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Posted by ブクログ
普通に読んでも面白い新書、そして刺さる人には刺さる人生の指南書。
まず一般的な感想を。約30年間裁判官を務め、その後民事訴訟法の研究者に転身した著者の経歴を活かし、日本の裁判所と裁判官の闇を暴く告発本。我々が裁判官という人種に対して抱く清廉潔白なイメージとはかけ離れた非常識な言動や、官僚的というだけでなくむしろ旧共産主義国のような裁判所の極端なトップダウン型の思想統制の数々はいちいち衝撃的。
そのような情報価値はひとまず認めた上で、おそらく読者の多くは著者の語り口にマイナスイメージを抱いたのではないかと思う。テーマがテーマだけに仕方がなかろうが、1〜4章あたりでは著者が実際に体験した上司からのハラスメントや事務総局の締め付けへの恨み節(と捉えるしかない記述)がネチネチと繰り返し綴られる。そして著者の裁判官への人物評も、尊敬に値する価値観や人生観に欠けるだとか、本当の教養を備えていないといった具合でいかにも高踏的な印象を与える。ともすれば「著者が裁判官に向いていなかっただけでは?」と本の内容自体を疑いたくなる人もいるかもしれない。
かくいう私も途中までは、著者に対し懐疑的な気持ちを抱きながら読み進めていた。が、第5章から終章にかけて、どうしたことか一転して瀬木比呂志という1人の人間のファンにさせられてしまった。
第5章の章末にて、著者はトルストイの短編『イヴァン・イリイチの死』を引く。イヴァン・イリイチは帝政ロシアの官僚裁判官であり、一見すれば成功したエリート、だがその価値観や人生観は全て借り物、著者の表現によれば「たとえば、善意の、無意識的な、自己満足と慢心、少し強い言葉を使えば、スマートで切れ目のない自己欺瞞の体系」というものだ。さも悪い人物のようだが、官僚、役人の中でこれはかなり上質の類型だと著者は述べる。そして著者自身すら若いころには「いくぶん自覚的なイヴァン・イリイチという程度の存在」であったのかもしれず、闘病や研究、執筆を通じてどうにかイヴァン・イリイチ的な拘束を脱して1人の人間に立ち返ることができたにすぎないと。
私はこの人間分析に深い感動を覚えた。私だけでなく現代の若者、ことに「センスのある人」に見られようと必死で自身を飾り立て、「人と違う自分」を演出しつつもどこか虚しさを感じているような人は共感を禁じえないのではないはずだ。
自分こそがイヴァン・イリイチなのではないか。そしてそれは、ことによればイヴァン・イリイチにも満たない、自分自身を俗物と信じて疑わない凡庸で素朴な人間よりもずっと醜悪な在り方なのではないか。
また瀬木氏についても、裁判官という基本的にはお堅くてつまらない人間、無趣味で仕事ばかりを生き甲斐にしている人間たちの中にさえ醜悪なイヴァン・イリイチの影を、即ちいびつな自己愛を感じ取ったがために「絶望」に至ったのではないのだろうか。
もちろん、裁判官には没個性さがある程度は要請される面もあるし、他の人よりも多くの時間を仕事に割くのであるから、イヴァン・イリイチを超える本当の人間性を培うことは非常に難しい。結果としてイヴァン・イリイチに落ち着き、自身をひたすら慰撫する人間が出来上がってもそれを非難するのは酷である。他の知的エリートについても概ね同様だろう。
しかし若かりし頃の瀬木氏や今の私のように、自分自身がイヴァン・イリイチであることに我慢がならないナイーヴな人間にとってそれは絶望に他ならない。そしてその絶望からの恢復を果たし、今なお旺盛な執筆活動を続ける瀬木氏は私のような人間にとって尊敬すべき先達といえる。
ここまで穿った読み方をする人はそうそういないだろうが、少なくとも私は、瀬木比呂志という1人の人間の半生を通して、自分自身の人生を生きることの大変さ、それでも気高く生きたいと思える格好良さまでをも教えられた気がした。瀬木氏の他の著書もちかぢか読んでみようと思う。もちろん『イヴァン・イリイチの死』も。
Posted by ブクログ
司法修習第31期生の著者による本。
2回目の読書。1回目に読んだ記憶の内容が忘却されていて、再読の甲斐があった。そもそもなぜ2回目を読む気になったのかは、青山透子『JAL裁判』を読み終え、このJAL裁判がいかにも裁判所都合、もっと言えば政府に忖度した訴訟だったのかが気になったからである。裁判所なるものの組織状況を改めて確認したいと思ったからである。
ある意味、軍隊と同じようにまとまっていなければいけない組織構造だから、少しでもはみ出たことをしたりすると、除け者扱いの対象となる。このようなことが説明されているのが第2章と第3章。
裁判官が和解を勧める理由の一つには、判決文を書くことを面倒だからと、民法の先生がかつて言っていた。まさにそのとおり述べられている。
私にとって、全体的な説明の文章は、スラスラ頭に入ってこず、少し読みにくさがあった。専門分野の話しであるから仕方がないところもあるが、話し言葉風に前提の話しが省略されていたり、文脈が素人には繋がらないといった記載もあった。
以下は、メモしておきたい本文記述とこれに対する私の感想である。
○第2章 最高裁判事の隠された素顔
p.52
「多少なりとも個性的な裁判官、自分の考え方をもちそれを主張する裁判官、研究を行っている裁判官は、高裁長官にはなれない。たとえ、上昇志向が強く、大筋では裁判所組織の要請に従い、むしろそれを主導してきたような人物であってさえもである。(中略)判決や論文等でそれなりの(つまり、最高裁が暗黙の内に公認している方向とは異なった)意見を表明してきたような人物であると、それ以前に、たとえば所長になるのが同期のほかの人間より何年も遅れ、一つの期について相当数存在する所長候補者の間で最後に日きれる、あるいは所長候補者から外されるなどの形で不利益を被ることになる。」
→後段については、日系企業なら、多かれ少なかれ、観察されることである。
p71
「日本の刑事司法システムで有罪無罪の別を実質的に決めているのが実際にはまずは検察官であって、裁判官はそれを審査する役割にすぎないということがある。」
→改めての知識である。
p.78
「最高裁判事の出身母体はおおむね固定しており、近年は、裁判官六名、弁護士四名、検察官二名、行政官僚二名(うち一名は外交官が多い)、法学者一名となっている。」
→これも改めての知識。
p.90
「事務総局が望ましいと考える方向と異なった判決や論文を書いた者など事務総局の気に入らない者については、所長になる時期を何年も遅らせ、後輩の後に赴任させることによって屈辱を噛み締めさせ、あるいは所長にすらしないといった形で、いたぶり、かつ、見せしめにすることが可能である。さらに、地家裁の所長たちについてさえ、当局の気に入らない者については、本来なら次には東京高裁の裁判長になるのが当然である人を何年も地方の高裁の裁判長にとどめおくといった形でやはりいたぷり人事ができる。これは、本人にとってはかなりのダメージになる。プライドも傷付くし、単身赴任も長くなるからである。」
→収容所群島の世界を描いている。
○第4章 誰のため、何のための裁判?
p.126
「(大阪空港訴訟における供用差止不適法という)大法延判決は、およそ差止めは認めないという乱暴なものであり、空港差止め訴訟は問答無用で切り捨てるという姿勢が明らかである。実は、この事件については、第一小法廷において限定的差止めを認める方向が決まっていた。ところが、なぜかこれが大法廷に回付されることになり、前記のような結論に至ったのである(毎日新聞社会部「検証・最高裁判所法服の向こうで』毎日新聞社)。その背後に政治的な動きや思惑があったことは想像に難くない。」
→最後の一文が重要である。裁判が政治に左右されることがあることを物語っている。
p.147
「実際、法律家でさえ、逮捕に続く連続二〇日間の勾留とその間の厳しい尋問に耐えられる人は多くない。ある弁護士が、事務所の後輩たちに、「もしも痴漢冤罪に巻き込まれそうになったら、相手の女性に名刺を渡してともかくその場を立ち去ること〔その場を立ち去れば、身柄の拘束には逮捕状が必要になる]。現行犯逮捕、勾留されてしまったらおしまいだよ」と語ったと聞いたことがあるが、誇張とはいえないと思う。」
→いつ巻き込まれるか分からないだけに、そのような場面に遭遇したときの知識として役立つ。
p.147
「日本の刑事司法には、(中略)普通は処罰されることのない形式的な行政法規違反等をとらえて、国家や権力者に都合の悪い調査や告発を行っている人物を逮捕勾留し、必要のない捜索差押えでそのプライヴァシーを破壊し、決定的なダメージを与えるといったことが可能になる(そのような陰謀の温床になりうる)性格があることも、ぜひ認識しておいていただきたい。」
→元外務省職員で作家の佐藤優氏がその著作『自壊する帝国』で、国家権力はマークした人物を捕らえる目的で些細なことでも逮捕目的にするという趣旨のことを述べているので、これは本当である。
○第6章 今こそ司法を国民、市民のものに
・法曹一元化について、1回目に読んだときの記憶があまりないが、著者はこれをもっと推進して制度化すべきと主張している。確かにこれまでのキャリアシステムのもとでは、最高裁事務総局の頑強で強固なガバナンスのもと、少しでも外れたことをする判事は蚊帳の外に置かされることになる。そのようにして、司法を揺るぎないものにしようとしているのだろう。しかし、昭和時代と異なり、今は価値観が多様化している。著者が主張するとおり、依頼人からの仕事を通じて当事者の気持ちを理解できる弁護士が判事になる法曹一元制度なら、当事者に寄り添った、どれだけ血の通った判決を出せるかを期待できる。こんなことを言うこと自体が裁判官の世界では、憚られるのだろうが。
Posted by ブクログ
「現代日本人の法意識」(2024年発行)を読後、
その中で触れられていた本書(2014年発行)に興味を持った。第1章は、タイトルそのままに、筆者の絶望感が強く記される余り、事例が微に入り細に入っているのは読んでいると悪口大会のようで共感は得にくいと思った。
全体を通して、裁判所制度、裁判官の任官・人事など、裁判官経験者でしか知らない、書けないことが多く興味深かった。
難関の司法試験をパスし検察官、弁護士よりも優秀な並外れた人格能力を持つ人たち、というのが、かなり幻想だとわかり衝撃だつた。
それにしても、微細な随所のちょっとした記述にも、筆者のプライドの高さがチラ見えたのは笑えた。裁判官だった人ってプライドの塊なんですね。
Posted by ブクログ
裁判官から学者に転身した著者が、現在日本の裁判所が陥っている悲惨な状況について告発している本。近年はだいぶ知られるようになってきたが、日本は裁判の有罪率が異常に高いなど、司法の面において多くの問題を抱えている。そのことももちろん重要であるが、本作のキモは裁判官を経験した人間にしか書けない、内部のドロドロとした事情である。さて、たとえばわれわれが「お役所仕事」だとか「縦割り行政」だとかいう言葉を使って批判するとき、われわれの頭のなかにはどのような組織が思い浮かぶであろうか。おそらく、中央省庁や市区町村役場が想定されているはずである。いっぽうで、裁判所もまた歴とした「お役所」であるにもかかわらず、これまで基本的にそういった言葉とは無縁で存在してきた。わたし自身、そのような文脈で裁判官が攻撃された事例は寡聞にして知らない。要するに、裁判所は正義の組織であるから、いついかなるときも聖人君主のふるまいをしており、絶対的に正しいと思われているのである。しかし、本作を読むと、この考えがたんなる思い込みにすぎないことがよく理解できる。裁判官におけるヒエラルキイ構造など、ひょっとしたら先にわれわれが思い浮かべたような組織よりも、よっぽど硬直的、官僚的かもしれない。そして、さらに驚きなのは、こういった構造が判決などにもじっさいに影響を及ぼしている点である。上司のポイントを稼ぐためには、あまり思い切った判決は出せない。そのためお上の顔を窺いながらつねに金太郎飴のようなおなじ判決が繰り返されるようになり、かくして驚異の有罪率が完成するのである。この本の中にはこのような事例がほかにも数多く掲載されている。自身の実体験をもとに書いている部分も多いが、それでもこの本を読んで、日本の司法制度に対して、タイトルどおり「絶望」を感じずにはいられなかった。
Posted by ブクログ
閉鎖的、閉塞状況にある官僚組織において往々にして起こってしまう好ましくない状況が、裁判所組織内において正しく起こってしまっているということを、元裁判官が切々と訴えている。
思うに、「ジャスティス」という価値観を守り育てていく「社会システム」の本来あるべき姿を想定する切り口として、多様なステークホルダーの調和という視点でとらえてみたはどうかと思った。
まぁ、民事と刑事とは実現すべき「ジャスティス」に若干の違いはあるかもしれないが、当事者、検察、弁護士、裁判官というプレイヤーたちが、ステークホルダー間の調和を図りながら、まったく関係のない第三者にたいしても説明責任が果たせる「プロセス」づくりに最大限の注力を図り、なるほど、うまいこと落としどころを見つけたなぁというようなことであればいいわけである。
ところが、「ジャスティス」の実現に関し、一番の権限と、権威を持っている「裁判所」という機関の劣化が激しいと嘆かれている。
一番最初に書いたが、閉鎖的・閉塞社会で官僚組織というのが人間社会において、一番始末が悪いわけである。
日本社会において、今現在、裁判所も含め、閉鎖・閉塞分野において、色んな不都合が起こってきている。
はてさて、このことは、現代日本社会全体で考え、取り組んでいかなければならない課題であるが、私自身としては少々悲観的ですが・・・(涙)。
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