明治から大正にかけての「民衆暴力」を、そのタイトル通り”民衆”の側の事情を掘り下げて書いた一冊。
おしなべて言うと…この国の動きは意外と「普通の人」が決めているんだなあ、と。それは悪い意味でも。
書の最初で、江戸時代は「仁政イデオロギー」のもとに動いていた、と解く。
身分に応じた動きをすること前
...続きを読む提に、領主には百姓の生業維持を保証する責務が、それを保証する領主に百姓は年貢を納める責務がある、という考え方。
「百姓一揆は筵旗」みたいなイメージがありますが、それも「百姓はこのような格好をする」という前提を崩さずに領主の仁政を乞う、ある種の「お約束」だったらしい。
が、気候変動や世界的な植民主義の流れで、その仕組みを維持できなくなったことで、結果的に江戸幕藩体制は崩壊し、
明治新政府は「西洋的な中央集権国家」を目指そうとした。
でも、それに”普通の日本人”はなかなか恩恵を受けない。
市場経済の影響をもろにうける地租改正、働き手をとられる学校制度や兵役、そういうイシューをきっかけにして、様々な形で不満は爆発する。
そしてその爆発の対象は、その制度を作った国やそれで稼ぐ商人に向かうとは限らず、弱い対象に向かうこともある。
そんな中、日露戦争後の得るところの少ない講和条約への不満をきっかけに、東京へ出てきたもののほどほどの稼ぎしか得られていなかった”普通の労働者”が中心になって日比谷焼き討ち事件(1905年・明治38年)が発生。
それを受けて、政府は中央集権的に警察・軍だけが暴力を持つことを諦め、自警団的な民間協力組織を育成する方針に変更。
そんな中、関東大震災(1923年・大正12年)が起こり、
警察の朝鮮人への警戒情報がきっかけになり、自警団などが暴走。
大量の”不逞な朝鮮人”を「天下晴れての人殺し」してしまう結末に達した。
自衛的な意味もあって暴力と周縁社会は関係が強い、
そんな先入観を持ちがちなのです。
実際、秩父事件(1884年・明治17年)の指導者には、博徒の顔役的な人もいたらしい。
でも、実際に破壊活動にかかわる人の多くは”借金苦になった普通の人”。そういう人が乗っからない限りは”民衆暴動”にはならないらしい。
関東大震災の朝鮮人虐殺も、混乱した震災地ばかりで起こったわけではなく、
移送途中の朝鮮人が、被害のほぼなかった埼玉県本庄署にいるところを自警団が襲撃、大量(数十人規模)虐殺をした、という事例もあったらしい。
そんな本庄では、東京からの震災避難者を支援していて、その人から聞いた朝鮮人に関するデマがそんな行動を後押しした、という話にはかなり考えさせられた。
「普通の日本人」が「普通に生きていく」ことと、
排他性や暴力性は決して無縁ではなく、むしろ親和性が高い場合すらある。
「日頃から朝鮮人と付き合いのあった地域では、朝鮮人を守る動きもあった」というところに希望を持ちつつも…
「普通の日本人の通俗道徳」という一見いいものに思いがちなものを信頼しすぎることは、
結構危険なことなんだな、と感じた一冊でした。