モオツァルト・無常という事

モオツァルト・無常という事

小説・文芸
693円 (税込)

3pt

小林批評美学の集大成であり、批評という形式にひそむあらゆる可能性を提示する「モオツァルト」、自らの宿命のかなしい主調音を奏でて近代日本の散文中最高の達成をなした戦時中の連作「無常という事」など6編、骨董という常にそれを玩弄するものを全人的に験さずにはおかない狂気と平常心の入りまじった世界の機微にふれた「真贋」など8編、ほか「蘇我馬子の墓」を収録する。

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  • カテゴリ
    :
    小説・文芸
  • ジャンル
    :
    小説 / 国内文学
  • 出版社
    :
    新潮社
  • 掲載誌・レーベル
    :
    新潮文庫
  • タイトル
    :
    モオツァルト・無常という事
  • タイトルID
    :
    207458
  • 電子版発売日
    :
    2013年05月02日
  • コンテンツ形式
    :
    EPUB
  • サイズ(目安)
    :
    1MB

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モオツァルト・無常という事 のユーザーレビュー

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感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    美麗な文章で綴られる芸術論ですが、アイロニーやユーモアもあり批評のレベルにとどまらないと思う。
    豊かな歴史的観点からの考察もさすが。
    「骨董」に関する氏の「骨董の世界が所謂「美術鑑賞」と異なるのは、品物を買ってから始まり、そこから品物が此方の生活に触れてくるのだ」との下り、サブスクとレコード購入の違いを日頃思う自分としては膝を打った。

    0
    2023年12月29日

    Posted by ブクログ

    本文は、モーツァルト・美を求める心と題して、noteで投稿したものです。

     
     水曜日の朝、ぼくはモーツァルトのシンフォニー第40番第1楽章を聴いて、泣きそうになったのを思いだす。その日は、いつもより早く起きていたから丁度良いと思い、かけていた。
    しかし、何故モーツァルトは、シンフォニーで何役にも転じたのか、語り部であり、聴者であり、忘れ河である。
    彼は、自らの楽曲の中で自問自答を繰り返していたのか。
    ふとそんなことを思い、狂った感覚が襲った。
    しかし、ぼくは音楽に詳しい訳では無い。空き時間に未開の地に足を踏み入れんとする者である。
    しかし、不思議だ。あの時に感じたものはいまでは、やはり偽りの鮮明の中に埋もれてしまっている。

     何故か小林さんのモオツァルトは読んでいなかった。それ熟読することは、高校生のぼくにはまだ早いのかと思っていたが、モーツァルトのあの躍動を凝縮したシンフォニーを聴いて心奪われた以上読んでみたくなった。
     Ⅰ   モーツァルト
     水曜日に聴いたシンフォニーは、無名のピアニストによる演奏だった。しかし、その後もモーツァルトのシンフォニーのことで頭は一杯で、頭の中で何度も繰り返し響いていた。
    しかし、もう一度聴きたい。メニューインの演奏があったのでそれを聴いた。なるほどこうなるのか。ぼくは彼の演奏に惹かれてしまった。メニューインは小林さんのお気に入りのヴァイオリニストとのことで、彼の来日時に、愛情を持ってこう書いている。
     「第一日目の演奏を聴いて、何か感想を書くことを約したが、きつと感動してしまつて何も言ふ事がなくなるだらうと考へてゐた。その通りになつた。タルティニのトリルが鳴り出すと、私はもうすべての言葉を忘れて了つた。バッハだらうが、フランクだらうが、それはもうどうでもよい事であつた。魂を悪魔に渡してから音楽を聞くといふこともある。タルティニは嘘をついたのぢやあるまい。たゞ、私は夢の中で、はつきり覚めてゐた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追つてゐた。あゝ、何んといふ音だ。私は、どんなに渇ゑてゐたかをはつきり知つた。
    メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであらう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解してゐる大人である。私はあなたに感謝する。」

    『メニューヒンを聴いて』(1951年)

     しかし、クラシックは、元気が無いと聴く気が起きないという時期がぼくにもあった。長明の言うところの朝顔と露か。oasis、レディオヘッドあたりが、丁度良いという時期が。しかし、歩いているとメヌエットのG.minorが、ぼくを急がせ次第に足取りは速くなる。

     小林秀雄が、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけないと言った楽曲は、弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516である。
    ぼくのアレグロに対する印象は、まるで、そっほを向いているように感じた。小林さんは、正確な足取りであるとおっしゃっていたが、ぼくが思うにそれは、ジャック・スパローのあの歩き方である。音がほんの少し響く地面をあの様に独りで歩いている。そして時折振り返る。多分何も見るものは無いし、見てもいない。衝動的に、そうしたに過ぎまい。 それ故、涙はついてこれない、涙ですら見えぬのだから。涙は彼の曲となる。彼の涙は、モオツァルトという忘れ河を経て、あのような明るい曲となる。涙はもはや、追いつけぬばかりではなく、何も覚えてなどいないのではあるまいか。その数滴の涙めいめいが人をヴァイオリンとを表す。モーツァルトの曲はいつも新鮮だとあるが、モーツァルトを思いだし耳を傾けると、何もかもを忘れた涙が、曲として生まれてくるからではあるまいか。しかし、これはモーツァルトに限ったことでは無く、全ての人もそうである。それが、孤独という人間存在の本質と小林さんは、書かれている。そうなると彼の楽曲はいよいよ深い。モオツァルトという人は、決して急いでいる訳では無い、ドン・ジョバンニを見ているとそんな気がしてくる。サリエリはドン・ジョバンニの上演を僅か6日で打ち切らせた。騎士長が、父レオポルトに見えたのだ。彼は父親の呪いがモーツァルトにかかっていると直感したのだ。しかし、モーツァルトにとっては果たして、レオポルトの呪いであったのか。呪いであり祝福であるかのようだどうやらサリエリは、次なる祝福を我が物にしたかったのだろう。

     小林さんが交響曲第39番 変ホ長調 K. 543第4楽章は、まるで明け方の雲のようだとおっしゃっていたが、捕らえた小鳥をかごの中で、野生のままにしておくが如く、この表現には感動した。余すことのない自然と生み出されたそれが、この第4楽章から伝わってくる。ハイドンのシンフォニーの繊細さとは違う、カーテンの匂いのするようなものでなく、冷たい川の水のようなものをモーツァルトからは感じる。ブルーノ・ワルターの指揮は、本当に素晴らしい。

     Ⅱ 批評の神様の音楽会
     小林秀雄は、文学青年でもあり音楽青年でもあった。彼の父親の職業柄また、父親の短命ともあり、しかし、海外製の蓄音機が小林秀雄の音楽への造詣を深めるに至るきっかけとなった。
    こうして思えば、無常という事は、小林秀雄の傍に、いつも音楽があったという事の象徴だとも言える。彼も宣長は、ブラームスで書いてます。といっていた。
     第一部までモーツァルトについて触れてきた、この第二部では、美を求める心を小林さんの音楽との関係について触れながら進めていく。
    私は、美の問題は、美とは何かという様な面倒な議論の問題ではなく、私たちめいめいの、小さな、はっきりとした美しさの経験が根本だ、と考えている…。美しいと思うことは、物の美しい姿を感じる事です。美を求める心とは、物の美しい姿を求める心です。 美を求める心より   
     美しいものは、既にそこにある。我々は、めいめいの目で耳でそれを見出さなくてはならない。勿論、人それぞれである。無常という事は、多分、モーツァルトに最も影響されていると思う。これも、ぼくの考えであり、そうでなくても構わない。これは、こう言う歴史でこう言う価値があり云々とは、それほど重要ではない。その先が重要なのである。現代に於いては、これが欠落しているとしか思えぬ。

     音楽や芸術それだけではなく、自然それが、人間の創造性のダイナミクスの源であるという事は、多分、何となく分かる人も多いだろう。 梅の花だって、木に咲いているものだけが美しいのではない、散ってもなお美しい、勿論、そのようなクオリアは、人によって明らかに違ってくるもの。かつての王侯貴族達が、アートを欲していたのは、まさに一種形式的なものから自らを解毒しようとしていたのではあるまいか。
     
     1982年12月28日小林さんは、病床についていた。同年春から音楽を聴くことは無くなった。聴く気力も体力も無いのである。しかしその日、1階のテレビから、あのメニューインの演奏が放映されている。小林さんは、夫人と共に最後まで聴いていたという。宮沢賢治に、眼にて云ふという詩がある。
    あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
    わたくしから見えるのは
    やっぱりきれいな青ぞらと
    すきとほった風ばかりです。
    苦しいさはあったはずである。しかし、多分、彼の人生で最も何とも言えないものに包まれた一時であったことだろう。その約2ヶ月後、小林さんは、息を引き取った。
     美を求める心とは、即ち、人の心也。
    人間が生きる原動力となる。茂木健一郎さんが小林さんは、エピファニーの人だとおっしゃっていたが、このエピファニーというものを我々は、大切にしなくてはならない。本質は必ずしも美しいとは、限らない。美は思うほど美しいものではない。だからといって美しくないわけではない。一枚の木葉も地面におちていれば、隠すものは、そうあるまい。しかし、一と度手に取り、月にかぶせてみよ。
    我々は、創造の萌芽の芽吹く世界に怠惰しているに過ぎない。そんなものは、場違いではあるまいか。現代人が最も癪に障る。それは必ずしも考え抜いたからというものでは無くともそうであるものではないあるまいか。

     モーツァルト、これで良かったのか?
    答えてくれても良いじゃないか。
    答えてくれそうにないな。
    ぼくはまた、忘れ河の水を飲むのか。
    しかし、君は人間だな。ぼくは完全に忘れることは出来ない。思い出せもしない。

     悲しさは疾走する。涙は追いつけない。
    然れど涙は忘れ河を通り、永遠に回帰する。





    0
    2023年05月08日

    Posted by ブクログ

    「近代評論の神様」と呼ばれる筆者の戦中〜戦後にかけての評論集。
    天才の息吹を確実に感じる怒涛の文章。
    高校の現代文の先生が猛烈に薦めてたのにも納得。
    この一冊によって評論という行為に無限の可能性を切り拓いてくれた功績は大きい。
    ただ『西行』・『実朝』・『平家物語』などの所謂中世日本史ものはある程度突っ込んだ背景知識が無いと難解か。
    個人的に特に好きなのは『蘇我馬子の墓』と『偶像崇拝』。

    0
    2012年10月29日

    Posted by ブクログ

    久しぶりに再読したけど、やっぱりわかんないとこがある。
    言いたいことが何となくわかりはするけど、こんな狭いスコープではないんだろうなといつも思う。
    徒然草、に至っては未だにわかりません。

    0
    2011年08月08日

    Posted by ブクログ

    10年くらい前に読んだけれど、鮮烈な印象は鈍らない。
    「アイネ・クライネ・ナハトムジークなら聴いたことがある」くらいにしかモーツァルトに興味がなくても、じゅうぶん感動できる。モーツァルトの音楽が天国的だと言われる理由に納得したことがあるならば、涙することができる。
    江藤淳の解説も必見。

    ★★★★★の皆さんのレビューを拝見していたら、なんだか更に感動がこみ上げてきました。皆さんにありがとうと言いたい!

    0
    2011年10月02日

    Posted by ブクログ

    高校の教科書で「無常という事」と出会い、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」という言葉に深く打たれた。
    座右の銘にしたいけれど、そこまでよく意味が飲み込めていない。
    無常ということを体感してみたいと思う。

    小林先生は全般的に、読んでなにかすごいことがわかったような気分になる。それを説明しろといわれるとできないんだけど。

    0
    2010年02月14日

    Posted by ブクログ

    美しい文章という定義付けは難しいだろう。
    たとえばノーベル文学賞に輝くアーネスト・ヘミングウェイの骨太ながらも。危いまでに繊細な心の陰影をのぞかせる文脈とか、妖しく美しくあることが、まるで運命づけられたようにしなやかに律動する川端康成の筆のすさびなどは、その最右翼と目してもよいだろう。

    この本の表題にあるモオツァルトとは、あの18世紀に登場した天才的作曲家のことである。僕はミロス・フォアマンの映画でしか知らないが、この小林の書き残した評伝には間違いなくあの映画で描かれた天才が息づいている。それよりも並々ならぬ著者の洞察力と、その見識の水準のとてつもない高さに、ただただ脱帽するしかないという面持ちにさせられるのだ。
    あとがきを見ると著者は太平洋戦争の賛同者であったらしい、この小論が書かれたのが昭和二十一年
    なにかにとりつかれた如く、この西洋の悪魔的魅力を持った天才児について、愛していたというよりは
    土砂降りの雨中、裏切られた親友を殴るような勢いで書き連ねていくのだ。あたかも、それは彼の魂を悪魔と引き換えにやり遂げたといった風情なのだ。
    全編読み終えると、まったくシンフォニーについて知らなくても、この文が長い時間をかけ刻苦の末に創造し完成た賜物であるのではなかろうかと感じる。
    読み返すと、今度はモオツァルトが歌劇にて指揮する姿を想像し18世紀の世界に誘ってくれるのだ。そう、この不世出の天才音楽家と邂逅するような錯覚におちいるのだ。
    全編美しい旋律を奏でるが如く、耳の心地よい、
    これは掛け値なしに、日本の生んだ昭和の英知によるたぐい稀な美しい文だと思えるのだ。
    思い出したが、開高健のエッセイでモオツァルトが過度のスカトロジーであったということをきいたことがある。さすがにこの評伝ではそのことには触れていない。
    このことを、モオツァルトに関する遺存する膨大な資料を原文で読み下した小林秀雄が知らなかいわけはなかっただろう。これは蛇足でした。

    0
    2009年10月04日

    Posted by ブクログ

    小難しい日本語なのに、何故か心地よい。
    日本人でよかったと、時たま心に刻みたくなるような一節があちらこちらと転がっていて大好き。かっこいい。むしろバイブル。

    0
    2009年10月04日

    Posted by ブクログ

    西行についての本を片っ端から読もうと決めて、手に取った本。
    『西行』だけを読むつもりが、すっかり読みふけってしまいました。
    受験生の時は鬼門だった小林秀雄が、かくも心に沁みるものかと、驚きのあまり泣けてくるほど。
    絶品の日本語だと思います。

    0
    2009年10月04日

    Posted by ブクログ

    この人の著作にはまらない人というのは僕は尊敬します。この人に心底批判的になってみたいです。 ぼくにはできません。 それくらい、僕は彼の不確かな日本語の論評が大好きです が

    この頭でっかちの巨人は「音楽」を理解していたとはとうてい思えません。 音楽批評にはほころびがありませんが、だめです。  音楽をほんとうに理解する脳を、彼は封印していたとしか思えません。

    0
    2009年10月04日

モオツァルト・無常という事 の詳細情報

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    :
    小説・文芸
  • ジャンル
    :
    小説 / 国内文学
  • 出版社
    :
    新潮社
  • 掲載誌・レーベル
    :
    新潮文庫
  • タイトル
    :
    モオツァルト・無常という事
  • タイトルID
    :
    207458
  • 電子版発売日
    :
    2013年05月02日
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    EPUB
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    1MB

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