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縄文・弥生時代から現代まで、日本人はどんな食物を選び、社会システムに組み込み、料理や食の文化をかたちづくってきたのか。聖なるコメと忌避された肉など、制度や祭祀にかかわった食生活の歴史に迫る。
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Posted by ブクログ
日本食は米への執着と肉食(というか屠畜)の忌避から出来ている。こんだけ肉食うようになったのに枝肉すらグロいと言うのは日本人に染み付いた感覚なんだろう。日本食の通史としてとても楽しめた。日本人なら米をくえ!
旧石器時代から1990年代にかけての「食」の歴史を解説している。律令国家の成立以降食肉が制限されるが実際には広く食肉が行われていた事は大変興味深い。
かぼちゃ、てんぷら、が外来種だと教わると、じゃあ元来の日本人は何食べてたんだろうとずっとおもってた疑問をそのままタイトルにしてくれた。興味をそそるタイトルと、説得力ある言説が、読みやすい。単純に食べてきたものを紹介するだけでなく、そこから見え隠れする日本人論が面白い。
日本の「食」の歴史にスポットを当てた本。 食に関する歴史を紹介した本はあまり見かけないが、この本では、政治や社会情勢を絡めながら、武士や貴族の食生活及び庶民の食生活をそれぞれ説明している。 食生活を考えるうえで、政治・社会情勢を理解しておくことは不可欠であるので、まずは、その時代の社会情勢をしっ...続きを読むかり理解することが大切である。その上で食生活について考えると、理解しやすいのではないか。 また、全体を通じて、日本の食生活では、「米」が特別な存在であったことが伺える。 パン食やハンバーガーが普及してもなお、日本人の食生活は米が中心であるだろうし、それは今後も変わらないだろう。
95年発行の「木の実とハンバーガー」(NHKブックス)を補筆したもの。著者の通史の中でも最も日本史の枠組みを押さえていると、自身があとがきで記しているとおり、縄文時代から現代までの日本人の食について丁寧に紹介している。 特に、米と肉食に対する日本人の姿勢が記述の全般を通して貫いている。肉食の忌避を...続きを読む穢れや稲作への力を注ぐためという理由で説明しているが、それだけでは納得できない。環境や人口の変化、疫病などの背景があったのではないかと勘ぐってしまう。 後半は飛ばし読み。 縄文時代 ・縄文時代、前期には屋内に炉が設けられた。後期には高い温度で焼かれた土器が出現し、後期から晩期にかけては漁労の技術が発展した。 ・シカは東日本や山間部、イノシシは西日本や平地部に多い。釣針は早期から出現し、銛や、網をつくるための石錘も発見されている。 ・新石器時代には、半栽培的な段階に始まって焼畑による原始農耕へ進み、根茎植物のイモ類から種子植物の雑穀類に移行する展開が、世界的にみられる。 ・照葉樹林地域では、縄文後期や晩期の遺跡からの栽培植物の遺体の発見が急増する。 弥生・古墳時代 ・弥生時代、丈夫な鉄は農具のほか鏃や剣や鉾などの武具に、細工の容易な青銅器は銅鏡や銅鐸などの祭器として用いられた。 ・東南アジアの稲作地帯には、稲作の開始によって戦争がはじまり、その調停者として王が登場するパターンの神話が広く分布する。 ・弥生の遺跡から出土する骨はブタと考えられ始めている。長江流域では稲作とブタがセットになっている。ブタは古墳時代に姿を消し、ウマやウシが運搬や農耕に用いられるようになり、牛乳のほか、ヨーグルト・バター・チーズにあたる酪・蘇・乾酪などもつくられた。 ・5世紀に出現した竈によって熱効率が高まった。米を蒸すための甑も登場した。 ・穀醤、肉醤、魚醤は古墳時代から用いられた。 古代 ・神に感謝して豊かな恵みを期待するための食物を捧げる贄は、各地から天皇を通して捧げられた。新嘗は新しい食物を神が嘗めるの意味で、東アジアの稲作地帯に広くみられる初穂儀礼に起源を持つ。 ・675年に出された肉食禁止令は、牛・馬・犬・猿・鶏に限って禁じており、食用として最も重要なシカとイノシシは対象外だった。農耕期間中に酒を飲んだり肉を食べたりすると稲がよく実らないと考えていたらしい。 ・676年に飢饉に見舞われたため、穢れを除くために放生を命じて動物を山野に放した。これ以降、災害が発生する度に命じられるようになり、758年にはシカやイノシシの貢納を禁じた殺生禁断令を出し、肉食の否定に自ら模範を示した。 ・律令下の7〜8世紀に水田面積は著しく拡大し、12世紀には水田の開発に力が注がれて生産力が著しく向上した。 中世 ・中世後期には産業や流通の発達によって多くの食品が出回るようになり、味噌・砂糖・醤油、豆腐・かまぼこなどが普及した。食事の回数も1日3回に変化した。 ・秀吉は、兵農分離によって武士を村落から切り離し、大名の家臣団として都市に集めた。太閤検地とあわせて、領主的な武士や寺社勢力による中間搾取が排除された。
購入。 先史時代から現代まで、日本人がなにを食べてきたのかを当時の出来事も交えて解説している。 米との関係の説明に多くのページが割かれている。現代に入ってからの説明はとても少ない。 肉食の禁止もそこまで徹底されていなかったものが、段々と人々の意識に入り込んでくることが分かり、文化は怖いと感じた...続きを読む。
読みにくい。表にまとめたり、考察とデータは別にしたり、そういう工夫をしたほうが、論文としてもいいとおもった。内容はとてもいい。肉はケガレ、米は神様。お金の代わりとして流通してた日本の米は、自然発生的だけじゃなくて政治的な意図とかもあって、米を神にした、という考察はぼくの発想にはなかったので、あたらし...続きを読むいなと思った。
2011/0920:箱膳とかある程度食の歴史についての知識ないとついていきにくいなど後半情報が多すぎてまとめ切れていない感じが残念でした。
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日本人はなにを食べてきたか
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原田信男
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