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「超能力」は存在するのか?それともトリックなのか?スプーン曲げの清田益章、UFOを呼ぶ秋山眞人、ダウジングの堤裕司。かつては一世を風靡し、「超能力者であること」を職業に選んだ彼らは今、何を?3人に興味を抱いて、8年間にわたって取材を続けた著者が数々の不可思議な現象をまのあたりにしながら、「超能力」という迷宮にさまよい、彼らの孤独をすくいとろうとした異色の超現実ノンフィクション。
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Posted by ブクログ
超能力者に取材したノンフィクション。 超能力を信じるか、信じないかは別にして面白いですよ。メディアとかに食いつぶされて大変な思いをした人も多いと思うので、そのへんは何とも言えない思いもありますが。正直、私としてはあってもなくてもどっちでもいいんです。事によってはわからないということが面白いんです...続きを読む。
タイトルは笑える。 職業がエスパーとはどういうことだ。コメディなのか? と思わせて、その実、ものすごい重い題材を取り扱っている。 書き手はドキュメンタリー映像監督。有名な作品はオウムを取り扱った「A」シリーズだそう。 エスパーというものについて、当人以外、いや、もしくは親しい人がエスパー...続きを読むでもない限り、「あ、うんSFとかに出てくるアレだよね」となる。 私は、信じる信じないでいうと、信じてない。 著者も信じる信じないでいうと、そこははっきりとしない。信じるとは言い切れないというスタンスである。 エスパーを職業とする彼らのドキュメンタリーを撮りたいとして、まず、企画書を作り、お金をもらってくる必要がある。 その時、お金を出す人たちは問いかける「本当に信じているの?」と。ネタとしてエスパーを取り扱うのではなくて、職業をエスパーとしているただの人を主体とした場合、企画は通りにくい。その状況すらも著者は語る。 語るとは何か。 なぜ語るのか。 エスパーという、日常ではあまり使わない職業を選んだ彼らに、周囲の人に、わざときつい言葉を投げて反応を見る。そしてそんな言葉を投げる自分に傷つく。しかし、傷つけても、傷ついてもみたいものがあるという姿勢がすごい。 これも数ヶ月前に読んで、言葉が出てこなかったもの。 再読したい。
森達也がテレビのドキュメンタリーの取材をきかっけとして長年追いかけてきた3人の「エスパー」- オールマイティな秋山眞人、ダウジングの堤裕司、スプーン曲げの清田益章 - についてのノンフィクション。ドキュメンタリーと言ってもいいのかもしれない。 スプーン曲げの清田氏は、一時はTVで頻繁に取上げられて...続きを読むいたらしいが、自分の記憶にはほとんどない。ユリ・ゲラーの記憶もほとんどないので、ぎりぎり少し前の世代の記憶なのかもしれない。彼らがそんなに稼いでいたというのも驚いた。 スプーン曲げ含めて自分はまったく信用しておらず、トリックに違いないと思っていた。これまで、ラスベガスでクローズアップマジックも見たし、アメリカでホームパーティに来ていたマジシャンが目の前でやってもらったマジックも見た。全くどうやっているのか分からないし、素晴らしい技だと思った。でもタネはあるというのが前提だ。マジックと超能力はタネの有無を前提とするのかの違いがある。 森さんが何か嘘やごまかしをしているとは思えない。また、そこで感じているリアリティも本物だと思う。清田氏の実家で、両親を前にして聞いた幼き頃のエピソード(テレポテーションや宇宙人まで出てくる)の会話も、内容はある意味トンデモないのだが、妙なリアリティがある。3人のエスパーたちもこんなに長きの間、嘘をつくメリットもないだろうし、ダウジングの堤さんは性格なのか、あえてやる必要のないリスクも取っている(しかも時々外す)。この本を読んでいると人との付き合いの中で何かを判断するというのは難しいものだなと思う。 超能力はあると断言できず、それでも彼らを信じることもできる。全く矛盾した感情を抱えて進む物語に引き込まれる。そして最後には能力があるかどうかで困惑などする必要などなく、「自分を信じ、他者を信じ、日々を送る彼らを僕も信じる。彼らの人格を信じる」と結論づける。彼らへのまなざしは信頼に溢れている。「彼らとの付き合いは今後も続く。これには確信がある。被写体として興味が持続しているからじゃない。彼らを好きだからだ」となる。そしてその影響を受けて、自分も心の底からは信用していない本の中のエスパーたちに肩入れしてしまうのだ。そう感じてもらえないかもしれないが、面白かった。
二人の超能力者、清田氏、秋山氏とダウジングの堤氏。常識人から怪訝な目で見られる事を宿命とする異能者達に森達也氏が密着し、その光と陰を語らせマスメディアへの疑問を提示する。 斜め上の世界のヒューマンドキュメンタリーって単純に興味をそそり面白い!超能力否定派の代表大槻教授の二枚舌と人間性とタレントぶりに...続きを読むは失笑。テレビ局の犬。
自分を試すノンフィクションだ。 何より著者である森達也氏の心の葛藤が伝わってくる。 目の前で見せられたスプーン曲げ、スプーン捻り。 ダウジングでの意地悪な実験。額に張り付く1円玉。 それらを目の当たりにしながらも、信じていいのか?信じてはいけないのか?その狭間で揺れ動く心の行く先を追いかけ...続きを読むる物語であるとも言える。 そう言う意味では、ドキュメンタリーというのはやはり中立の立場で物事を捉えられるものではないのだということも理解できた。 刺激に満ちたドキュメントはいつだって、自分もその中に飛び込んで、溺れないように暴れているようなものだ。 オイラ個人で言えば、子供の頃から興味ありました。だから基本的にはオカルト的なものに対して、肯定的なスタンスを取っています。 霊体験も二度ありました。 しかし、この本を読めばさらなる驚愕を覚えます。 森氏は強烈な現象を目の当たりにしても、決して彼ら超能力者の技術を信じることができない。ほんの枝葉末節をあげつらいトリックではないのかと疑念を抱いている。自分の手の内のスプーンがねじれているにもかかわらず。その辺りの葛藤が苦しく胸に迫る。 しかし、「彼らの言うことが嘘ではないということは信じる」という言葉に救われる。そして「あいまいな確信」を獲得することができたという。また、超能力をバラエティ番組で放送するメディアの姿勢を批判するあたりからメディア論に流れていく。 要するに人はメディアに流されることなく、自分一人一人の心と向き合った上で行動しろということだ。メディアでバッシングされるから沢尻エリカがむかつくとか、腰パン王子を揶揄するのだけはオイラはしたくないと改めて思うのだった。 だってたった一人の個人をなぜ総掛かりでイジメなきゃならないのでしょうか??
職業をエスパーにした人たちの日常、メディアで見るエスパーたちの本音などがすごく丁寧に書かれていて面白かった!!超能力はあるかないか、幽霊や宇宙人はいるかいないか、この本はそんなことを主張したわけじゃないし、森達也なんて目の前で長年さんざん不思議な現象を見てきても、「結局わからない」っていうスタンスを...続きを読む取っている。さんざん見ても大槻教授のように「絶対インチキ」という認めない人もいれば、見てもないのに盲目的に信じる人もいる。この本はそんな頑なになってしまう人間の不思議さや、不可思議現象を隠そうする何年にもわたる社会の流れ、メディアのあるべき姿をできるだけ客観的に述べようとしている。清田益章、秋山眞人、堤裕司の3人が3人ともキャラクターが違っているのも面白い。特に清田さんの傷つきやすさや、時々すごくエラそうなところや、超能力者としての能力の揺れ具合、そして清田さんの親の愛情など、小説やマンガの主人公みたい。
ドキュメンタリー作家森達也が取り上げた題材は超能力者。 これは森さんが取材したからこそ意味のある本だし、 「信じる」人も「信じない」人も、「どちらでもない」人にも読んで欲しい。 「超能力とは何か」ではなく、「超能力者とはどういった人か」に主眼を置いたのは非常に彼らしいく、 新しくないのに誰も見て...続きを読むいなかった視点。 読み終わったときに心の内に残る気持ちは言葉に出来ない。
これ、途中で表紙の写真が怖くなってしまい、カバーをはずしました。 確かに私も「超能力ならスプーン曲げ以外にもっとすごいことやれよー」 という人種だったのですが、これ読むとそうも言ってられないような…。 大槻義彦氏には正々堂々と出てきて欲しかったな。個人的感想ですが。
頁を捲る手が止まらず一気読みしてしまった。スプーン曲げの清田益章、UFOの秋山眞人、ダウジングの堤裕司という超能力者3者3様の在り方が非常に興味深い。そして森達也の著作に何度も出てくるメディアへの懐疑、ドキュメンタリーに対する姿勢、なにより物事へのアプローチの仕方というものが、地下鉄サリン事件をはさ...続きを読むみ8年間にわたるこの取材過程(もちろんその間には『A』もある)の中で方向付けられたことがわかる。毎度ながらこの人の視点には共感できる。取材対象を撮りながら、自ら煩悶し続けるといういつものアレだが、ただ今回に関しては少し無理矢理拒否している部分が見えるようにも思える。文庫版あとがきの最後の最後の一言が結局は全てだったんじゃないかと思う。なのに「信じてませんよ」の一言が痛々しい。後々の著作を読めば、拒否反応の理由は今や森さん自身も分かってるんじゃないだろうか。 超能力やUFO、超常現象や奇跡とかスピリチュアルとかなんでもいいんだけど、こういう話って「有る無し論」になってしまう。要は信じるか信じないかという事なんだけれども。森さんはずっとその間を反芻しているわけだ。でもこの「有る無し論」自体が非常に演出的というかテレビ的というか、不毛な論議だよなと思う。特に否定する側の反応がとかく感情的になりすぎる。森さんが指摘する大槻教授のように、過剰にヒステリックで頑な拒否反応(大槻教授の場合はテレビ的な演出が多分に含まれているにせよ)が多いと思う。一言で言うと「騙されないぞ!」ということに尽きる。わたしは騙されないからね、みんなも騙されないように、と。 さて、ここで僕は思う。そもそも「騙される」ってどういうことなんだろうか。たとえばスプーン曲げの超能力がトリックだったとして、誰かが不幸になるだろうか。森さんの言うように、年端もいかない少年に対して目くじらを立てて怒るほどのことだろうか。「騙された」「騙されない」なんてのは本人の気持ち次第でしかない。全ての人に対応する絶対的な物差しなんて存在しないのだから。もっと言うと、例えばどっかの宗教団体で高価な壷を買ったとして本人がそれで幸せな気持ちになれるのならそれはそれでアリじゃないかと思う。その人の心はその人のものなのだから。外から他人が物差しで測る事は出来ない。 だから僕は、誰かに騙されることを恐れて窮屈に生きるぐらいなら、たとえ騙されていたとしても楽しく生きるほうを選ぶ。
森達也による同名のテレビドキュメンタリーの書籍化。清田益章、秋山眞人、堤裕司という3人の日本を代表する超能力者たちの日常を追った作品。特に清田のいかにも複雑なひととなりはとても興味深く、同時にマスコミ批評的な側面もある傑作。
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