「あることについて賛成したときにしか決定を認めてもらえないのに、賛否を示すよう迫られている人(たち)」についてのフィールドワークをまとめた一冊。
首長選挙において、辺野古への基地移設に反対する候補者が当選したとしても「淡々と進めていることに変わりはない」(菅義偉官房長官)などとされるのに、賛成する
...続きを読む候補者が当選すれば「選挙は結果がすべて」と事業推進の後押しと解釈されるよな事情についてである。
もちろん辺野古住民の意見は一枚岩ではないが、それが単純な賛成・反対の二分ではなく「反対だけど、このまま推進されるのであれば条件闘争をしなければならない」「条件闘争するためには政府寄りの人物が必要」というような、グラデーションであることが描かれる。
そして、辺野古への基地移設で財政的な恩恵を受けるのは名護市であるが、名護市中心部と辺野古区の発展に差があること、そして辺野古住民が全員反対しても他の市域の住民が賛成すれば覆せない人口比であることも説明される。
そしてそれは沖縄県全体で見ても同じ構図がある。
また、辺野古の歴史をさかのぼり、キャンプ・シュワブの建設に当たって、「島ぐるみ闘争」に反する形で久志村(合併して名護市となる前の基礎自治体)が受け入れに転じた事情が描かれる。
それによって、70年にわたって「高度な政治判断」に対して有効な反対手段を持たない立場で辺野古住民の考え・行動を振り返っている。
その中には「最終的に受け入れざるを得ないことが明白でも、ポーズとして反対することに一定の意義がある」という考えもある。
その重みを思えば、キャンプ・シュワブのゲート前での座り込みについて揶揄する気にはとてもならない。