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「日本刀は武器なのか芸術品なのか?」といった問いに向き合わず、武器=破壊=悪/文化=創造=善という二項対立を声高に唱えてきた敗戦国日本。しかし、その単純な二項対立は、特殊な現代日本イデオロギーにしか過ぎないことが鮮明になりつつある。本書は、武器と文化の不可分な関係をあらゆる時代や事象から、面白くかつ説得的に述べることで、新時代に必要とされる戦争論や軍事論の基礎的な知識を提供する、戦争文化論である。
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Posted by ブクログ
本書は最後の一言にまとめられる。 「何よりもまず、私たち自身が武器であり、凶器だったのだ」 本書はまず、武器の定義を「直接、間接に敵の戦力低下を目的として使われる道具」であるとする。 原始の武器である投槍器から始まり、人は常に武器を改良してきた。 それは、例えば飛行機という発明品も、発...続きを読む明されてすぐに武器として使われるようになったり、 ネジの規格化も戦争において、すぐに銃火器を修繕できるためのモノであった。 そして、文化・宗教に至るまで全ては戦争の道具、つまり武器として役に立ってきた。 さらに、今後は情報が大きな武器となるのは言い古された事実である。 フェイクニュース、コンピュータウィルス、情報戦の時代においては、いかなる情報も武器化する。 すると、極論すると人こそが武器である。 武器と文化、戦争と平和、背反するそれらは常に表裏一体である。
戦争に使うものを武器だとすれば、日常品だったり犬や馬、情報に宗教、そもそも健康維持が大事だよねとか、戦争のための技術がやがて日常の生活を助ける発展となる。 平和とはなんだろう。 平和と戦争が二項対立するものと捉えるのは無理だろうという結論。 段々面倒臭くなった。
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石川明人
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