いろんなもの(フィクションや詩、哲学など)からの引用やオマージュの組み合わせで物語を成立させ、組み合わせること自体が物語ることと同義という点が興味深い。
純、琉実、那織の視点で、それぞれに合った文体で文章が紡がれるのも面白いと思った。例えば那織の場合、ライトノベル的に誇張された晦渋な文体だったり。
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ヒロインのひとりがチャンドラリアンというのもあまり見ないな、と。レイモンド・チャンドラー『プレイバック』の引用も、一般に流布した「あのセリフ」ではなく、清水俊二訳のものからなのは好印象だった(村上春樹訳でもよかったけど、ここでは清水俊二訳が適切だと感じた)。
いろんな文化に触れている人ほど引用が分かって楽しいと思うが、反面で私はオマージュや引用抜きの「自分の言葉」(というものがあればだけれど)で書かれた著者の小説も読んでみたいと感じた。オマージュや引用をするにしても、それらに読者が気づかなくても、あるいは著者が明らかにしなくても楽しめる小説を書けたらもっといいんじゃないかなぁ。例えば、あとがきの文豪オマージュの解説も、あえて書かないといったこともできたと思う。気づく人は気づくし。メイン読者層的に解説したほうがよい(それで『人間失格』などの読者が増えるかも)、というのはあるのだろうが。
物語自体としては、ライトノベルやラブコメを普段あまり読まない自分には新鮮に感じ、面白かった。作品を評価するにも、物語と引用が表裏一体というまではいかないが、切っても切れないくらいにはあると思うので、なかなか難しいけれど。