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Posted by ブクログ
実際に読んでみると、座敷わらしや天狗を紹介しただけの本ではなくて、かの地で伝えられているお話をくまなく聴いて記したものでした。
「迷信でしょ。」
と、おそらく当時も避けて通るところを、聴いたそのまま記したのが「遠野物語」でありそのまま記すところに価値があるのだ、と、理解しました。
また、この本が端緒となり、民俗学が成立したこともうなずくことができました。
端的に感じたのは「昔の人」に分類された第八段の冒頭です。
「黄昏に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。」
これを読むと「神隠し」と郷の人が言っているのは誘拐のことだと理解出来ます。
しかしながら、犯罪として捜査するのではなく「神隠し」として対処、諦めていたのだと解ります。
プロの誘拐魔が女や子供をさらっていくのですから、
おそらくは郷の人が捜査しても太刀打ちできるものではなく、ならば「神隠し」として諦めるのが生活の知恵だったのかな。と推測しました。
他には、河童が他で語られるのと、遠野郷とのでは少し違うことを記した五九段も面白かったです。
面白かったと言えば、特に面白かったのは、
里の神「カクラサマ」に分類されている七〇段と
遠野物語拾遺「子供神」五一~五六です。
子供がご神体をおもちゃにするお話です。
五一を抜粋します。
「近所の子供らが持ち出して、前阪で投げ転ばしたり、また橇にして乗ったりして遊んでいたのを、別当殿が出て行ってとがめると、すぐその晩から別当殿が病んだ。巫女に聞いてみたところが、せっかく観音様が子供らと面白く遊んでいたのを、お節介をしたのがお気にさわった」
他のお話でも、叱った大人が逆に病気になったりけがをしたり、神様の罰が当たります。
さすがに、現代の子供はこんなことはしないと思いますが、
たとえ、子供が祠から木造のご神体を持ち出し、水たまりに放り込んで「戦艦だ!突撃だ!」と乗って漕いで、遊んでいても、遠野郷では叱ってはならないのでしょう。
その他、
盛岡市に旅行すると「前九年」と電信柱に町名が書いてあるのを見つけて「へぇ」と思ったのですが、
前九年や後三年の戦いから地名の由来を語る段(例えば遠野物語拾遺の七。現在の遠野市小友町での八幡太郎と安倍貞任の矢の射合い)
も、その土地で語られている歴史に思い馳せました。
また、
蛇を殺してはならない
などのいましめ。
山で迷って古民家を見つけたらそこにあるモノは神様からの贈り物だ
などの言い伝え
拾遺の最後は年中行事を
「他とおおよそ同じ」
としながらも、農閑期の家にこもりがちな時期に行事が多く配置しているのが
興味深い、
と感じられる内容でした。
やはり、こういう本は、一度おおもとを読むと良いな。読んで良かったな。と思いました。
Posted by ブクログ
今、インスピレーションがピピッと来て、荒俣 宏の「帝都物語」という題名は、この「遠野物語」からきているのではないかと気づきました。
違うかな?
「遠野物語」を読むのは、2回目です。
NHKで、「100分で名著」という番組があって、これが最近のお気に入りなんですが、それで取り上げられているのを見て、また読みたくなったのです。
言葉的には、若干読みにくいのですが、読むたびにいろいろ想像が膨らみます。
こういう話が伝わっていくシステムがどんどん失われていくのは、とても悲しいことだと思います。
でも、今のネットの広がりは、「お話」がテキストとして半永久的に残っていくので、もしかしたら、ぼくらは、新しい「遠野物語」的な世界を獲得していけるのかもとも思います。
拾遺集は、今回はじめて読みましたが、褌を盗む話とか、今のマンガにもありそうなホラっぽい話が楽しかったです。
Posted by ブクログ
・遠野の人々は、動物も人間のような感情を持つ畏敬すべき存在、だと考えていました。
雌狼が子供を殺され復習にやってきた時、素手で応じる猟師の話があります。
子供への愛情から襲ってくる狼に対し、武器を持って戦うのは卑怯だと考えて、猟師は自分のワッポロを脱いで腕に巻き狼と対峙しました。その後、狼も猟師も深い傷を負ってまもなく死んでしまいます。
文明の利器である鉄砲で野生動物と向き合うのは、ある意味では卑怯で、
狼も人間も野生動物で、只の動物だとなった時には、素手と素手で戦うのが、最も敬虔な勝負というふうになるのだろうと思いました。
一方で、猟師であるならばより効率よく狩ればよく、鉄砲を使わず命まで落としてしまうのはナンセンスだと考える人もいると思います。
けれどもこれは現代人にとっては最も見えにくい(理解しがたい)、「狩猟民の精神」が垣間見えます。文明の利器によって人間はある程度、自然に勝ち、その効率の良さに甘んじてしまいがちですが、たとえば自然の猛威に触れ自然にはまるで敵わないことを思い知った時、人々のこれまでの生き方、在り方さえを問われると思うのです。
その時、「遠野物語」は非常に大きい意味のあるものだといえて、人間が人間だけしかいないというそういう世界ではなくて、動物とも自然界ともバランスを取りながら慎ましく生きていく、現代の中では無意味に思われがちな事でも全体として大きく見据えたとき、遠野の人々の考えから学ぶことは一杯あるのだということを知りました。
Posted by ブクログ
日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男先生。
岩手県遠野の民間伝承を採集して
まとめられた「遠野物語」。
日本の原風景を牧歌的に語るのではなく、
昔話のように教訓を含んだもの、
風習や伝説とともに、とりとめのない
世間話のようなものも含まれているのも
口承たるリアルさで面白い。
目に見えない世界が信じられ
怪異が不思議としてではなく、
人々の生活と地続きだった古き時代。
自然への畏敬の念、人々の暮らし。
時に閉塞感があり、時に温かみをもって
周囲と繋がり、年中行事で四季を感じ、
目に見えないものを想う心の豊かさ。
現代に語り継がれた物語などの原点も
たくさん含まれていて感慨深く面白かった。
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