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Posted by ブクログ
【本の内容】
啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。
貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼の最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。
[ 目次 ]
[ POP ]
「真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児のあり」。
死にし子を歌う一連の絶唱は、『一握の砂』の末尾に付加されたものだ。
啄木を教科書でしか知らない人は、ぜひ全体を味わってほしい。
日本語の至宝である。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
今から128年前、金田一京助は1882年5月5日に岩手県盛岡市で生まれて、39年前の1971年11月14日に79歳で亡くなった言語学者・民俗学者。
その子息の金田一春彦(2004年に91歳で没)とともに、言語学者として多くの編纂に携わった国語辞典を、私たちも重宝して使わせてもらい(そう思って使っていたのですが、実は京助センセの場合は、実際には一冊も関わっていなくて、全部ただ人がいいために名前を貸していただけだと後年に知って憤慨したものです)、今はテレビで孫の金田一秀穂に国語の蘊蓄を聞くといった具合に、三代にわたる日本語に取り憑かれた一族だというのは少し強引な括り方かしら。
それにしても、いみじくも本書の著者名に2名連記で金田一京助の名前もあるのは、もちろん編者という意味以外になにもありませんが、ところが、ご存知の方も多いと思いますが、ふたりの関係は本当はそれだけではない、深い深い肉親以上のつながりがあるのです。
といっても同性愛ではなく、石川啄木は同郷、盛岡中学の後輩で、東京に出てきてからもよく面倒を見ていた、という言葉では収まりきらない常道を逸する行為、つまり金田一京助は頻繁に石川啄木が無心するままにお金を貸して、さらに手元になくなったらなんと自分の家財を売ってまで貸していたというのです。
これは、ただ同郷のよしみとか、面倒見がいいという話ではけっしてなく、金田一京助が石川啄木の才能を見抜いて、このまま埋もれさせるのは惜しい、是が非でも自分のちからで世に出してあげたい、なんとか助けてやりたいという強い気持ちが、矢も盾もたまらずそうさせたのだと思います。
なのに、ああ、現実はいつも残酷です。頼むがままに気前よくお金を工面してくれる人の気持ちを踏みにじって、石川啄木は何をしていたかというと、せっせと18歳のときに結婚した妻の方の実家に預けた妻・節子と子供に仕送りした訳ではなく、ほとんどを浅草で娼妓を買ったりする遊興費に消えたというのですから、呆れて開いた口がふさがりません。
本当になんと卑劣な奴でしょうか。
この間のエピソードが鮮明に描かれていて衝撃的なのが、あの名作マンガ・関川夏央と谷口ジローの『「坊ちゃん」の時代 全5部作』のうちの『第三部 かの蒼空に 凛冽たり近代 なお生彩あり明治人』なのですが、多分きっと、金田一京助のこの渾身の経済的援助、のみならず精神的後押しがなければ、おそらく石川啄木は世に出ることもなく人知れず死んでいった、ただのだらしない男にすぎなかったかもしれません。
あと2つ、京助センセには他の学者先生にはない、とっておきのエピソードがあります。
これも、ご存知の方はご存知の有名な話ですね。
そう、アイヌと、それから横溝正史ですが、またいつか書きます。
Posted by ブクログ
生活に関しては、女にも金にもだらしなく、借金まみれの可憐な駄目人間。
文学に関しては、苦界にあってますます鋭く尖る自負心をもつ気位の高い激情家。
蟹と戯れたり、母を背負って泣いたり、停車場で同郷人の声に耳を澄ませたり、
センチメンタルな石川啄木のイメージが吹ッ飛ばされた。
教科書に掲載されている紅顔の美少年のような本人の写真と相俟って、
石川啄木は感傷と叙情の歌人と決め込んでいたけれども
実は感傷など差し挟む余地もないほどの貧乏に生涯を追いまくられた人だったという。
生活苦によってへし折られようとする自負心を支えるために
周囲に向ける攻撃性は凄みがあり、痛ましさと同時に畏敬も感じる。
この攻撃性をもったまま、教科書掲載群の一連の歌も創作していたと思うと
この人の奥行きに改めて感嘆する。
自分の苦しみ、社会への怒りの両方を客観視していて
時にぎょっとするほど冷めている。
直情的に憤激を詠んだ直後に、苦悩している自分を題材に諧謔的な歌を詠む。
触れ幅の大きさに、啄木本人の苦しみの深さを感じる。
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一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
鏡とり
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
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