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横浜の領事館で暮らす17歳のベン・アイザック。父を捨て、アメリカを捨て、新宿に向かう。1960年代末の街の喧騒を背景に、言葉、文化、制度の差を超え、人間が直接に向き合える場所を求めてさすらう柔らかな精神を描く野間文芸新人賞受賞の連作3篇。「日本人の血を一滴も持たない」アメリカ生まれの著者が、母語を離れ、日本語で書いた鮮烈なデビュー作。
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Posted by ブクログ
言語を獲得するというのがどういう事であるのか、日本語の話者であるというのがどんなに幸せな事なのかを知らしめられるような感じ。 この本を読むたびに、切実さを持って日本語を使おうと思う。(そして、切実さを持って他言語を獲得しようとも思うけれど、それは中々実現していない。)
文学作品をまともに読むなんて、相当久しぶりでした。 先輩に誘われて参加している読書会という名の飲み会で、課題図書になっていたのに、会には間に合わず。そんで、ようやく読み終えました。 アメリカ人が日本語で書いた小説ということで話題になったそうです。 日本人でも使わないような語彙も繰り出していて、日本文...続きを読む学が「開国」を迫られた、みたいな。 しかし、ことはそう単純ではないようで、主人公=作者はアジアでの生活が長いユダヤ系アメリカ人だと。日本人の血は入っていないけど、生粋?のヤンキーでもない。 こういうのを「ディアスポラ」とかいうんでしたかね? とにかく、どこに行っても居場所がない感じに溢れた小説です。
マイノリティの物語。そして、マジョリティとマイノリティそのものの物語。 おりちゃった、みんなといっしょにおりちゃった。 この一文はまるっきり初体験の告白だ。なんとも色っぽくて、赤面するような気持ちになった。
作者リービ英雄が自分を重ねて描いていると思われる17歳の主人公ベン・アイザックが、自分を囲う領事館の壁を越え、言葉の所有権を手放そうとしない「日本人」の壁を越えて、「しんじゅく」の街で日本語を獲得していく経験を、生き生きと、かつ細やかに綴った爽やかな印象の一冊。そのような経験をしてこそ、もう一つの言...続きを読む葉を手に入れることができるのだろう。それと対照的に、一つの言葉のなかに閉じ籠もる日本人の姿も興味深いが、吉本隆明を読んでいると思われる「ますむら」の描写がもう少し掘り下げられていれば、いっそう面白かったろう。今は失なわれた新宿の姿もここにはある。
ゴー・ホーム。国って何だろう、と思ってしまいました。日本という国は目に見えない・実在しない観念上のもので、でもわたしたちは「日本人」として保障され縛られて生きている。ヘレン・ケラーが「ウォーター」という言葉を知ったように日本語を知った主人公。鏡に映った自分を見て「外人だ」と思ってしまう主人公。じゃあ...続きを読む、「日本」はどこにあるんだろう。
日本人じゃないけど日本語で書くリービさん。ただそれだけのこと。 なのに、「日本語が普通」なんて偉そうに思ってしまう自分もいる。 ヘレン・ケラーの「ウォーター」がはじめて分かった時のように日本語が分かったり 鏡を見て「あ、日本人じゃない」と日本語で思ってしまう主人公のアメリカ人青年。 なんとなく、分...続きを読むかる気がしなくもない。 舞台が60年代でなく、今の時代だったらこの話はどう変わるのだろう。
日本人の血を一滴も持たない作者、リービ英雄が母語を離れ日本語で書いた小説。(リービ英雄は「万葉集」を英訳したことでも有名。)しかも「あとがき」によると、スタンフォード大学にいる時に書いたものだそう。 日本語以外を母語とする作家によって書かれた日本語の小説といえば、近年では第139回芥川賞を受賞し...続きを読むた楊逸なんかが思い起こされる。その時に、私はいくらかの驚きと違和感をもってその事実をうけとめた気がする。こうした違和感は、私が(自身の読書経験を通して)無意識のうちに、「日本の小説は日本語を母語とする作家によって書かれるもの」という先入観を抱いていたという事実を暴露するものであった。 母語以外で小説が書かれることもあるという事実を私はそれまで知らなかったわけではない。カフカやコンラッドなど、そうした例を4、5人簡単に列挙することが私にはできる。だが、私はそうした先例を知りながらも、自分の母語である日本語においても同様のことがおこりえることに随分と無自覚だったのだ。 ところで、楊逸はごくごく最近のことだが、リービ英雄の『星条旗の聞こえない部屋』が「群像」に発表されたのは1987年3月、今からちょうど23年前のことで、しかもこの1987年3月とは私がこの世に生を受けた時である。23年前にも私のような奇妙な違和感を抱いた人物はいくらか存在したであろうし、そうした衝撃はきっと私が感じたもの以上に激しいものだっただろう。当時の文学界の雰囲気をこの身で感じとることは不可能だが、「異形」のものとして受け取られたであろうことはなんとなく察しがつく。 さて、最後にこの本を読み終えた後の感想を簡単に。この本を読んでいて私はソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を想起した。「日本」というよく知る自分の母国の話を観て(読んで)いるにも関わらず、異国人の視点を通すことで、そうした自分のよく知る国のことが恐ろしく奇妙なものに感じられるという体験を、両者において同じように経験したというのがその理由。 是非、この本とあわせて、ソフィア・コッポラ監督の上記の映画も観ていただきたい。 ちなみに本書は野間文芸新人賞を受賞している。 いつものことながら、要領を得ないブックレビューでした。
日本人の血を一滴も持たない作者、リービ英雄が母語を離れ日本語で書いた小説。(リービ英雄は「万葉集」を英訳したことでも有名。)しかも「あとがき」によると、スタンフォード大学にいる時に書いたものだそう。 日本語以外を母語とする作家によって書かれた日本語の小説といえば、近年では第139回芥川賞を受賞し...続きを読むた楊逸なんかが思い起こされる。その時に、私はいくらかの驚きと違和感をもってその事実をうけとめた気がする。こうした違和感は、私が(自身の読書経験を通して)無意識のうちに、「日本の小説は日本語を母語とする作家によって書かれるもの」という先入観を抱いていたという事実を暴露するものであった。 母語以外で小説が書かれることもあるという事実を私はそれまで知らなかったわけではない。カフカやコンラッドなど、そうした例を4、5人簡単に列挙することが私にはできる。だが、私はそうした先例を知りながらも、自分の母語である日本語においても同様のことがおこりえることに随分と無自覚だったのだ。 ところで、楊逸はごくごく最近のことだが、リービ英雄の『星条旗の聞こえない部屋』が「群像」に発表されたのは1987年3月、今からちょうど23年前のことで、しかもこの1987年3月とは私がこの世に生を受けた時である。23年前にも私のような奇妙な違和感を抱いた人物はいくらか存在したであろうし、そうした衝撃はきっと私が感じたもの以上に激しいものだっただろう。当時の文学界の雰囲気をこの身で感じとることは不可能だが、「異形」のものとして受け取られたであろうことはなんとなく察しがつく。 さて、最後にこの本を読み終えた後の感想を簡単に。この本を読んでいて私はソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』を想起した。「日本」というよく知る自分の母国の話を観て(読んで)いるにも関わらず、異国人の視点を通すことで、そうした自分のよく知る国のことが恐ろしく奇妙なものに感じられるという体験を、両者において同じように経験したというのがその理由。 是非、この本とあわせて、ソフィア・コッポラ監督の上記の映画も観ていただきたい。 ちなみに本書は野間文芸新人賞を受賞している。
万葉集で興味をもったひと。 ひとを先に知っているので変な感じだった。こころの内側にもぐりこんでいるようだ。ドスたんのあとだからかなあ。ちょっと内側すぎる。近い近ーい!! 細い、白い、階段を駆け下りる。不安だなあ。しかしすごいひとだ〜。窓いっぱいに星条旗がはためいているイン横浜っていうのはすごいイメー...続きを読むジだ。 安藤さんかっこいい。異文化に取り込まれていくときの高揚感と、やっぱりだめだという孤独も。
7点 半分ポーランドの系で半分ユダヤ系で幼いころは中国住んでいて英語を話す主人公が帰る家」に選んだのはアメリカでもイスラエルでもなく日本でした。「帰る家」のない主人公が「家」にしようと決めた日本での言葉の壁・文化の壁や父親との壁を乗り越えようとする主人公に思わずエールを送りたくなるような作品です。
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