具体的にイメージしにくい部分があり、やや理解に苦しんだが、脳は「心の奥」があるという錯覚を創り出しているのみならず、「心というものが存在している」という錯覚さえも創り出している。感覚情報のほんのひとかけらを解釈して意味付けした結果がその瞬間の意識となっているのみであって「心」と呼ばれるものはない と
...続きを読む言うある意味衝撃的なセオリーだった。
以下、心(と言ってはいけないのだが)に残った言葉。
「喜びや怒りといった感情も、内なる深みから湧き上がってなどいなくて、人は自分の感情をその瞬間に解釈している。かつ、その解釈は、自分の置かれた状況(居合わせた人が浮かれているか怒っているか)のみならず、自分の生理学的状態(鼓動が速まっているか、顔が火照っているか)に基づいている」つまり、「感情というのは内側から自ずとほとばしり出てくるのではなく、そのとき置かれた状況に照らして、そのときの身体状態のフィードバックについて脳が作り出した、その瞬間の最良の解釈。つまり創作行為なのだ」と言う。
また、一人ひとりが類例なき存在である理由を一言でいえば、思考や言動を積み重ねてきた歴史の限りない多様性のゆえにである。脳の働きは原理原則にではなく前例に基づいている。思考のサイクルの新たな一回転が、そのとき注意を向けている情報の意味をとるのは、関連した過去の思考の残滓を手直しし、変換することによってである。そして思考のサイクルの一回ごとの結果は、それ自体がまた未来の思考のための、いわば加工用の素材となる。
そして想像の飛躍は人間の知性の正に核心である。