋骨に触っていいと言われたが、これには触らなかった。
当然です、曹操は逆臣だから。
諸葛亮ファンとしての誇りです(笑)。
本書は、そんな諸葛亮を中心とする物語『三国志』の世界を堪能できると思う。
乱世をどうやって生きていくのか、自分が何を大事にして生きようとするのかという、一つの例を明確に示している。
もう古くなってしまった価値観かも知れないが、忠であったり義であったり、人のため、民のためであったり。
そういう思いを感じられると思う。
歴史物が流行るのは、いつの時代でも社会にビジョンがない時。
例えば100年後どうなっているのかという事の答えは、参考書にも教科書にも出てない。
だから、昔の出来事に学ばうとする。
もちろん、それに対する明確な答えが出ているわけではないが、問題に対して先人がどうもがき、対処したのかが見えてくる。
そこから方法論が学べる。
特に戦乱期に切り開いていった人たちの歴史、中でも『三国志』が今、読まれているのは、混沌とした時代を生き抜くための学びを得たいと考えるからだろう。