アメリカや日本式のエッセイでは、自分の支持する意見をまず最初に書き、その論拠を三つ示し、最後で自分の支持する立場を再度結論として提示する方法がとられている。
しかしこれは、[正反合]の「反」と「合」が抜け落ち簡略化されたものにすぎない
それに比べてバカロレア小論文の特徴は、反対意見の尊重。
マルク
...続きを読むスは「資本論」で、労働する人間が「外部の事物を自分の活動の器官として用い、その器官を自分自身の器官に付加することによって、自分自身の身体を拡張する」
つまり、穴掘りや採集に道具が使われているなら、それは労働となる。
カントにとっては、自然法則は決定論的な世界であり、道徳法則は自由意志を前提とする世界であり、両者を調停し、一つにまとめることはできない。
しかし、スピノザにとっては、人間を自然法則の例外とし、その自由を認めることはありえない。神に起源をもつ必然性の国家の中に、人間独自の秩序は存在し得ない
法律が正義であることを何が保障するのか。
モンテスキューは「法の精神」において、理性に照らし合わせて、個別の法律正当性が判断される。
権力の行使が法律に基づいて行われたとしても、その法律が自然権に背くものであれば、権力の行使と正義の尊重は両立されてない。
自然権とは「人間のうちには、属する社会に完全には隷属してしまうことのない何かがあること」を指し示すもの。
正義とは「合法的であり、公平であるもの」byアリストテレス