小泉義之のレビュー一覧
-
だいぶ訳文が硬い(あとがきにあるように意図的なもの)ので、一読で意味の取りにくいところがけっこうある。なんかメルロ=ポンティの訳書みたいだと思った。論の進め方も似ていてフランス哲学の伝統の源なんですね。この本の初読にはちょっと勧められないかなぁ。Posted by ブクログ
-
度肝を抜かれた。前半部が最高にいい。今年ベスト。「なんでいきるのか」「幸福になるために生きている」……これは非常に凡庸な問い(と答え)だ。
そこからの、小泉=レヴィナスのよる、問題構造の立て直し方がすごい。
目的を問わなくても、人は生きていける。息を吸って、食物を食べて、風景を眺めること…、我々はそ...続きを読むPosted by ブクログ -
構成は
・永井ー小泉の対談
・永井論考
・小泉論考
<文庫版書き下ろし>
・永井論考
・小泉論考
対談は恐ろしく噛み合ってない。
それは永井先生も論考内で「この対談に際して小泉氏は私の以前の著作をずいぶん勉強してこられたようで、氏の発言には私の用語がちりばめられている。しかし、その用法が私の理解...続きを読むPosted by ブクログ -
継続して読んでいる小泉義之さんの新作。歯に衣を着せない文体は私にとっては痛快で、危険な香りが漂い、好みだったりする。
今回は講義形式で書かれていて、かなり分かり易い。といっても、論じられている問いはかなり難しいことばかりだけど。Posted by ブクログ -
『ヨーロッパ思想入門』で震えた「他者」の概念にも触れられているが、本書の肝は「繁殖」の概念。適所で例示を示し、レヴィナス思想の核心に迫る試み。
気になった記述。
・働きながら生きている。ということは、なにものかを享受して生きていることになる。
・人生は無条件に幸福であり、「人生は人生への愛である」...続きを読むPosted by ブクログ -
[ 内容 ]
真の人生は、どんな人生なのか。
人間は、生まれて、生んで、死んでゆく。
この事実をどう受け止めるか。
レヴィナスと共に、人生の意味と人生の目的について根底から考え直す。
[ 目次 ]
はじめに 生きていてよいのか
第1章 自分のために生きる(こんなもののために生まれてきたんじゃない;...続きを読むPosted by ブクログ -
ドゥルーズの単著としては、彼の主著と呼ぶこともできる『差異と反復』の議論を紹介しつつ、ドゥルーズの思想を新しい「生命論」に根ざした自然哲学として読み解く試みがなされています。
普遍数学や分子生物学、スピノザ、ニーチェ、フーコーといった思想家たちや、画家のフランシス・ベーコンなどにかんする章がならん...続きを読むPosted by ブクログ -
テキストの印象は確かにドゥルーズに似ている。ドゥルーズのやったと著者が思うように様々なことについて書いている。が、ドゥルーズそもそもが具体的なことをいろいろと語っている人なのでそれをなぞるとドゥルーズに注目するピントはどんどんぼやけてくる。あくまでも著者のドゥルーズ理解に基づく個別の話で、ドゥルーズ...続きを読むPosted by ブクログ
-
永井の『これがニーチェだ』(講談社現代新書)の刊行を受けておこなわれた、当時話題になった「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問をめぐる対談と、永井と小泉それぞれの論考が収録されています。
個人的には、小泉の問題提起の鋭さに感銘を受けました。対談のなかで「生活」と「生」という対概念が提出されて...続きを読むPosted by ブクログ -
何のために生きるのかという問いは、他者のために生きると、また、他者のために生きることを通して人類のために生きると答えられた。そして、何のために生きるのかという問いを駆り立てる欲望は、そんな欲望に駆り立てられる子どもを生むことによって充たされる。ここにきて、何のために生きるのかという問いは、人間の繁殖...続きを読むPosted by ブクログ
-
いつもどおり(?)、永井さんはおもしろことを言う。小泉さんは、なんかあまりピンと来ないことも多かったけど、社会契約説の欺瞞性について、興味深いと思った。いづれにせよ、まだ頭の中でまとまってないので、また読み直したい。Posted by ブクログ
-
タイトルに対する答えは、「ない」。これが2人の意見である。本書を読んでいると、この問いを結論づけようとすること自体がナンセンスだと考えさせられる。重要なのは、その答えを模索する過程だというのが、著者両氏の主張の唯一の共通点ではないだろうか。本書の内容に共感したり疑問を持ったり考えていくことが意味を持...続きを読むPosted by ブクログ