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Posted by ブクログ
小説を本格的に書き出したのは39歳。それから現在(63歳)までの、個々の作品執筆をめぐる自伝。昼間は藤原寛人として気象庁に勤務し、夜は新田次郎として小説を書く。二足の草鞋。
小説を書くのがおもしろくてたまらない。それなりにお金も入る。しかし、賞をとるごとに、職場でのまわりの目が気になる。焦燥や苛立ちや怒りも描かれている。でも、実務的な仕事をしていなければ、あのような作品群(とくに山岳や気象の関係する作品)は書けなかった、と私は思う。しかも退職時には、富士山頂に気象レーダーを設置するという大仕事もなしとげた。二足の草鞋というよりは、車の両輪だったのかも。
文庫版の付録、妻・藤原ていが書いている新婚の頃のエピソードがおもしろい。ある朝広い露場で目撃したのは、白衣姿で風船を揚げている夫の姿。「まるで子供」。科学者だと思っていたのに。
Posted by ブクログ
作家デビューに至るまでの経験を総括しているのではないかと思います。
二足の草鞋を履く・・・本名:藤原寛人さんは、気象庁の技術者でありながら、小説を書き続けました。富士山頂の測候所に携わっています。中でも、以下の文言が印象的です。
この小説は、昭和52年1月に発行(今は絶版になっています)されており実に戦後30年以上を経てから発表となります。何故、この体験を書かなかったのか?については不明ですが、「小説に書けなかった自伝」には、こう記されています。
※以下引用
『「望郷」のでき不出来よりも私はこれを書くことによって憑きものを落としたかった。
私にとっての終戦後の一か年間は十年にも値するほど長かった。引き揚げてきてもなにかの折にその当時の夢を見てうなされた。(中略)「望郷」を書いている最中には毎夜のように当時の夢を見た。しかしこれを書き終えてしまえば夢は見ないだろうと思った。その期待は見事に裏切られた。憑きものは落ちないどころかむしろ忘れかけていた苦しい思い出がよみがえって、夢見はいっそう悪くなった。』
※引用終わり
Posted by ブクログ
「強力伝」で直木賞を受賞し、代表作は「孤高の人」。山に関する多くの小説を残してきた著者の自伝。小説家と編集者との関係を赤裸々に書いているのがおもしろい。
著者は直木賞受賞後も、役所勤めと小説家の2足の草鞋を20年間はき続ける。17時に退社し、帰宅して19時から書斎にこもる生活。小説家になるには、技術や才能もさることながら、本人の作品に向かう集中力と職場や家族の理解が何よりも重要だ。
小説家としては、全集を発表するほどの作品を残し、気象庁職員としては、富士山気象台に巨大レーダー建設の実績を残す。そして、父としては、ベストセラー「国家の品格」の著者である数学者の藤原正彦を子孫に残す。この自伝からは自身を誇る感情を表してはいないが、実直に自分の役割を果たす古き良き時代の日本男子の精神を感じる。
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自伝というより半自伝という本。生い立ちは全く書いてない。書き出しは満州引き上げから作家になるまでの経緯である。
新田次郎の魅力は大胆さと小心さの兼ね合いだと思う。「強力伝」がサンデー毎日1等をとったら、その賞金でいきなり吉祥寺に土地を買ってしまうのだ。まだ「強力伝」しか書いていないのにである。しかもこのころはまだ完全な職業作家ではない。気象庁で働ききながらの兼業作家だった。その後は直木賞も受賞し文名も上がっていく。ところが新田は「気象庁をおさらばして筆1本で食べていかねばならないと思うと不安だった」と述べる。結局兼業作家生活は10年続くことになる。
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人間の根源を見据えた新田文学、苦難の内面史。
昼働き、夜書く。ボツの嵐、安易なレッテル、職場での皮肉にも負けず。
本書は、気象庁職員にして直木賞作家であった新田次郎による赤裸々な自伝である。新田次郎というと、武田信玄に代表される、歴史作家というイメージが強かったが、創作初期は、山岳小説家であったという事がわかる。(本書を読むと、本人は山岳小説家と称されることを嫌っていたこともわかる)
学歴(東大卒、理学博士)が幅を利かす官界において、専門学校出身の新田次郎は、コンプレックスを抱く。自伝では、生活の足しにするため執筆活動を始めたとあるが、その鬱憤が創作活動へ駆り立てたのかもしれない。(巻末に収録されている、藤原ていや藤原正彦の回想から窺える)
人気作家となるものの、気象庁を退職することを余儀なくされる。これは、作家活動が睨まれたというよりも、当時の役所の人員構成の問題があり、後進に道を譲る事を求められたといえる。著者は辞めるまで葛藤する。このあたり、なかなか生々しい。
本書を読むと、新田次郎はかなりプライドが高かった事が窺える。その負けん気が、富士山気象レーダとなり、数々の作品を生み出したといえるが、一般的な好々爺とは程遠い、本書を、私は楽しく読めたが、好みは分かれるかもしれない。
Posted by ブクログ
新田次郎の作品は読んだことがないのだが、正社員として働きながら、やりたいことを成功させるためにはどうしたら良いか、何かヒントを得たくてこの本を読んだ。
感想としては、新田次郎の誠実性と体力に感服するばかりだった。
正社員としてのハードな勤務の後での小説家としての二足の草鞋をここまで完璧にこなす人はいないんじゃないかと思ってしまう。
自分もこんな風にできるかといったらきっとそうはいかないだろう。
それでもやってやろうというパワーはかなり湧いてきた。
新田次郎のようにそれを成し遂げたひとがいるのだ、それも40にもなるといった年齢で。
年齢を重ねるごとに体力的にも世間的にも諦めなければならないことが増えていくといった風潮の中で、新田次郎の姿は英雄であり希望だ。
単にがむしゃらに小説を書いていたわけではない、徹底した取材や、投稿作家時代などには他の作品からの勉強をする姿勢など、その誠実性には本当に年齢を感じさせないし頭が下がる思いだった。
今度新田次郎の作品を読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
新田次郎の小説は昔よく読んだが、小説家としてこのような苦悩や葛藤を背負っていたとは思わなかった。
新田次郎と言えば一連の山岳小説が有名だが、小説を書くきっかけになったのは、「給料が少なかったので金を稼ぐため」で、本業である気象庁の仕事と小説執筆を両立させながらも、時に同僚から陰口を叩かれ傷ついていたこと。小説家一本に絞るために54歳で気象庁に辞職願を出したとき、本当は仕事を続けたいという気持ちから、不眠症になったということ。
「孤高の人」で、登山家と船の設計技師という2つを両立させていた加藤文太郎の描写に妙にリアリティがあったのは、作者のこうした背景があったからかもしれないと感じた。
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