作家・詩人の石牟礼道子(1927~2018年)氏と作家・写真家の藤原新也(1944年~)氏が、2011年6月に熊本市の石牟礼氏の自宅で3日間に亘り行った対談である。2012年に出版、2020年に文庫化された。
石牟礼氏は、天草市(現)に生まれ、1969年に発表したデビュー作にして代表作『苦海浄土~わ
...続きを読むが水俣病』(第1回大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退)は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛され、1973年にマグサイサイ賞を受賞、その後も、数々の小説、詩集のほか、創作能なども手掛けた。ノーベル文学賞に近い女性作家とも言われた。
藤原氏は、北九州市(現)に生まれ、東京藝大中退後、インド、東南アジア、アフリカ、アメリカなどを放浪し、写真・エッセイ集を発表。1972年発表のデビュー作『印度放浪』は青年層のバイブル的な存在となり、1981年の『全東洋街道』で毎日芸術賞を受賞、1983年の『東京漂流』は、大宅壮一ノンフィクション賞及び日本ノンフィクション賞に推されたが、辞退した。同年に発表された『メメント・モリ』(ラテン語で“死を想え”)は、隣り合わせの死と生を考えさせる代表作である。
本対談は、2011年3月11日の東日本大震災のショックから覚めない時期に行われたが、それは、藤原氏の次のような思いによる。「1950年代を発端とするミナマタ。そして2011年のフクシマ。このふたつの東西の土地は60年の時を経ていま、共震している。効率を先んじ安全を怠った企業運営の破綻。その結果、長年に渡って危機にさらされる普通の人々の生活と命。情報を隠蔽し、さらに国民を危機に陥れた政府と企業。罪なき動物たちの犠牲。母なる海の汚染。歴史は繰り返す、という言葉をこれほど鮮明に再現した例は稀有だろう。そのふたつの歴史にかかる橋をミナマタの証言者、石牟礼道子さんと渡ってみたいと思った。」
そして、互いに類まれな感性、経験、表現力を併せ持った二人の会話が紡ぎ出す世界は、幻影と覚醒、80年前のリアルと2011年のリアルを行きつ戻りつする、この二人でなければ作り出せない、心を震わせる世界である。
詩人の伊藤比呂美は、解説でこう書いている。「石牟礼さんは当時84才で、ここにいるが、ここにいない。昨日あったことも、80年前のことも、人から聞いた言葉も、ここにないが、ここにある。・・・藤原さんは当時67才で、若くもなく、年取りすぎてもいず、石牟礼さんの言葉を、驚かず、あわてず、さわがずに、聞き取って、遠くの昔のできごとや伝聞としてではなく、今そこに在る現実として、受け止めて理解する。そしてそれを自分の経験しつつある現実にむすびつけていく。」
東日本大震災から9年、石牟礼道子が亡くなってから2年。単行本は既に絶版になり、手に入らなかった本書が文庫化されたのは僥倖である。
(2020年3月了)