私たちは幸せになるために生きている。仕事での成功を求めるのも、お金が欲しいのも、人に好かれたいのも、突き詰めれば自分が幸せになりたいからだ。
それなら仕事での成功やお金を求めるのではなく、直接的に「幸せ」を求めればいいのではないか?しかしこの時の「幸せ」とは実体のあるものではなく、自分の内にある「意
...続きを読む識の状態」のことなのだ。真の幸せは自分の外にはない。
私たちは社会的制約の催眠状態によって、「自分」というものが物理的に知覚される肉体の中にあると信じ込んでいる。しかし肉体であるところの物質は、化合物であり、原子であり、素粒子である。視覚や触覚によって物質として認識されても、それはあくまで粒子であって物理学的にはほとんどが虚空である。人間が知覚できる世界の狭さ、あるいは知覚しきれないことのあまりの多さに驚嘆する。
量子物理学によれば、世界は1つの根底である場(「知性の場」)で構成されている。物質とは、知性の場の中で知性が凝縮されたもの、あるいは知性の焦点が集まったものであるという。
長年、ただの化合物である肉体が意識を持っていることに対して疑問を持ち続けていた。化合物で出来た肉体という箱に意識が宿っているというイメージだったからだ。上記の考え方に則れば、知性の場の表現として肉体があるのだ。意識の場が考えや感覚、感情を表現し、そして体の分子となる。これが創造のプロセスでもある。
ある出来事は時間と空間の中で起こると私たちは感覚的に思っている。しかし私たちがそのように認識しているだけで、実際には世界は共時的であり、偶然に一致しているという。すべてのことは同時に起こり、すべてが互いに関連し、すべてのことと同時進行する。こう書かれていても、イメージすることは難しい。人間の認識の枠組みからは外れた説明だからだ。
時間とは考え・観念である。しかし時間は幻想であって、実体のある絶対的なものではない。(考え・観念も幻想である。)時間とは、意識がある1つの経験と別の経験との間を測るための方法である。2つの経験の間を計測するために意識が時間と空間という観念を作り出したのだ。そして時間空間が原因と結果の経験を作り出し、物質世界としての経験を作り出す。
一方、意識は無限で、際限がなく永遠で始まりも終わりもない。意識が時空間、因果、物質世界を作り出すのだとすれば、すべての世界は意識の想像上の形であり、意識の自作自演である。先に書いたように、肉体が意識の表現であるなら、死は消失を意味しない。それは単なる表現の変化に過ぎないのである。私が「自分」だと思っている人格も幻想に過ぎない。「私」は時空間に固定された不動の人格ではなく、純粋な意識が様々な表現をしている、終わりないプロセス全体であり起こる出来事すべてである。
自分で「これが自分だ」と思っているセルフイメージは幻想であり、内なる自己を見失わせ、知性の自然な流れを妨げてしまう。内なる自己=純粋な意識は考え・観念の源である。痛みや苦しみ、幸せ、時間も意識によって作られ認識された観念に過ぎない。私たちは考えや観念ではなく、それらの源である「存在」だということを理解しなければならない。
「存在」は願望を実現化する源でもある。そして願望とは、実現を求めている純粋な潜在力であり、内なる自己・純粋意識である。ここからあそこまで歩きたいとき、私の体が自然に実行してくれる。そこに考えや観念は差し挟まれない。本来的に備わっている知性の流れを妨げないためには、私たちはただ存在し願望に注意を向けるだけでいいのだ。「ここからあそこまで歩けるだろうか」と心配したり、努力しすぎることは不自然であって、願望が実現する流れを妨げてしまうものである。
「努力して、より苦しめば目的は達成しやすくなる」というのは古い信念だ。しかし自然はこのような仕組みになっているだろうか?ひとつの種が木になり果実を実らせるのに、努力している様子はあるだろうか?
知性は自然界のあらゆる詳細を管理しており、星や惑星を所定の位置に留めるほどの力がある。この知性の力に比べたら、私の意思の力など米粒以下のちっぽけなものだ。意思の力でどうにかするより、この偉大な力に委ねてしまうほうが良いに決まっている。
私たちは通常、「起きている状態」「夢を見ている状態」「眠っている状態」の3つの意識状態を経験する。ここから瞑想等によって第4の意識状態を経験する。そこは自分の魂を垣間見始める場で、物質世界の背後のより深い現実を感じ始める。これは通常の「起きている状態」からさらに目覚めなければならない。
第4の意識状態を定期的に経験することによって、第5の意識状態「宇宙意識」に導かれる。この意識の中では、人生のなかで人間関係が最も重要であることに気付くと同時に、私たちは体でも心でもなく演じている役割でもないことにも気付く。「観察者」としての完全な目覚めである。
第6の意識状態「神性意識」では、「観察されている対象」としても完全に目覚める。宇宙全体がすべてのものの中に存在していることを認識するのである。
さらに完全に目覚めるとき、第7の意識状態「統一意識」へと目覚める。様々な意識が1つになり、私たちは1つのスピリット=意識であって宇宙全体はその1つのスピリットが表現されたものなのだ。
世界は私たちの内側に存在しているのであって、私たちが世界の内側に存在しているのではない。宇宙が考えるから私は考える。宇宙には「私」や「私は存在している」という感覚があるということだ。そしてそれは私が持っている「私」や「私は存在している」という感覚とつながっている。
この意識レベルまで目覚めることができれば、自分には創造できないものなど何もないことに気付くことができる。