ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
3pt
私たちは今回の災害を転換点にできるのか? 失敗学の畑村教授がいままで考えてきたこと、そして3月11日から「原発事故調査・検証委員会」委員長になるまでに考えたこと。東日本大震災は本当に「未曾有」で「想定外」だったのだろうか? 震災を私たちはどう捉え、そこから何を学ぶべきなのか? 3.11後の日本を考えるヒント。「失敗学」から見る東日本大震災。
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
ご恵贈頂いておきながら、読んでいなかった。 不覚。 大変に興味深い。 「死んだ人が見た光景」(62ページ)、「信玄堤」(72ページ)、完全な高台移転は今回も実現しない(77ページ)、原子力の専門家は「想定する」のが責務だということ(91ページ)、「問題設定」と「問題解決」について前者が...続きを読む圧倒的に難しいということ(96ページ)などなど。 また、山の「崩れ」について言及されているが(162ページ)、思わず幸田文の「崩れ」を思い出した。そうしたところ、その数ページ後できちんと触れられている。 これは、やられました。 こういうところで、作者に対する信頼性がぐっと増すわけですね。
『失敗学』の著者として有名な畑中教授。今回の東日本大震災を、「失敗学」の観点から考えるとどうなるのか。本作品では以下の3つが特に主要なポイントであると考える。 ********************************************************** (1)「未曾有」「想...続きを読む定外」という言葉に隠された本音 教授は「未曾有」「想定外」という言葉に潜む危険性を指摘している。つまり、それらの言葉を用いることで曖昧さの中に物事の本質をすべて覆い隠してしまう危険性である、ということだ。 これらの言葉を繰り返し用いることで、「未曾有のことが起きたんだから仕方ない」、「考えても意味がない」と人々の思考停止を招き、本来行うべき原因調査とそこから得られるはずの教訓に備えることが出来なくなる、と述べている。 専門家は、起こり得る事すべてを想定することが専門家たる所以であり責務である。原子力技術を扱う仕事は、想定外という言葉ですべて免罪になるような軽いものでは決してない。それは、想定外という言葉を繰り返し使う専門家にも同様に当てはまる。 「想定外のことを想定して、初めて専門家は専門家としての責務を全うする。」 以上の責務を全うしている真の専門家は国内に果たしてどれだけいるのだろうか? (2)「コンプライアンス」の意図的語釈 コンプライアンスは通常、「法令遵守」という言葉に訳される。実際、「コンプライアンス=法令順守」という図式は社会で広く浸透しているのではないだろうか。 実は、コンプライアンスは「社会の要求に柔軟に対応する」というのが本来の意味らしい。ここにコンプライアンスの意図的語釈がある、と著者は指摘する。つまり、「法令さえ守っていればいい」という誤ったメッセージを与え、その結果、事の本質を矮小化し、日本の組織から危機管理能力を削ぐことにつながってしまう、と危惧している。 (3)「見たくないものは見えない」「聞きたくないことは聞こえない」という人間の本質 人は自分にとって都合のいい思考をするという性質を有している。これらの性質は記憶の忘れっぽさと同様に、事故や失敗を引き起こす要因である、と著者は述べている。 しかし、これらの人間の本質を逆手に利用すれば事故や失敗を防ぐ有用な手段に成り得るのではないかという指摘は大変興味深い。つまり、従来の発想を転換し、「見たい」とか「聞きたい」という姿勢を持てば想定を変える必要性に気付くのはそれほど難しいことではないのだ、と言う。 「危険が見たい」という意識で色々な物事を注意深く観察すれば、どこにどんな危険が潜んでいるか分かってくるようになる。物事の見方をひとつ変えるだけで、想定外を想定内に取り組むことが可能となる。 ********************************************************** 人間の歴史とはすなわち被災の歴史でもある。 日本という国で暮らす以上、私たちは歴史から学ばなくてはいけない。今回の震災でも、私たちはそこから何らかの学びを引き出さないといけない、それは同じ時代に同じ日本で生きている者の務めではないだろうか。 自然災害という人智では計り得ない事態に直面したとき、最後に頼りになるのは自分自身である。最後は自分の眼で見て、自分の頭で考え、判断し、行動するしかない。 私たちは今回の災害を転換点にできるのだろうか? それはこれからの私たち自身の行動に懸かっている。 文末の締めとして、本書で取り上げている寺田寅彦の言葉を引用したい。 「わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である」 今回の大震災で事を発した一連の問題から私たちは学ばなくてはいけない。そして同じ過ちを二度と繰り返さないようにしなくてはいけない。それが今を生きる私たちの責務であり、これから生まれてくる子供たちの未来を守ることにつながるのだから。
日本人とは自然災害から学んできた人々とは、まさに至言。今回の大震災が未曾有ではなく、原発事故が想定外であってはならなかったことを理路整然と述べていて、次の災害の予測までするあたり、失敗学の面目躍如です。
いつの間にか人間は「力で自然に対抗できる」と考えるようになった。しかしそれは大きな誤解であり、自然の力は想像以上に強大で、人間が力で同じように対抗できるようなものでない。そのことを私たちは今回の津波から学ばなければならない。
津波は「高い波」というより「速い流れ」であり、速度は秒速30m、時速100km(「津波災害」河田惠昭)。人間の力は0.1馬力、馬は1馬力、建設機械は100馬力だが、自然に力で対抗するのはほとんど不可能。自然と闘うのではなく、自然と折り合うことが重要。 3年で個人が忘れる。30年で組織が忘れる。60...続きを読む年で社会が忘れる。 原発反対派の存在が原子力村の結びつきを強固にした面がある。その結果、内部で懸念を指摘する声は黙殺され、危ないことを想定して準備することができなくなる。共同体が独自の論理、文化で動いていることが根本の原因だった。 八ッ場ダムは1947年のカスリーン台風の被害の経験から、首都圏を水害から守るために計画されたもの。首都圏や近畿圏の6河川で整備するスーパー堤防は、外側の法面の勾配を緩やかにするものだが、全体の6%しか進んでいない。民主党の事業仕訳で「廃止」となったが、長期的な展望に欠ける。 利根川は江戸時代に東に流れるように付け替えたが、地形は水が南に流れるようになっている。2003年にアメリカを襲ったハリケーン「カトリーナ」と同規模の台風が関東を襲った場合、隅田川上流の北千住あたりで越流し、千代田線の入口から流れ込み、東京中の地下鉄をすべて水没させるおそれがある。 首都圏で大地震が発生した場合に心配されることとして、液状化現象によって地下鉄が地中に取り残されること、首都高速の一本足の橋脚が倒れること、地下自動車道の火災をあげている。
遅ればせながら、読みました。傾聴すべきことが多く書かれています。勉強になりますね。積ん読解消キャンペーン中です。
実は恩師の一人。コンプライアンスはむしろOpen Systemを想定した言葉なのに誤訳されて導入された。ってのは力強いステートメントでした。失敗は、未来のために徹底的に検死されなくてはならない。司法には、エンジニアリングの観点はない。自然には圧倒的な強さがある。などなど、3.11が書かせたかもしれな...続きを読むい強い言葉を感じます。内藤廣さんも、建築の事故現場には必ず行って、壊れるモードを感じてこいみたいな話をしてましたが、畑村さんも、現場に飛びます。プレートテクトニクスという津波のそもそもの原因となる自然の仕組み。その仕組の起こす崩れという自然現象。エンジニア必読
失敗学の第一人者 畑村洋太郎さんの経験があちこち散りばめられていました。今、身につけておくべき考えと身近な行動ができます。 ■印象的な言葉を抜粋 ①記憶の減衰に法則性にはある。 3日で個人が飽きる 3カ月個人が冷める 3年で個人が忘れる 30年で組織が崩れる 60年で地域が忘れる 30...続きを読む0年で社会から消える 1200年で起こったことを知らない ②津波に対抗するか備えるか。 防潮堤を高く設定すればいいものではない 田老万里の長城の2つの防潮堤 「いなすとすかす」思想 ③国政と原子力村 見たくないものは見えない 真のコンプライアンスとは、社会の要求に柔軟に対応すること 自分がテロリストになったつもりでシミュレーション ④日本で生きるとういうこと 4つの大陸プレートの構図をふたたび 東京で心配な3つのこと ■最も印象に残った言葉 災害を防ぐ唯一の方法は、人間がもう少し過去の記録を 忘れないように努力する外はないであろう(津波と人間より)
甚大な被害をもたらした東日本大震災、その被害の原因を冷静に分析して、今後の防災・危機管理をどのように行うべきかを論じる書。客観的事実を元に、人間の危機管理・危機に対する意識の性質・本質を浮き彫りにし、そこから今後の具体策を述べています。「誰それが原因だ」「このミスが原因だ」というだけで終わるのではな...続きを読むく、そこからさらに踏み込んで、どうしてそんな原因が生まれたのかという、問題の本質である人間の性質にまで踏み込んでいて、自分自身の危機に対する意識の持ち方を見つめ直すとともに、これから自分自身が危機に対してどう生きるべきか、その観点を持たせてくれましたように思います。この震災から、生きている我々は学び、次の世代につなげなければならない。
人間は成功することを目指して生きるが、失敗から学ぶこともある。むしろ失敗を学ばなければ進歩はありえない。筆者は「失敗学」の提唱者としても知られている。今回の大震災を踏まえてこの考え方を述べているのが本書の主旨である。 第1章では「未曾有」という言葉を津波防災の観点から考えている。過去の歴史を調べ...続きを読むれば、今回の災害は言葉どおりの未曾有ではなかったという。人は過去のこと、とりわけ都合が悪いことを忘れてしまうという特質があることを考えるべきだというのだ。確かに私たちは反省しないし、懲りない。個人の人生の中だけでもそうであるから、まして数百年という単位にしてみると記憶や伝承は忘れられ、ついにはかつて存在したかどうかも怪しくなっていく。これが未曾有ということばの背景にあるものだというのだ。 第2章では「想定外」を原発事故の観点から考えていく。今回の事故は決して「想定外」ではなく、想定をしきれなかった、もしくは思考停止していたことが問題だという。原発関係者がいわば村組織のような閉鎖性をもっていたというのは最近読んだ本にも書かれていたが、そうした集団としての特性も想定の幅を狭めていたのではないかというのだ。これは日本の技術全般に及ぶ問題ともいえる。 第3章では日本人にとって自然災害は必然であり、自然の恵みを受けるとともに災害は「すかす」必要があると説く。つまり自然を制御するのではなく、知恵をもって折り合いをつけていく態度が必要だという。原発問題に見られるとおり、日本人はその技術力を過信してきた。ここにきて、再び自然との共生を考えるべきだというのは、これまでもよく言われてきたことではあるが、今この時点になってみると切実な問題として再認識しなければならないと思った。 被災地では「未曾有」「想定外」は禁句だという人もいる。それはこの災害を特殊な出来事として過去の努力や対策を切り離してしまう言い訳のようなものだからだ。今回の災害の被害は計り知れない。でも、この痛みも人間は残念ながらすぐに忘れてしまう。そして次の機会に生かすことができない。そうならないように災害の状況を詳しく調査し、原発事故後の対応を厳しく検証することによって未来の災害への対策にするべきであろう。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ
新刊情報をお知らせします。
畑村洋太郎
フォロー機能について
「講談社現代新書」の最新刊一覧へ
「雑学・エンタメ」無料一覧へ
「雑学・エンタメ」ランキングの一覧へ
老いの失敗学 80歳からの人生をそれなりに楽しむ
回復力 失敗からの復活
数に強くなる
試し読み
勝つための経営 グローバル時代の日本企業生き残り戦略
考える力をつける本
危機の経営 サムスンを世界一企業に変えた3つのイノベーション
危険学のすすめ――ドアプロジェクトに学ぶ
技術大国幻想の終わり これが日本の生きる道
「畑村洋太郎」のこれもおすすめ一覧へ
▲未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ ページトップヘ