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小中学生の生存率、99.8%(学校管理下では100%)。東日本大震災で大津波に襲われた岩手県釜石市で、子どもたちはなぜ命を守ることができたのか。そこには、震災前から地道に積み重ねられてきた、画期的な「防災教育」の効果があった。本書では、2004年から釜石市の危機管理アドバイザーを務めてきた著者が、主体的な避難行動を可能にした「防災教育」のノウハウを余すところなく、公開するとともに、いつ災害に襲われるかもわからない私たちすべてが知っておかなくてはならない「生き残るための指針」を提起する。【目次】はじめに/第一章 人が死なない防災―東日本大震災を踏まえて/第二章 津波を知って、津波に備える―釜石高校講演録(2010年7月2日)/第三章 なぜ、人は避難しないのか?/第四章 求められる内発的な自助・共助―水害避難を事例に/おわりに
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Posted by ブクログ
☆10個くらい付けたい本。
片田さんは、津波防災の研究者だが、それにとどまらず、釜石市など全国での講演により、住民の防災意識の向上を図ってきた。
東日本大震災、甚大な被害をもたらしたが、それでも、彼の取り組みによって救われた命はいくつあったことか・・・。
この本はたしかに素晴らしい本だが、実際に災害が起きたとき、ここに書かれている行動を自分が取れなければ何の意味もない。
この本は是非、一読をお勧めしたい。
願わくば、自分自身も含め、自然災害に見舞われたとしても、災害以前と変わらず、健全な心身、命を保てるような、的確な避難行動が取れますように!
Posted by ブクログ
■避難の三原則
①想定にとらわれるな
・端的に言えば「ハザードマップを信じるな」
②最善を尽くせ
③率先避難者たれ
■一家滅亡,地域滅亡という悲劇ばかりを繰り返してきた中でできた言い伝えが「津波てんでんこ」
■明治三陸津波では震源地では大きい地震があったがゆっくり動く地震であったため,釜石のあたりは震度1か2くらいであった。
■津波は並ではなく海の壁
・海底の深いところでは時速800キロぐらいのスピードで伝播する
・浅くなると急ブレーキがかかり水深500メートルで新幹線並み,100メートルで車並み,10メートルで人間が走るぐらいのスピードとなるため,波が積み重なって高くなる
■行政がやるべきだとかどうだとかという問題ではなく,自分自身が家族と逃げられるか逃げられないか,それだけが結果として犠牲者を出すか出さないかの分かれ目となる。避難の支援などを「誰がやるべきか」という議論は不毛。「誰がやるべきか」ではなく「誰ならできるのか」という観点で考えることが重要。
■「避難勧告が発令されたら逃げる」「発令されなければ逃げない」という単純な話ではない。その状況でどうするべきかという判断ができる主体性とか知恵が重要。
■日本の防災は個々の住民が自分の命を自分で守る意識と災いを避けて通る知恵を持てるような方向へ進めていかなければならない。
■日本の防災は災害対策基本法に基づいているが読んでみると防災は全部行政がやれと書いてある。住民の努力義務のことが書いてあるが行政側は「責務」である。つまり行政が全部やれと書いてあるわけだが無理があるに決まっている。
■犠牲者を減らそうと思ったら行政ではなく国民自身がやるべきことが出てくる。
■日本の防災は災害対策基本法に基づく行政主導の枠組みの中で進めようとしているところに限界がある。限界だけではなく弊害すらあるといえる。
■人為的に高める安全は人間の脆弱性を高める。
■「浸水が進んでも避難勧告がなく非難できなかった市の責任は重い」
・逃げろと言われなければ逃げないのか
・災害対策基本法のもと50年にわたって「行政が行う防災」が進められてきた結果,このような日本の防災文化が定着してしまっている。防災に対して過剰な行政依存,情報依存の状態にある。自分の命の安全を全部行政に委ねる。いわば住民は「災害過保護」の状態にある。これが我が国の防災における最大の問題
・なんでも行政に情報をもらって逃げるという仕組みそのもの,姿勢そのものが間違っている
Posted by ブクログ
東日本大震災の大津波で、釜石ではほとんど小中学生が犠牲にならなかったのは、彼らが自分たちで避難をきちんとしたからだ――、という実績をもとにして、防災教育や防災情報、ひいては防災というものについて市民一人一人が抱くべき考え方を説く。
東日本大震災直前に釜石で高校生らに講演された記録なども含まれていて、貴重だし、示唆に富む。
1.想定にとらわれるな
2.最善を尽くせ
3.率先避難者たれ
これを片田氏は「避難の三原則」として示す。
例えば1について。ハザードマップはあくまで明治三陸地震のときの実績にすぎず、前提の異なる外力になると当然に結果は変わるということ。今回の震災では「想定外」という言葉がやり玉にあげられて久しいが、ここでいう「想定」とはあくまで「防災行政上の目標」にすぎず、それにとらわれず、できることをすべてやる(例えば、一般的な避難所に安堵せずもっと高い所へ、など)ということ。
ただし最後に、土砂災害・水害のこととなると、この三原則はやや事情が異なるということが示されている。すなわち、避難所にむかおうとしない方がよいケースがあるということ(「豪雨の時は雷が多く、懐中電灯がいらないほど」というたとえも、臨場感があってよい)。
いずれにしても、行政主体でのこれまでの防災対応からの意識改革は必要そうだ。ゲリラ豪雨による中小河川の出水に、避難勧告は間に合わないし、サイレンとかだって作動しない可能性もある。また行政運営上、「全市への避難勧告」をせざるを得ないこともあり得る。
むしろ、地域での自助意識を、高めていくべきなのだ。
Posted by ブクログ
・自然災害は想定を超えるから災害となるのだが、想定を際限なく上げることが防災の本質ではない。そんな財源がどこにもないし現実的ではない。
・”想定外だったから”でも、”想定が甘かったから”でもなく、”想定にとらわれすぎていた”ことが問題。(→「これだけ巨大な防潮堤があれば安心」「ハザードマップでうちは色のついていない地域だから大丈夫。」といった固定観念。)
・人間は嫌な情報・予想したくないことには眼を向けたがらない・自分の死を直視できないという習性がある(→「煙の匂いもしないから大丈夫だろう」「非常ベルが鳴ってもみんな逃げていないし」「わかっちゃいるけどできない」といった正当化の偏見・集団同調・認知不協和)。まずは、”避難しない自分を正当化し、心の平静を保とうとする自分自身”を理解することが備えへの第一歩。
・防災における行政の過保護⇔市民の過剰な行政依存という問題。行政の発表する情報に自らの命を委ねている、あるいは行政が動き出すまで自分では動かないという主体性のなさが問題。発災したその瞬間の命からがらの緊急避難(エバキュエーション)のタイミングはみな個人個人で状況・条件が違うので自分で判断しなくてはならない。自分の命を守れるのは自分しかいないということ。
・行政だって被災者。自然の猛威に対して「誰がやるべきか」という議論は不毛。できないものはできない。「誰ならできるのか」という観点に立つことが重要。
・自然の恵みに近づくほど、自然の大きな振る舞いにも付き合わなければならない。海でも山でも平地でも、どこにいっても100%の安全なんてない。
・帰宅困難など防災の問題ではない。生き残った人たちが自宅に帰れず困ったというだけであって3日もあれば解決する。
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