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Posted by ブクログ
p26著者は「日蓮は最高位の国王は亀山天皇であるが、その下で実質的権力を握る地位(治天)が院=天皇の父から北條得宗に移行したと考えていた」「その転機は彼の誕生の前年の承久の乱である」天台宗が仏説の究極とした法華経は現実変革の志向が強い。国王=天皇と国主=執権との二重権力状態。第1段原文「国主国宰之徳政」あとの「国」はクニ構えに「民」となっているという。前は朝廷、後は関東幕府を指すか/四大教祖のうち日蓮だけが東国出身、武家政権への説得に「邪教で勝利祈願したから承久の乱で朝廷側は敗北した」とする/本書上書8年後、蒙古の国書が届き、朝廷は侮蔑的返答を作成したが、幕府は「黙殺」と決め、十七歳北条時宗を執権にするなど防衛体制を固めた。日蓮弾圧も言論統制の一環と思われる/鎌倉時代は農業技術も上がり日本が武張っていた頃。有利な防衛側とはいえ蒙古を撃退する勲を立てた。
p151「謗法の禁断とはその殺害ではなく、布施を止めること」(「末法には南妙法蓮華経と唱えることだけが成仏の方途」という主張を保留し、北条時頼の信仰する禅宗の是非にも触れず念仏の「一凶」への布施を止めることを提案している)、それで天災が已み、戦乱侵略を免れるという。後年に身延山中の加筆「建治本」では再度の元寇への危機感からか念仏者を「速やかに重科にせよ」としているのに触れないのは仏教者の良心としてどうか
のちには後醍醐天皇の怨敵調伏に参加し「建武の新政」を実現したとて公家贔屓の日蓮宗。
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