「『再魔術化』とは、ひとくちにいえば、非合理なもの、神秘的なものと、私達の生活の結びつきを強化するべきだ、あるいは今現在、そのような結びつきが強化されつつあると考える議論だ」 ー 152ページ
本書で用いられている「再魔術化」とは若干対象が違うのだけど、このことについて最近よく考えている。
何か
...続きを読むに没頭しようとする(没頭しなければならない)際、そこに至るためになにかの物語を用意しなければいけない。
たとえば昇進。たとえば社会福祉。たとえば金。たとえば何か。
このあたりのことはとてもわかりやすくて、非常に近代的な理由付けだ。物語は外に開かれていて誰にでも理解できるし、世間的にも認められている。
しかしそこに失われているものがあると感じている人は確かにいる。近代的すぎるものは質感がつるつるしすぎていて、ともすれば滑り落ちてしまいそうになる。
その時、より非合理で「魔術的」な理由を好む人というのが存在する。何かよりファンタジーなものになりきって、自分とそれを重ねあわせて、そして現実を執行する。たとえば僕の身近でいえば巫女だとか魔女だとかシャーマンだとか自覚して、それを現実世界に適用させる人のことをここでは想定しているわけだけど。
この心性の変遷というのはとても興味深い。「魔術」的な思考パターンはより個人的だし、外には開かれておらず、社会的には認められていない。人前で言うのだとしたら、時には白い目で見られることもあるだろう。
しかしより個人的かつ絡みつく類のものになりうるのではないか、と思う。それは特に開かれていない分、社会的なレールに乗っている/乗っていないということを気にする必要がない。つまり同調圧力に乗る必要もないし、なにより自分が形作っているという実感を持つことができる。
これからそういう人が多くなるのか、そのへんはよくわからないけれども、特に女性を中心にそういう人って増えるのかなと思う。進化した中二病、みたいな。あるいはそのままただの中二病というだけなのかもしれないが、そこにはある種の価値があるのだ。