ポストモダンなるものを深く理解しようとすれば、より専門的な(新書ではない)書物に当たる必要があろう。そもそも「ポストモダン」を言葉としてしか理解できていない者―すなわち自分のような者―が、まずポストモダンについて概観するには適当な内容である。
ポストモダンが気になりだした端緒は、ポストモダンを代表す
...続きを読むる一人としての東浩紀が気になったことにある。宮台真司などとネット上で繰り広げた対談などを、しばしば興奮しつつむさぼり読んでいた。そこで絶えず登場する「ポストモダン」という言葉に自然と関心を持ったのも、当然だったかもしれない。しかし、ネットなどでポストモダンという言葉を調べてみても、どうもその実体はつかめず、深い霧の向こうにある言葉だと長らく思ってきた。
この本は、その意味でタイトルに惹かれて読んだものである。いきなり専門書を読み、理解する自信などなかったからだ。結局深い理解には至っていないが、そこに到達するには新書一冊分の内容では到底無理であることは理解できた。そして、東浩紀が使った「動物的」や「郵便的」といった言葉の意味も、その概要は理解できたと思う。
フランス現代思想を牽引してきた著名な哲学者を源流とし、ポストモダニズムを標榜してきた思想の流れをとりあえずつかんでおくには、手ごろな新書である。しばしば著者自身の考え方が入るので、ニュートラルな視点でポストモダンを概観するのはやや難しい印象があるが、入門書としての新書の役割を考えれば所与の目的は達していると考えられる。
「人間は、言葉を受け入れる代わりに、存在を一部放棄し」ている、というのが人間の条件とあった。つまり言葉を媒介することが条件づけられた人間は、直接的にむき出しの現実と向き合えない。オタク社会が跳梁跋扈している現代を見ると、その主張にも頷ける。